、どうやら目ざす大和田十郎次のようでした。
「ウフフ、助の字十郎次やりおるな。まてまて、今沼田の正守ひと泡吹かせてやろうわい。早乙女どの、主水之介どの、年はとってもこの位の高塀、乗りこせぬわけではおじゃらぬがな、装束が邪魔になって身の自由が利かぬのじゃ。手伝って下され。――左様々々。どッこいしょ。ほほう、なかなかよい眺めじゃ。では、お先に飛びおりますぞ」
 つづいてヒラリ上がった退屈男共々、難なく二人は塀をのりこえて、屋敷の庭先に侵入すると、臆せずに近よっていったのは、心地よげに百姓達のくくされるのを見眺めていた十郎次の前です。しかも、老神官沼田正守の言い方は、また実に高飛車で、この上もなく不敵でした。
「大和田どの、わざわざと人夫共をお揃え下さって、色々とどうも御足労でおじゃる。急にちと境内《けいだい》に手入を致さねばならぬところが出来申したのでな。早速じゃが、ここにお勢揃いのみなの衆をそっくり頂戴して参りまするぞ。
「なにッ?」
「いや、わしじゃ。わしじゃ。たびたび無心を言うて相済まぬがな。御身がおじい様の八郎次どのから、いつ何時たりとも苦しからずと、有難い遺《のこ》し書《がき》を頂戴しておるゆえ、またまた拝借に参ったのじゃ。では、頂いて参ろうわい。――みなの衆、豊明権現様もさき程からきっとお待ちかねじゃ。遠慮は要りませぬぞ。急いで行かッしゃい」
「まてッ、まてッ、待たッしゃい!」
「御用かな」
「おとぼけ召さるなッ。祖先の御遺訓ゆえ御入用ならば労役人夫やらぬとは申さぬ。決してさしあげぬとは申さぬが、この百姓共には詮議の筋がある。おぬしにはこやつらの手にせる品々、お分り申さぬか」
「これはしたり、九十の坂を越してはおるが、まだまだ両眼共に確かな正守じゃ。鍬をもち、鎌をも構え、中には竹槍|棍棒《こんぼう》を手にしておる者もおじゃるが、それが何と召されたな」
「何と召されたも、かんと召されたもござらぬわッ。かような物々しい品を携《たずさ》え、あの境内に寄り集って、不埓な百姓一揆を起そうと致しおったゆえ、ひと搦めに召し捕ったものじゃ。ならぬ! ならぬ! なりませぬ! この者共を遣《つか》わすこと罷《まか》りならぬゆえ、とッとと帰らッしゃい!」
「いやはや困った御笑談《ごじょうだん》を申さるる御方じゃ。御立派やかな若殿が老人を弄《からか》うものではござらぬわい。一揆の証拠どこにおじゃる。石垣の修築と境内の秋芝刈りを願おうと存じたのでな。みなの衆にもその用意して社殿の裏に集《つど》うて貰うたのじゃ。鍬をお持ちの方々は即ちその石垣係り、鎌を所持の人達は即ち草刈り係り、それから竹槍と棍棒は――」
「何でござる! 何のために左様なもの用意させてござる!」
「狸《たぬき》狩りじゃ。奇態とあの境内へ夜な夜なムジナ、マミの類《たぐい》がいたずらに参るのでな、尊い御神域を修復中にケダモノ共が荒してはならぬと、追ッ払い役に頼んだのじゃ。あははは。では、参るかな。みなの衆も行かッしゃい」
「ならぬ! 罷《まか》りなりませぬ! 境内修復ならばかような夜中にせずともよい筈じゃ。明日という日がござる。なりませぬ! 遣わすこと罷りなりませぬ!」
「これはしたり、名君名主になろうには、もう少し物の道理の御修業が御肝要じゃ。いかにもあすという日がおじゃる。しかしな、民百姓というものは、日のうちこそ大事、大事な日中を使い立て致さば、お身が栄躍栄華《えいようえいが》のもとたる米すら作ることなりませぬ。それゆえ手すきの夜業《よなべ》にと、みなの衆にもお集りを願い、ぜひにもまた今宵お借りせねばならぬのじゃ! 神意は広大、御神罰もまた御広大、崩れた垣のままでいち夜たりとても棄ておかば、御社《みやしろ》預る沼田正守、豊明権現様に御貴殿が御家名安泰の御祷りも出来ぬというものじゃ。では、みなの衆、参りましょうかな!」
「いいや、なりませぬ! 断じてやることなりませぬ! 強《た》って労役人夫入用ならば、当領内にはまだ百姓共が掃く程いる筈、そやつ等を呼び集めさッしゃい。この者共は一歩たりとも屋敷外へ出すことなりませぬ!」
