ざるな」
「左様々々。その助《すけ》と平《へい》がちと度が強すぎてな。何と申してよいやら、あのようなのも先ず古今無双じゃ。これなる床の軸にも見える通り、御先々代八郎次さまは至っての偉物《えらぶつ》でな、病気平癒の祈願を籠めてさしあげたは、かく言う沼田正守がまだ壮年の砌《みぎり》のことじゃ、それ以来当豊明権現を大変の御信仰で、あの一札にもある通り、貢納米《ぐのうまい》から労役人夫、みな行き届いた御仕方じゃ。なれども御三代の当主と来ては、いやはや何と言うか、売家《うりいえ》と唐様で書く三代目どころの騒ぎではござりませぬわい。今のその目篇がちときびしすぎてな、江戸の女共を喰いあきたせいでおじゃるのか、それともまた田舎育ちの土女共が味変り致してよいためでおじゃるのか、どちらがどうやら存ぜぬことじゃが、所労保養《しょろうほよう》のお暇を願ったとやらにて、ぶらりとこの月初めに知行所へお帰り召さったのじゃ。ところが、もうそのあくる日からちょくちょくと早速にあれをお始めでござるわい。それとても、いやはや、もう論外でな、きのうまでに丁度十一人じゃ」
「と申すと?」
「人身御供《ひとみごくう》におシャブリ遊ばした女子《おなご》が都合十一人に及んだと申すのじゃ。娘が六人、人妻が三人、若後家が二人とな、いずれもみめよい者共をえりすぐって捕りあげたのは言うまでもないことじゃが、憎いはそれから先じゃ。十一人が十一人、人妻までも捕りあげて屋敷の広間に監禁した上、なおそれでも喰いあきぬと見えて、この次は何兵衛の娘、その次は何太郎の家内と、御領内残らずの女共の中から縹緻《きりょう》よしばかりをえりすぐって、次から次へと目星をつけているゆえ、領民共とて、人の子じゃ、腹立てるのは当り前でおじゃりますわい。それゆえ、つまり――」
「一揆の談合をこの境内でしたと申さるるか」
「左様々々。ひと口に申さばまだ談合中じゃが、相談うけたのが、何をかくそうこのわしなのじゃ。同じ御領内に鎮守の御社《みやしろ》を預かって、御家繁昌御家安泰を御祈願すべき神主が、由々敷一揆の相談うけたときかばさぞかし御不審でおじゃろうが、拙者、ちと変り者でな。神にお仕え申すこの職は、親代々の譲りものゆえ嫌いではおじゃりませぬが、それより好物はこの本じゃ。それから骨じゃ。別して医の道は大の好物ゆえ、御領内みなの衆にあれやこれやと医療を授けているうちに、何かと相談を持ち込むようになったのじゃ。それゆえ、一揆起すについても先ずわしに計ってと、あの通り大挙して参ったところを、御領主方でも知ったと見える。先程のあの鳥刺しめ、まさしく大和田十郎次どのから秘密の言い付けうけて参った者に相違ござらぬが、あやつめが四たび五たびとしつこく隙見《すきみ》して、何か嗅ぎ出そうと不埓な振舞いに及んだゆえ、脅《おど》しつけようと飛んで出たところへ、貴殿がふらふらと迷ってお出なすったという次第じゃ。それから先は御存じの通り、――それにつけても沼田正守、当年九十一蔵に至るまでまだ一度も女子《おなご》に惚《ほ》れたことはおじゃらぬが、男の尊公ばかりにはぞッこん参りましたわい。それ故にこそ由々敷大事の秘密まで打ちあけてのお願いじゃ。一揆を起すか刺し殺すか、どうあっても十郎次どのに今日のごとき非行お改めなさるよう、御意見申上げねばならぬ。いかがでおじゃろう、強《た》ってとは申さぬ。同じお直参のよしみもござろうゆえ、旗本八万騎にその位は当り前と、十郎次どのに御味方なさるならばなさるで、それもよし、少しなりとこのおやじに見どころがござらば、先程とくと拝見仕った尊公のあのお腕前と御胆力、少々御用立て願いたいのじゃ。否か応か御返答いかがでおじゃる」
「なるほど、事の仔細も御所望の筋もしかと分り申した。もしこの主水之介が否と申さば?」
「知れたこと、この場に先ず御貴殿を血祭りに挙げておいて、老体ながら沼田正守、一揆の一隊引具し、今宵にも御領主の屋敷に乱入いたし、力弱き農民百姓達を苦しめる助の平の大和田十郎次めにひと泡吹かすまででおじゃるわ」
