旗本退屈男 第七話
仙台に現れた退屈男
佐々木味津三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仙台《せんだい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)仙台|伊達《だて》
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       一

 ――第七話です
 三十五反の帆を張りあげて行く仙台《せんだい》石《いし》の巻とは、必ずしも唄空事《うたそらごと》の誇張ではない。ここはその磯節にまでも歌詞滑らかに豪勢さを謳《うた》われた、関東百三十八大名の旗頭《はたがしら》、奥羽五十四郡をわが庭に、今ぞ栄華威勢を世に誇る仙台|伊達《だて》の青葉城下です。出船入り船帆影も繁き石の巻からそのお城下までへは、陸前浜街道《りくぜんはまかいどう》を一本道に原ノ町口へ抜けて丁度十三里――まさかと思ったのに、およそ退屈男程気まぐれな風来坊も稀でした。身延から江尻の港へふらふらと降りて見たところ、三十五反の真帆張りあげた奥地通《おうちがよ》いの千石船が、ギイギイと帆綱を渚《なぎさ》の風に鳴らしていたので、つい何とはなしに乗ったのが持病の退屈払い。石の巻に来て見るとこれがまた、そぞろ旅情もわびしく、なかなかにわるくないのです。ないところから、のっしのっしと浜街道を十三里ひと日にのし切って、群《むれ》なす旅人の影に交りながら、ふらりふらりとお城下目ざして原ノ町口に姿を現しました。
 陸奥路《むつじ》は丁度夏草盛り。
 しかし陸奥《みちのく》ゆえに、夏草の上を掠《かす》めて夕陽を縫いながら吹き渡る風には、すでに荒涼《こうりょう》として秋の心がありました。――背に吹くや五十四郡の秋の風、と、のちの人に詠《よ》まれた、その秋の風です。
 城下に這入って、釈迦堂脇《しゃかどうわき》から二十人町、名掛町《なかけまち》と通り過ぎてしまえば、独眼竜伊達《どくがんりゅうだて》の政宗《まさむね》が世にありし日、恐るべきその片眼を以て奥地のこの一角から、雄心勃々として天下の風雲をのぞみつつ、遙かに日之本六十余州を睥睨《へいげい》していたと伝えられる、不落難攻の青葉城は、その天守までがひと目でした。町もまたここから急に広く、繁華もまた城下第一と見え、随って旅人の群も虫の灯《ひ》に集るごとくに自ずと集《つど》うらしく、両側は殆んど軒並と言っていい程の旅籠屋《はたごや》ばかりです。
 だから旅籠の客引きが、ここを先途と客を呼ぶのに不思議はないが、それにしてもその騒々しさと言うものはない。
「いかがでござります。エエいかがでござります。手前のところは当城下第一の旅籠屋でござります。夜具は上等、お泊り貸は格安、いかがでござります。エエいかがでござります」
「いえ、わたくしの方も勉強第一の旅籠でござります。座スクはツグの間付きの離れ造り、お米は秋田荘内の飛び切り上等、御菜も二ノ膳つきでござります。それで御泊り賃はたった百文、いかがでござります。エエいかがでござります」
「いえいえ、同ズことならわたくス共の方がよろしゅうござります。揉み療治按摩は定雇《じょうやと》い、給仕《きゅうズ》の女は痩せたの肥ったのお好み次第《スだい》の別嬪《べっぴん》ばかり、物は試スにござりますゆえ、いかがでござります。欺《だま》されたと思うて御泊りなされませ。エエいかがでござります」
 だが、少し奇怪でした。ほかの旅人達には、歩行も出来ぬ程客引き共がつけ廻って、うるさく呼びかけているのに、どうしたことかわが早乙女主水之介のところへは、ひとりも寄って来ないのです。客としては元より上乗、身分素姓は言うまでもないこと、お茶代宿料およそ金銭に関わることなら、お直参旗本の極印打った金の茶釜が掃く程もあるのに、目の高かるべき筈の客引き共が、この折紙つきの由々敷上客を見逃すというのは、まことに不思議と言わねばならないことでしたから、退屈男はいぶかしく思って番頭のひとりのところへのっそり近づくと、
「のう、こりゃ下郎!」
 ジロリとやって貫禄豊かに、のうこりゃ下郎、とやりました。海越え山越え坂越えて、奥州仙台陸奥のズウズウ国までやって来ても、自ずと言うことが大きいから敵《かな》わないのです。
「のう、こりゃ下郎!」
「………?」
「下郎と申すに聞えぬか。のう、これよ町人!」
「へ?……」
「へではない、なぜ身共ばかりを袖にするぞ? いずれはどこぞへ一宿せねばならぬ旅の身じゃ。可愛がると申さば泊ってつかわすぞ」
「えへへ。御笑談《ごじょうだん》で……。御縁がありましたらどうぞ。――あのもスもス! 商人衆《あきんどしゅう》!」
 対手にもせずに退屈男を鼻であしらっておいて、碌でもなさそうな商人達が通りかかったのを見かけると、
「お泊りはいかがでござります。堅いがズ慢の宿でござります。御相宿《おあいやど》なら半値に致スまするがいか
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