がでござりまする」
しきりと慇懃《いんぎん》に揉み手をしながら、天下の御直参もまるで眼中にないもののような容子でした。
「わははは。言葉もズウズウで少し人間放れが致しておるが、旅籠もちと浮世放れ致しおる喃。いやよいわよいわ。泊めぬと申すなら泊める家《うち》まで参ろうぞ。――これよ。そちらの町人! 西田屋の番頭!」
襟に西田屋と染めぬいた隣りの客引きを鷹揚《おうよう》にさし招くと、これもまた一興というように打ち笑みながら呼びかけました。
「そちのところも身共ばかりには、色目一つ使わぬようじゃが、やはり泊めぬと申すか。泊めて見ればこのお客、なかなかによい味が致すぞ。どうじゃ。いち夜泊めて見るか」
「いえ、あの、御勘弁下さいまし。滅相もござりませぬ。どうぞこの次に願いとうござります」
「異なことを申す奴等じゃ喃。わははは。さてはこの眉間《みけん》の疵に顫えておると見ゆるな。よいよい。それならほかをばきいてやろうぞ。――白石屋! 白石屋! そちらの下郎!」
「へえ……!」
「その方のところはどうじゃ。眉間に少し怕《こわ》そうな疵痕があるにはあるが、優しゅうなり出したとならば、女子《おなご》よりも優しゅうなる性《たち》ゆえ怕がらないでもよい。宿銭も二三百両が程は所持致しておるぞ。どうじゃ、泊めて見るか」
「いえ、あの相済みませぬ。どうぞ御見逃し下さいまし。手前共もこの次にお泊り願いとうござります」
なぜかしどろもどろとなって、うろたえ脅《おび》えながら、逃げるように向うへ走り去りました。――まことに奇怪と言うのほかはない。ひとりならず居合わした客引きはいずれもみな、何のかのと逃げを張って泊めようとすらもしないのです。主水之介の不審は急に高まりました。
何か仔細がなくてはならぬ。
何か秘密がなくてはならぬ。
いぶかっているとき――、
「お気の毒なことでござりまするな。旦那様、旦那様」
不意にうしろから呼びかけた声があったかと思われるや同時に、その横丁へ曲り角の千種屋《ちぐさや》と灯行燈《あかりあんどん》の見える旅籠の中から、揉み手をしいしい腰を低めて近づいて来たのは、すっきり垢ぬけのした年の頃もまだ若そうな番頭です。――はッと思って見眺めた刹那! 揉手はしているが眼の配りが尋常でない。腰もいんぎんに低めているが体の構えにも隙がない。しかし、そう見えたのは気のせいだったか、僻目《ひがめ》だったか、番頭は人のよさそうな顔つきでにこにこしながら退屈男の傍へ近づいて来ると、物軟かに言いました。
「折角お越しなさいましたのに、宿がのうて御困りでござりましょう。およろしかったら手前のところにどうぞ――」
「………?」
「いえ、あの決して胡乱《うろん》な旅籠ではござりませぬ。遙々御越しなさいました旅のお方が御泊りの宿ものうては、さぞかし御困りと存じまして申すのでござります。およろしかったら手前のところでお宿を致しまするでござります」
言うのを黙然として退屈男はじッと見守りました。やはり気のせいでもない。僻目《ひがめ》でもない。番頭のまなざしのうちにはたしかに鋭い嶮があるのです。咄嗟のうちにそれを看破った主水之介の眼光も恐るべきだが、しかし男はさらに巧みでした。どう見ても人のよい番頭としか見えぬような、物軟かさでいんぎんに腰を低めながら促しました。
「いかがでござりましょう! お殿様方に御贔屓《ごひいき》願いますのも烏滸《おこ》がましいようなむさくるしい宿でござりまするが、およろしくば御案内致しまするでござります」
「泊るはよい。泊れと申すならば泊ってつかわすが、それにしてもちと不審じゃな」
「何が御不審でござります」
「他の旅籠では申し合わせたように身共を袖に致しておるのに、そちの宿ばかり好んで泊めようと言うのが不審じゃと申すのよ。一体どうしたわけじゃ」
「アハハハ。そのことでござりまするか。御尤も様でござります。いえなに仔細を打ち割って見れば他愛もないこと、御武家様をお泊め申せばお届けやら手続きやら、何かとあとで面倒でござりますゆえ、それをうるさがってどこの宿でも体よくお断りしているだけのことでござりまするよ」
「異な事を申すよ喃。二本差す者とても旅に出て行き暮れたならば宿をとらねばならぬ。武家を泊めなば何が面倒なのじゃ。それが昔から当仙台伊達家の家風じゃと申すか」
「いえ、御家風ではござりませぬ。そのような馬鹿げた御家風なぞある筈もござりませぬが、どうしたことやら、近頃になって俄かに御取締りがきびしゅうなったのでござります。御浪人衆は元より御主持ちの御武家様でござりましょうとも、他国より御越しのお侍さまはひとり残らず届け出ろときつい御達しでござりましてな、御届け致しますればすぐさま御係り役人の方々が大勢してお越しのうえ、宿改めやら御
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