「わはは。いや、面白い面白い。身共を先ず血祭りに挙げるとはさも勇ましそうに聞えて、ずんと面白うござりますわい。老いてもなお負けぬ気な、その御気性、主水之介近頃いちだんと気に入ってござる。ましてや世の亀鑑《きかん》たるべき旗本中にかかる不埓者《ふらちもの》めが横行致しおると承わっては、同じ八万騎の名にかけて容赦ならぬ。いかにも身共、御所望の品々御用立て仕ろうぞ」
「なに! 御力となって下さるか。忝《かたじけ》けない、忝けない。ほッと致して急に年が寄ったようじゃ。みなの衆もさぞかし躍り上がって悦びましょうゆえ、早速事の仔細を知らせてやりましょうわい」
「いや、待たれよ。待たれよ。お待ち召されよ」
 欣々《きんきん》として駈け出そうとした老神主を静かに呼びとめると、早乙女主水之介なかなかに兵法家でした。
「百姓共を悦ばすはよいが、十郎次と身共面識があるだけに、懲《こ》らしめる方法をちと工夫せずばなるまい。十一人とやらの女子供はいずれもみな一室に閉じこめて見張り中でござろうな」
「見張りどころか、まるで屋敷牢でござりますわい。しかもじゃ、十郎次の助の字、掠《かす》めとった女子供《おんなこども》はいずれも裸形にしてな、夜な夜な酒宴の慰みにしているとやらいう噂ゆえ、百姓達が殺気立って参ったは当り前でおじゃりますわい」
「いかさまのう。聞いただけでも眉間傷が疼々《うずうず》と致して参った。しかし、事は先ず女共を無事に救い出すが第一じゃ。いきなり身共が乗り込んで参らば面識ある者だけに、十郎次、罪のあばかれるのを恐れて女共を害《あや》めるやも知れぬゆえ、それが何よりの気懸りじゃ。二つにはまたわるい病の根絶やしすることも必要じゃ。今は身共の力で懲《こ》らしめる事は出来ても、この先たびたび病気が再発するようならば、仏作って魂入れずも同然ゆえ、利きのいい薬一服盛ってつかわしましょうぞ。百姓共のうちに足の早い者二三人おりませぬか」
「おる段ではない。何にお使い召さる御所存じゃ」
「江戸への飛脚じゃ。おらば屈強な者を二人程御連れ願えぬか」
「心得申した。すぐさま選りすぐって参りましょうわい」
 まもなくそこへ見るからに精悍《せいかん》そうな若者が伴われて来たのを待たしておくと、さらさらと書き流したのは次のごとき一書でした。

 主水之介至極無事息災じゃ。旅は江戸よりずんと面白いぞ。さて、そなたに火急の用あり。飛脚に立てたるこの者共を道案内に、宿継《しゅくつ》ぎの早駕籠にて早々当地へ参らるべし、お待ち申す。
[#下げて、地より2字あきで]疵の兄より
   菊路どのへ

 不思議です。いかなる策を取ろうというのか。飛脚の送り主は愛妹菊路でした。あの美男小姓霧島京弥にその愛撫をまかせて、るす中存分に楽しめと言わぬばかりに粋な捌《さば》きを残しながら江戸の屋敷を守らせておいた、あの妹菊路なのです。
「すぐ行け。ほら、路銀じゃ。二十両あらば充分であろう。夜通し参って、夜通し連れて参るよう、金に絲目をつけず手配せい」
 その場に発足《ほっそく》させておくと、老神主に伝えさせました。
「鳴りを鎮めて容子を窺うことが上策じゃ。一揆は国の御法度、ひとりなりとも罪に問わるる者があっては身共が折角の助力も水の泡ゆえ、その旨《むね》百姓共にとくと言いきかせて、すぐさま引き揚げるよう御伝えさッしゃい」
 心得たとばかり駈け出そうとしたその刹那! わッと言うけたたましい喊声《かんせい》が挙ると同時に、何事か容易ならぬ椿事でもが勃発したらしく、突然バタバタと駈け違う物々しい人の足音が、社殿のうしろから伝わりました。いや、それと一緒です。ざんばら髪に、色青ざめた農民のひとりが社務所の中へ駈け込んで来ると、息せき切って伝えました。
「やられました! やられました! あいつめが、あの鳥刺しの奴めが密訴したに違げえねえんです! 御領主様が捕り方を差し向けましたぞッ。一揆の相談するとは不埓な百姓共じゃと怒鳴り散らして、三十人ばかりの一隊が捕って押えに参りましたぞッ」
