い法蓮華囃子《ほうれんげばやし》が、谷々に谺《こだま》しながら伝わりました。それと共に女の姿も一歩一歩と近づきました。――と思われた刹那! 気がついたに違いない、俄かに女が急ぎ出したのです。
 だが京から三河、三河からこの身延路へと退屈男の健脚は、今はもうスジ金入りでした。
「もし、お女中!」
 すいすいと追いついて肩を並べると、ギロリ、目を光らしながら先ずその面を見すくめました。然るに、これがどうもよろしくない。
「ま!……やはりお山へ!」
 追いつかれたらもう仕方がないと思ったものか、馴れがましく言いながら嫣然《えんぜん》としてふり向けたその顔は、侮《あなど》り難い美しさなのです。加うるに容易ならぬ風情《ふぜい》がある。匂やかに、恥じらわしげに、ぞっと初《う》い初いしさが泌み入るような風情があるのです。
「ほほうのう」
「は?……」
「いやなに、何でもない。おひとりで御参詣かな」
「あい……。殿様もやはりおひとりで?」
「左様じゃ。そなたもひとり身共もひとり――あの夜のお籠りがついした縁で、といううれしい唄もある位じゃ。どうじゃな、そなたとて二人して、ふた夜三夜しっぽりと参籠致しますかな」
「いいえ、そんなこと、――わたしあの、知りませぬ」
 くねりと初い初いしげに身をくねらして、パッと首筋迄も赤らめたあたり、三十年増が化けたものなら正に満点。――然し退屈男の眼はそのまにもキラリキラリと鋭く光りつづけました。掏摸《すり》とった小判はどこに持っているか? 胸の脹らみ、腰の脹らみ? だが、腰にも胸にも成熟した娘の匂やかさはあっても、小判らしい包みはないのです。ないとしたら――あの手をやったのだ。スリ取った金は途中で道のどこかにかくしておいて、ひと目のない時に掘り出す彼等の常套手段を用いているに違いないのです。――退屈男は、軽く微笑しながら掏摸《す》る機会を与えるように、わざと女の側へ近よると、懐中ぽってりふくらんでいる路銀の上をなでさすりながら、誘いの隙の謎をかけました。
「どうも小判はやはり身の毒じゃ。母様がな、きつい日蓮信者ゆえ、ぜひにも寄進せいとおっしゃって二百両程懐中致してまいったが、腹が冷えてなりませぬわい。――ほほう、襟足に可愛らしいウブ毛が沢山生えてじゃな。のう、ほら、この通り、男殺しのウブ毛と言う奴じゃ。折々は剃らぬといけませぬぞ」
「わたし、あの…
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