弥が風邪を引いたか引かないかをきいておいて、漸く思い出すのですから、恋持つ者は不埓《ふらち》ながらもいじらしいのです。
「な! お兄様、あの、先程から何やら気味のわるい御客様が御帰りを御待ちかねでござります」
「なに! 気味のわるい客とのう。どんな仁体の者じゃ」
「口では申されぬ気味のわるい男のお方でござります」
「ききずてならぬ。すぐ参ろうぞ。仲よく二人で舟の始末せい」
 パッと身を躍らせて一足飛び。主水之介の足は不審に打たれながら早まりました。

       二

 帰って見ると、なるほど客間に不思議な男がつくねんとして坐っているのです。
 年の頃は四十がらみ、頭に毛がなく、顔に目がある。――一向不思議はなさそうであるが、毛のない頭はとにかくとして、その目がいかにも奇怪でした。パッチリ明いているのに少しも動かないのです。その上に、男の身体そのものも、この上なく奇怪でした。まるで石です。しいんと身じろぎもせずに部屋の隅へ小さく坐って、しかもどことはなしに影が薄く、もぞりとも動かないのです。
「身共が主水之介じゃ。何ぞ?」
「………」
 あッともはッとも言わずに、動かないその目を明けたまま、ニタリと笑って、極度のろうばいを見せながら、畳へ坊主頭をすりつけんばかりに平伏すると、いかにも不気味でした。ひと言も物を言わずに、幽《かす》かなふるえを見せながら、そのまま長いこと平伏していたかと思うと、どんよりと怪しく光るその目を空に見開いたまま、傍らの風呂敷包を探って、無言のままそこへ差出したのは見事な菓子折でした。しかも金水引に熨斗《のし》をつけた見事なその菓子折を差出しておくと、奇怪なあの目を空に見開いたまま、ふるえふるえあとずさりして、物をも言わずに怕々《こわごわ》とそのまま消えるように立ち去りました。
「おかしな奴よのう。わッははは、これは何じゃ。この菓子折をどうしようと申すのかい」
 いぶかりながら引きよせて、ちらりと見眺めた刹那です。
「よッ。なにッ?」
 さすがの退屈男もぎょッとなって、総身が粟粒立ちました。
「寸志。糸屋六兵衛伜源七――」
 あの男の名前です。今のさっき大川で土左船の者からきいたばかりの、あの心中の片われの名がはッきりと熨斗紙の表に書かれてあったからです。
「不審なことよのう。――京弥々々。京弥はいずれじゃ」
「はッ。只今! 只今参りまするでござります」
 菊路とのうれしい恋の語らいが漸く済んだか、なぜともなくパッと頬を赤らめながら、倉皇《そうこう》として這入って来たのを眺めると、指さして言いました。
「それをみい」
「何でござります?」
「幽霊が菓子折を届けて参ったのよ。そちも聞いた筈ゆえ覚えがあろう。その名前よくみい」
「……? えッ! なるほど、源七とござりまするな。まさしくあの心中男、ど、どうしたのでござります。どこから誰が持参したのでござります?」
「今の先、青テカ坊主が黙ッておいていったわ」
「なるほど。では、只今のあの按摩《あんま》でござりまするな」
「会うたか!」
「今しがた御門先ですれ違いましてござりまするが、あれならばたしかにめくらでござります」
「わはは。そうか。そうか。目は明いておるが盲目《めくら》であったと申すか。道理で蛤《はまぐり》のような目を致しおったわい。それにしても源七とやらは、とうにもう大川から三|途《ず》の川あたりへ参っている筈じゃ。何の寸志か知らぬが、身共につけ届けするとは不審よのう」
 言っているとき、
「あの、お兄様、またいぶかしい品が届きましてござります」
 声と共に色めき立って姿を見せたのは、妹の菊路です。
「何じゃ。また菓子折か」
「あい。これでござります」
 差出したのを見眺めると同時に、主水之介も京弥も等しくぎょッとなりました。
「御前様へ。吉原三ツ扇屋抱え、誰袖《たがそで》」
 表には、紛れもないあの心中の片われの女の名前が、はっきりと書きしるされてあったからです。
「よくよく不気味なことばかりよのう。取次いだは菊か。そちであったか」
「あい。やさしゅうちいさな声で、ご免下さりませと訪のうた者がござりましたゆえ、出てまいりましたら、式台際に顔の真ッ白い――」
「女か」
「いいえ、女のような男でござります。それも若い町人でござりました。その者がいきなり黙ってこの品を出しまして、殿様に――お兄様によろしゅうと、たったひとこと申したまま、何が怕《こわ》いのやら、消えるように急いで立ち去りましてござります」
「何から何まで解《げ》せぬことばかりじゃ。幽霊なぞがあるべき筈はない。いいや、あッたにしても傷の主水之介、冥土《めいど》から菓子折なぞ受ける覚えはない。まだそこらあたりに姿があるであろう。京弥、追いかけてみい」
「心得ました。菊どの! 鉄扇《てっせん》
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