「なにッ――」
 老神官正守は言うまでもないこと、退屈男も期せずして愕然《がくぜん》と色めき立ちながら、同時に突ッ立ちあがりました。――だが、事に当って泰然自若、つねに思慮分別沈着を失わないのが主水之介のほめていいところです。――押ッ取り刀で今二人が飛び出せば、農民共は気勢を揚げて、争いを大きくするに違いない。大きくすれば味方に怪我人の出るのは言うまでもないこと、捕り手のうちにも殺戮《さつりく》される者が出るに違いない。事、ひとたび流血沙汰に及んだとすれば、農民達にいか程正義正当の理由があったにしても、士農工商、階級の相違、権力の相違が片手落ちならぬ片手落ちの裁きをうけて、結局悲しい処罰をうけねばならぬ者は、正しいその農民達なのです。――途は一つ! 只一つ! 事を荒立てないで、怪我人も出さず、科人《とがにん》も作らず、未然にすべてを防ぐ手段《てだて》を講ずる以外には何ものもないのです。しかも事実は、談合協議こそしていたが、まだ一揆の行動に移ったわけではないのでした。いかにすべきか? ――考えているその目のうちに、はしなくもちらりと映ったものは、床の間に掛けてあるあの一軸です。
「ウフフ。策はあるものじゃ。待たれよ! 待たれよ! お待ち召されよ!」
 ねじ鉢巻に股立《ももた》ちとって、手馴れの短槍小脇にしながら気色ばんで駈け出そうとした、老神主を鋭ぐ呼びとめると、静かに言ったことでした。
「行ったら危ない。捕らせてやらっしゃい。あとからすぐにそっくり頂戴に参らばようござるわい」
「………?」
「お分りでござらぬか。あれじゃ。あれじゃ。あの大和田八郎次どのお残しの一書じゃ。労役人夫必要の時あらばいか程たりとも微発苦しからずと、子々孫々にまで言いきかせてござるわい。すぐにあとから追っかけて参って、引かれていったあの者共をそっくり頂戴して参るのよ」
「いやはや、なる程。わしも軍学習うたつもりじゃが、若い者の智慧には敵わぬわい。ようおじゃる。ゆるゆるひと泡吹かしてやりましょうわい」
 塵を払って、白髯をなでなで至極取り澄ましながら出て行くと、老神官は大きく呼ばわりました。
「みなの衆、行かッしゃい! 行かッしゃい! あとは沼田正守、きっと御引受け申すゆえ、おとなしゅう引かれて行かッしゃい!」
 ざわざわとやや暫し農民達のざわめきがつづいていたが、いずれも心に何事か察するところがあったと見えて、まもなく捕り方達に引かれて行く静粛な足音がきこえました。

       四

 表はすでにもうとッぷり暮れ切って、時刻は丁度宵六ツ下り。そうしてポツリポツリと、糠《ぬか》のようなわびしい秋時雨でした。
 それゆえにこそ表はさらに暗い。顔をかくし、姿をかくして、どこの何者か知られぬためには勿怪《もっけ》もない宵闇なのです。
「身共もお供仕る。そろそろ参りましょうぞ」
「待たッしゃい。待たッしゃい。こういう事は威厳をつけぬと兎角利き目が薄いでな。装束を着けて参ろうわい」
 沼田正守はなかなかに人を喰った変り者でした。物々しい神主の表装束に着け替えるのを待ちうけて、二人はただちにあとを追いかけました。――道は八丁あまり。
 うしろに嶮しい山を控えて、屋敷はさすがに知行高二千八百石の名に恥じない御陣屋風の広大もない構えでした。
「おう、御手柄じゃ。御手柄じゃ。手もなく曳いて参ったようじゃな。みなで何名じゃ」
「五十七名でござります」
「左様か、不埓な奴らめがッ。百姓下民の分際《ぶんざい》で、領主に逆らい事致すとは何ごとじゃッ。生かすも気まま、殺すも気まま、その方共百姓領民は、当知行所二千八百石に添え物として頂いた虫けらじゃ。不埒者達めがッ。明朝ゆるゆる成敗してつかわそうゆえ、見せしめのために、ひとり残らずくくしあげて、今宵ひと夜、この庭先で雨曝《あまざ》らしにさせい」
 ぴったり閉め切った門の中で、声も威丈高に罵っているのは
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