「分らぬ御方じゃな。特にこの方々呼び集めたのは、力も人の一倍、働らきも人一倍でおじゃるゆえ、わざわざえりすぐってお集《つど》いを願うたのじゃ。それゆえ、ぜひにもこの方々でのうては役に立たぬ。それとも――」
「それともなんでござる!」
「いいやな、これ程申してもお用立出来ぬと仰せあるならば、致し方がおじゃりませぬゆえな、今から江戸へ急飛脚飛ばして、寺社奉行様のお裁《さば》きを願いましょうわい。御領内に鎮座まします御社でござるゆえ、御身のものと申さば御身のものじゃが、社寺仏閣の公事《くじ》争い訴訟事は寺社奉行様御支配じゃ。御先祖様が無心徴発苦しからずと仰せのこしておじゃるのに、御身が貸すこと罷りならぬとあらば、江戸お上にお訴え申して、この黒白《こくびゃく》つけねばならぬ。さすれば――」
「………!」
「あははは。ちと雲行がおよろしくござらぬと見えて、俄かにぐッと御|詰《つま》りでおじゃりまするな。いやなに、別段事を荒てとうはござらぬが、おじい様は使えとおっしゃる、お孫殿はならぬと仰せあって見れば止むをえませぬのでな、出るところへ罷り出て、お裁き願うより手段《てだて》はござりませぬわい。さすれば元より軍配のこちらに揚がるは必定、それやかやとお調べがござらば、当屋敷からほこりも出ようし、鼠も出ようし、出ればその何じゃ、自《おの》ずとお上の目も光り、光らば御家断絶とまではきびしいお裁きがないにしても、御役御免、隠居仰付けらる、というような事になり申すと、わしは構わぬが、八郎次どの御霊位に対して御気の毒と思いまするのでな。物は相談じゃが、どうでおじゃるな、断じて罷りならぬとあらば、それはまたそれでよし、お借り願えるものならばなおけっこう。いかがじゃな」
「………!」
「何と召さった。大分歯ぎしりをお噛みのようじゃが、虫歯ならば沼田正守医道の心得がおじゃるゆえ、ことのついでに癒して進ぜましょうかな」
「勝手にさッしゃい!」
「なるほど。では、御借り申してもようおじゃるかな」
「くどいわッ。それほどこの百姓共がほしくば、とっとと連れて行かッしゃい!」
「なるほど、なるほど。御年は若いがさすがに急所々々へ参ると、よく物が御分りでなによりにおじゃる。祖先の御遺訓を守るは孝の第一、神を敬するは国の誉、そなたも豊葦原瑞穂国にお生れの立派な若殿様じゃ。わははは。いやなに、わははは。では、みなの衆、帰ってもよいそうじゃ。お互い物の道理の分る御慈悲深い御領主様を戴いて、倖《しあわせ》でおじゃりまするな。そろそろ参りましょうわい」
「よッ!」
「何じゃな」
「待たッしゃい!」
「ほほう、まだ御用がおじゃりますかな」
「不審な奴があとにおる。そのうしろの深編笠は何者でござる!」
「ははあ、なるほど、これでござるか。この者はな、わしの伜じゃ」
「なにッ。そなたには妻がない筈、それゆえ変屈男と評判の筈じゃ。独身者に子供があるとは何とされた!」
「妻はのうてもわしとて男でござりますわい。若い時に粗相《そそう》をしてな。落《おと》し胤《だね》じゃ、落し胤じゃ。――伜よ。参ろうぞい」
 飛んだ落し胤の主水之介が、また大層もなく心得ているのです。
「父上。思わぬところで旧悪がバレましたな。ウフフ。では、どうぞお先に、うしろから送り狼が五六匹狙うているようでござりますゆえ、ちょッと追ッ払ってから参ります」
 何者か編笠の中の正体を見届けようとつけ狙って来た小者の方へ、ずいと静かにふり向くと、パチンと高く鍔《つば》鳴りをさせました。音が違うのです。腕の出来る者が鳴らすと、同じ鍔鳴りは鍔鳴りであっても、ピーンと冴えて、音が違うのです。
 早くも強敵と知ったか、たじたじとなってうしろに引いたのを、
「わッははは。軍師が違うわ。うしろ楯におつき遊ばす軍師がお違い申すわ。夜食に芋粥《いもがゆ》でも鱈腹《たらふく》すすって、せいぜい寝言でも吐《つ》かッしゃい」
