旗本退屈男 第十話
幽霊を買った退屈男
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)対《つい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)糸屋六兵衛|伜《せがれ》
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       一

 ――その第十話です。
「おういよう……」
「何だよう……」
「かかった! かかった! めでたいお流れ様がまたかかったぞう!」
「品は何だよう!」
「対《つい》じゃ。対じゃ。男仏《おぼとけ》、女仏《めぼとけ》一対が仲よく抱きあっておるぞ」
「ふざけていやアがらあ。心中かい。何てまた忙しいんだろうな。今漕ぎよせるからちょッと待ちなよ」
 ギイギイと落ちついた櫓音と共に、おどろきもせず慌てもせず漕ぎ寄せて来る気勢《けはい》でした。――場所は大川筋もずっと繁華の両国、冬ざれの師走《しわす》近い川風が、冷たく吹き渡っている宵五ツ頃のことです。
 船はすべてで三艘。――駒形河岸裏の侠客《きょうかく》出石屋《いずしや》四郎兵衛が、日ごと夜ごとのようにこの大川筋で入水《じゅすい》する不了簡者達を戒めるためと、二つにはまた引取手のない無縁仏を拾いあげてねんごろに菩提《ぼだい》を弔《とむら》ってやろうとの侠気《きょうき》から、身内の乾児達《こぶんたち》に命じて毎夜こんな風に見廻らしている土左船《どざぶね》なのでした。土左衛門を始末するための船というところから、いつとはなしに誰いうとなく言い出したその土左衛門船なのです
「みろ! みろ! おい庄的《しょうてき》! 男も若くていい男だが、女はまたすてきだぜ」
「どれよ。どこだよ」
「な、ほら。死顔もすてきだが、第一この、肉付きがたまらねえじゃねえかよ。ぽちゃぽちゃぽってりと程よく肥っていやがって、身ぶるいが出る位だぜ」
「分らねえんだ。暗くて、おれにはどっちが頭だかしっぽだかも分らねえんだよ。もっと灯《あか》りをこっちへ貸しなよ。――畜生ッ。なるほどいい女だね。くやしい位だね。死にたくなった! おらも心中がして見てえな。こんないい女にしッかり抱かれて死んだら、さぞや、いいこころ持ちだろうね」
「言ってらあ。死ぬ当人同士になって見たら、そうでもあるめえよ。それにしても気にかかるのはこの年頃だ。何ぞ書置きかなんかがあるかも知れねえ。ちょっくら仏をこっちへねじ向けて見な」
 しっかり抱き合ったまま、なまめかしい緋縮緬《ひじりめん》のしごきでくるくると結《ゆ》わえてある二人の死体を、漸く船の上に引揚げながら、何ごころなく灯りの下へ持ち運ぼうとした刹那! パッとその船龕燈《ふながんどう》の灯りが消えました。
「畜生ッ。いけねえ! 何だか気味のわりい死体だぜ。早くつけろ! つけろ! 灯りをつけなよ」
「つ、つけようと思ってるんだが、なかなかつかねえんだよ。――何だかいやだね。変な気持になりゃがった。只の心中じゃねえかも知れねえぜ」
「大の男が何ょ言うんでえ。お流れいじりは商売《しょうべい》のようなおれらじゃねえかよ。俺がつけてやるからこっちへ貸してみな」
 代って灯りを点けようとしたその若いのが、突然げえッと言うように飛びのくと、ふるえる声で叫びました。
「畜生ッ。巻きつきゃがった。巻きつきゃがった。ぺとりと女の髭の毛が手首に巻きつきゃがったぜ」
「え! おい! 本当かい。脅かすなよ。脅かすなよ。――いやだな、何か曰くのある心中だぜ」
 気味のわるいのをこらえながら、漸く灯りを点けて検べて見ると、やはりあるのです。女の帯の間から察しの通り、小さな油紙包みが現れました。しかも出てきた品は、小判が十枚と、走り書きの書置なのです。その書置もあり来たりの書置に見るように、先き立つ不孝をお許し下され度、生きて添われぬ二人に候えば死出の旅路へ急ぎ候、というような決り文句は一字も書いてはなくて、只二人の身元だけを書き流しにしるした型破りの書置なのでした。
