ぐっと高まりました。
他国者の武家ばかりをきびしく吟味すると言う不審。
よその宿はみな恐れをなしているのに、この千種屋ばかりは好んで客とした不審。
いざなっていった男が只の客引きかと思われたのに、亭主らしい不審。
その不審な男のひと癖ありげな眼の配り、体の構えの油断なさ。
そうして年若い女将《おかみ》のしんしんと冷え渡るような寂しさに、今の脅えた面《おも》ざし。
「どうやら火の手はこの家から揚りそうじゃな。のう番頭!」
「は?……」
「いや、こちらのことよ。食物は諸事ずんと贅《ぜい》をつくしてな。なに程|高価《こうじき》なものとても苦しゅうない。充分に用意いたせよ」
事起らばそれまた一興、不審の雲深ければさらに一興、いっそ退屈払いになってよかろうぞと言わぬばかりに、のっしのっしと通って行くと、不敵な鷹揚《おうよう》さを示して命じました。
「当家第一の座敷がよかろう。上段の間へ案内《あない》せい」
「は。おっしゃりませいでもよく心得てでござります」
然るに対手は心得ていると言うのです。宿改め身分調べに伊達家家中の面々が押し入って来たら、直参旗本の威権を以て、その上段の間に悠然と陣取りながら、眼下に陪臣共《またものども》を見下《みおろ》して、一喝の下にこれを撃退してやろうと思って命じたのに、亭主とも見え番頭とも思われるその男はさながらに、主水之介の何者であるかもちゃんと知っているかのごとくに、よく心得ていると言うのでした。いや心得ていたばかりではない、極彩色したる一間通しの四本襖に物々しく仕切られた、その上段の間へ導いて行くと、事実何もかも心得ているかのように取り出したのは、綿の十貫目も這入っているのではないかと思われるような緞子造《どんすづく》りの、ふっくらとした褥《しとね》です。それから刀架《とうか》に脇息《きょうそく》――。
「その方なかなかに心利いた奴じゃな。小姓共のおらぬがちと玉に瑾《きず》じゃ。ふっくらいたして、なかなか坐り心地がよいわい」
気概五十四郡の主を呑むかのごとくに、どっかと座を占めると、何思ったかふいッと命じました。
「板を持てッ。看板に致すのじゃ。何ぞ一枚白木の板を持って参れッ」
程たたぬまにそこへ命じた白木《しらき》の板が運ばれたのを見すますと、たっぷり筆に墨を含ませて書きも書いたり、奔馬《ほんば》空《くう》を行くがごとき達
前へ
次へ
全22ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング