ぬ江戸名物の退屈男が久方ぶりに帰って来たのであるから、眉間の三日月傷でその顔を見知り越しの駕籠人足共が、わが駕籠に乗せているのを自慢顔に、しきりと景気よく怒鳴りながら走ったからとて不思議のないことでした。
「ほらよう。退《ど》いた! 退いた! 傷の御殿様がお帰りじゃ」
「早乙女の御前様が御帰りじゃ。ほらよう。退いた! 退いた!」
走る。走る。――実に途方もなく大きな声で自慢しながら、威張って走るのです。だから、一緒に駕籠をつらねて走っている妹の菊路が、誂《あつら》えてもなかなかこんなに上等なのはたやすく出来そうにもないわが兄と共々、めでたく江戸へ帰ることの出来たのが限りなくも悦ばしかったと見えて、しきりにはしゃぎながら言ったとても、さらに不思議のないことでした。
「な! 京弥さま、京弥さま。うれしゅうござりまするな。ほんとうにうれしゅうござりまするな」
なぞと先ずうしろの駕籠の京弥によろしく先へ言っておいて、前の駕籠の兄へあとから呼びかけました。
「な! 御兄様! ほら、ごろうじませ! ごろうじませ! 灯が見えまする。江戸の灯が見え出しました。さぞかしおなつかしゅうござりましょう?
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