「男。京橋花園小路、糸屋六兵衛|伜《せがれ》、源七。女。新吉原京町三ツ扇屋抱え遊女、誰袖《たがそで》。十両は死体を御始末下さるお方への御手数料として、ここに添えました。よろしきようにお計らい願わしゅう存じます」
 僅かにそれだけを書いた書置なのです。
「変たぜ。変だぜ。やっぱりどうも調子が変だよ」
「な! ……」
「男も男だが、女が花魁《おいらん》だけに、なおいけねえんだ。どっちにしても棄てちゃおけねえんだから、早えところ京橋へお知らせしなくちゃならねえ。船を出しなよ」
 何をするにしても先ず事の第一は、源七と名の見える若旦那風のその親元の、糸屋六兵衛に急をしらせるのが先でした。――抱き合ったままのいたましい骸《むくろ》を守りながら、折からの上げ潮を乗り切って漕ぎに漕ぎつ、急ぎに急ぎつ、さしかかったのは大川名打ての中州口《なかすくち》です。
 ここから京橋へ上る水路は二つ。即ちその中洲口から箱崎河岸、四日市河岸を通って、稲荷橋下から八丁堀を抜けて上って行く水路と、やや大廻りだが川を下に永代橋をくぐって、御船手組の組屋敷角から同じく稲荷橋へ出て、八丁堀へ上る水路とその二つでした。言うまでもなく前の水路を辿った方が早いことを知っていたが、何を言うにも舟そのものがあまり縁起のよくない土左船なのです。上り下りはなるべく人目を避くべし、川中の通航は遠慮の事、他船の往来を妨げざるよう心して川岸を通るべし、という御布令書《おふれがき》の掟を重んじて、その川岸伝いに遠道の永代橋口へさしかかって行くと、酔狂といえば酔狂でした。そこの橋手前の乱杭際《らんぐいぎわ》に片寄せて、冬ざれの夜には珍しい夜釣りの舟が一艘見えるのです。しかもこれが只の舟ではない。艫《とも》と舳《へさき》の二カ所に赤々と篝《かがり》を焚いて、豪奢《ごうしゃ》極《きわま》りない金屏風を風よけに立てめぐらし、乗り手釣り手は船頭三人に目ざむるような小姓がひとり。
「やだね。別嬪《べっぴん》の小姓がひとりで時でもねえ冬の夜釣りなんて気味がわりいじゃねえか。今夜はろくなものに会わねえよ。――真平御免やす! 御目障りでござんしょうが、通らせておくんなせえまし! 土左船でごぜえます!」
「なに! 土左船!」
 小姓ひとりかと思ったのに、遠くから呼んだその声が伝わり届くと同時です。不思議な釣り舟の中から、凛《りん》とした声もろともにむっくり起き上がった今ひとりの人影が見えました。
 眉間に傷がある。
 誰でもない退屈男早乙女主水之介でした。
「土左船、水死人はどんな奴ぞ?」
「心中者でごぜえますよ」
「ほほう。粋《いき》なお客じゃな。何者達かい」
「男は京橋花園小路、糸屋六兵衛伜源七という書置がごぜえます。女は吉原三ツ扇屋の花魁|誰袖《たがそで》というんだそうでごぜえますよ」
「花魁とあの世へ道行はなかなかやりおるのう。よい、よい。通行差許してつかわすぞ。早う通りぬけい!」
 ギイギイとひそやかに土左船がろべそを鳴らしながら、漕ぎ去っていったのを見すますと、さも退屈そうに、長々と伸びをしながら、吐き出すように主水之介が言ったことでした。
「面白うない。京弥、そろそろ罷《まかり》帰るかのう。精進日という奴じゃ。土左船に出会うようでは釣れぬわい。ウフフフ。主水之介の眉間傷も小魚共には利き目が薄いと見ゆるよ」
「はッ。御帰館との御諚《ごじょう》ならば立ち帰りまするでござりますが、釣れぬのは――」
「釣れぬのは何じゃ」
「水死人ゆえでも、御眉間傷の利き目が薄いゆえでもござりませぬ。冬の夜釣りがそもそも時はずれ、ましてやタナゴ釣りは陽《ひ》のあるうちのもの、いか程横紙破りの御好きな御殿様でござりましょうとも、釣れる筈のない時に釣れる道理はござりませぬ」
「わははは。身共を横紙破りに致したは心憎いことを申す奴よのう。眉間傷《みけんきず》も曲っておるが、主水之介はつむじも少々左ねじじゃ。馬鹿があってのう」
「は?」
「昔のことよ。昔々大昔、馬鹿があってのう。箒《ほうき》で星を掃き落とそうとしたそうじゃ。ウフフフ。主水之介もその馬鹿よ。釣れても釣れのうても釣りたくなると釣って見たいのじゃ。――帰るかのう」