 すういと消えていった主水之介のその影のあとから、くやしげに屋敷の門が音も荒々しく締まりました。

       五

 そうしていち夜があけました。――深い霜の朝です。
 つづいてまたひと夜があけました。――やはりいちめんに深い霜です。
 三日目の朝がさらに訪れました。――満目荒涼いちめんに白々として、やはり深い霜です。
 日光から江戸まではざッと三十里、飛脚でいって、早駕籠で来るならば、三日目のその今日あたりは、もうそろそろ妹菊路が駈けつける頃でした。待つうちに陽がおち、丁度夕方――。
「御老体」
「何じゃな」
「身共にわるい癖が一つござってな」
「なるほど、なるほど。里心がおつき申したか」
「どう仕って。宿までさせて頂いて、いろいろと御造作に預る居候《いそうろう》の身がわがまま言うて相済まぬが、旅に出るとどういうものか身共、三日目に一度位ずつ、塩ものを食さぬと骨放れが致すようでならぬのじゃ。夕食に何ぞよい干物《ひもの》御無心出来ませぬかな」
「ウフフ。これはどうも恐れ入った。口栄耀《くちえいよう》をした天罰《てんばつ》でござりますわい。お直参旗本千二百石取り疵の早乙女主水之介[#「主水之介」は底本では「主水之」と誤植]と言わるるお殿様が、干物を好物とは話の種でおじゃる。と申すものの、実は、ウフフ、この正守もな」
「御好物か」
「恥ずかしながらこの通り、今日は出そうか今日は出そうかと、そなたに気兼ねして実はこの本箱の奥に隠しておいたのじゃ。口の合うたが幸い、早速に用いましょうわい」
 変り者同士の、きくだにまことに胸のすくような団欒《だんらん》でした。程よく焼いて用いるとき、――ピタピタと言う軽い足音が社務所の玄関口に近づいて来たかと思われるや一緒で、訪《おと》のうた声はまさしく銀鈴のような涼しい女の声です。
「お兄様! お兄様! あの、お兄様はどこにござります」
「おお、菊か。菊路か」
「あい、遅なわりました。只今ようやく参着致しましてござります。お早く! お早く! 御無事なお顔をお早く見せて下さりませ」
「まてまて、今参る今参る。ちょっと今大変なのじゃ。今参る、今参る。――そらみい。兄じゃ、よう見い。傷もあるぞ」
「ま! 御機嫌およろしゅうてなにより……。お色つやもずっとよろしくおなり遊ばしましたな」
「うんうん。旅に出ると干物なぞが頂けて食べ物がよろしいのでな。そちも半年《はんとし》見ぬまにずんと美しゅうなったのう」
「もうそのような御笑談ばかり。――あの、それより、あの方も、あの、あのお方も御一緒にお越しなさりました」
「誰じゃ。書面にはそちひとりに参れと書いてやった筈じゃが、あの方とは誰ぞよ」
「でもあの……、いいえ、あの、あの方でござります。京さまでござります。京弥さまでござります」
「なに? ――いずれにおるぞ?」
「その駕籠の向うに……」
 ひょいと見ると、恥ずかしそうにうつむきながら、駕籠の向うにかくれていたのは、まさしく妹菊路の思い人霧島京弥です。
「わッははは、そちもか。もッと出い。こッちへ出い。恥ずかしがって何のことじゃ。ウフフ、あはは。のう京弥、諺《ことわざ》にもある。女子《おなご》の毛一筋は、よく大象《たいぞう》をもつなぐとな。わはは。そちも菊に曳かれて日光詣りと洒落おったな」
「いえ、あの、そのようなことで手前、お伴《とも》をしたのではござりませぬ。長い道中を菊どのおひとりでは何かとお心もとなかろうと存じましたゆえ、御警固かたがたお伴をしたのでござります」
「なぞと言うて、嘘を申せ。嘘を申せ。ちゃんと二人の顔に書いてあるぞ。菊がねだったのやら、そちが拗《す》ねたのやら知らぬが、別れともない、別れて行くはいやじゃ、なら御一緒にと憎い口説《くぜつ》のあとで、手に手をとりながら参ったであろうが喃。ウフフ、あはは。いや、よいよい、京弥までが一緒に参ったとあらば、風情の上になおひと風情、風情を添えるというものじゃ……。のう御
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