上の付き合い、道中の費用なぞ、いたずらに三万石並の失費が嵩《かさ》むばかりで、実際の収入はその十分の一の三千石にも足らない微禄だったところから、次第次第にふところ工合が怪しくなり出しました。しかしそれかといって、東照権現家康公のお母方につながる徳川御連枝中の御連枝なる名家が、まさかに無尽《むじん》を作って傾きかけた家産を救うことも出来ないところから、思い余ってその窮状を三代将軍家光公に訴えました。公は至っての御血筋思い、甚だこれを不憫《ふびん》に思召されて、忽ち書き与えたのが次のごとき御墨付です。
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「長沢松平家は宗祖《そうそ》もこれをお目かけ給いしところ、爾今諸大名は、東海道を上下道中致す場合、右長沢家に対して、各その禄高に相当したる挨拶あって然る者也。――諄和《じゅんな》、奨学両院《しょうがくりょういん》の別当、征夷大将軍、源家光」
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という物々しい一|札《さつ》なのです。まことにどうもこのお墨付の、相当したる挨拶というその挨拶の二字くらい、おびただしく意味深長な文字はない。征夷大将軍が城持ち大名に対《むか》って特に挨拶せいとのお声が
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