 いかさまつむじが言う通り少々左ねじです。主水之介いかに江戸一の名物男であったにしても、時でもない時に釣れる筈はない。だのに、釣れぬと知りつつ、こんな冬ざれの寒風をおかしながら、わざわざ夜釣りにやって来たのは、タナゴ釣りの豪奢極まりない清興に心惹かれたからでした。手竿は、折りたたむと煙管《きせる》の長さだけに縮まるところからその名の起きた、煙管尺十本つぎの朱ぬり竹、針糸《はりす》は、男の肌を知らぬ乙女の生毛《いきげ》を以ってこれに当てると伝えられている程の、凝《こ》りに凝った大名釣りなのです。
「船頭々々」
「へッ」
「獲物はないが、冬ざれの大川端の遠灯《とおび》眺むるもなかなか味変りじゃ。そのように急ぐには及ばぬぞ」
「でも京弥様が、寒いゆえ早うせい、早うせいと――」
「申したか! ウッフフ。京弥! なかなか軍師じゃのう。どんな風やら、さぞかし寒かろうぞ。菊めの袖屏風がないからのう。身共も吉原へでも参って、よい心中相手を探すかな」
「ま! またお兄様が御笑談ばッかり、その菊路はここにお迎えに参っておりまする」
 言ううちにいつか長割下水の屋敷近くへ漕ぎつけていたと見えて、薄闇の中から不意に言ったのは妹のその菊路です。
「あの、京弥さまは? ……」
「ここでござります」
「ま? お寒そうなお姿して――、御風邪は召しませなんだか。そうそう。あの御兄様、大事ことを忘れておりました」
 大事なことがあるというのに、先ず先に想《おも》い人京弥が風邪を引いたか引かないかをきいておいて、漸く思い出すのですから、恋持つ者は不埓《ふらち》ながらもいじらしいのです。
「な! お兄様、あの、先程から何やら気味のわるい御客様が御帰りを御待ちかねでござります」
「なに! 気味のわるい客とのう。どんな仁体の者じゃ」
「口では申されぬ気味のわるい男のお方でござります」
「ききずてならぬ。すぐ参ろうぞ。仲よく二人で舟の始末せい」
 パッと身を躍らせて一足飛び。主水之介の足は不審に打たれながら早まりました。

       二

 帰って見ると、なるほど客間に不思議な男がつくねんとして坐っているのです。
 年の頃は四十がらみ、頭に毛がなく、顔に目がある。――一向不思議はなさそうであるが、毛のない頭はとにかくとして、その目がいかにも奇怪でした。パッチリ明いているのに少しも動かないのです。その上に、男の身体そのものも、この上なく奇怪でした。まるで石です。しいんと身じろぎもせずに部屋の隅へ小さく坐って、しかもどことはなしに影が薄く、もぞりとも動かないのです。
「身共が主水之介じゃ。何ぞ?」
「………」
 あッともはッとも言わずに、動かないその目を明けたまま、ニタリと笑って、極度のろうばいを見せながら、畳へ坊主頭をすりつけんばかりに平伏すると、いかにも不気味でした。ひと言も物を言わずに、幽《かす》かなふるえを見せながら、そのまま長いこと平伏していたかと思うと、どんよりと怪しく光るその目を空に見開いたまま、傍らの風呂敷包を探って、無言のままそこへ差出したのは見事な菓子折でした。しかも金水引に熨斗《のし》をつけた見事なその菓子折を差出しておくと、奇怪なあの目を空に見開いたまま、ふるえふるえあとずさりして、物をも言わずに怕々《こわごわ》とそのまま消えるように立ち去りました。
「おかしな奴よのう。わッははは、これは何じゃ。この菓子折をどうしようと申すのかい」
 いぶかりながら引きよせて、ちらりと見眺めた刹那です。
「よッ。なにッ?」
 さすがの退屈男もぎょッとなって、総身が粟粒立ちました。
「寸志。糸屋六兵衛伜源七――」
 あの男の名前です。今のさっき大川で土左船の者からきいたばかりの、あの心中の片われの名がはッきりと熨斗紙の表に書かれてあったからです。
「不審なことよのう。――京弥々々。京弥はいずれじゃ」
「はッ。只今! 只今参りまするで
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