さくざ》、どへんなしの天野三郎兵衛と、そのかみ三河ッ児の洒落たのが舂引音頭《うすひきおんど》に作って、この一角を宰領した三奉行の高力与左衛門、本多作左衛門、天野三郎兵衛の奉行ぶりを、面白おかしく唄いはやしたのは遠い昔のことです。と言うところの意味は、神君家康、甚だ人を用うるに巧みで、いわゆる三河奉行の名のもとに、右の高力、本多、天野の三人をその奉行に任じ、三人合議の三頭政治を執り行わしめたところ、この高力が底なしの沼のような果て知れぬ善人で、本多の作左がまた手もつけられぬやかまし屋で、その真中にはさまった天野三郎兵衛が、また薄気味のわるい程の中庸《ちゅうよう》を得たどっちつかずの思慮深い男であったところから、公事訴訟《くじそしょう》一つも起らず治績また頗る挙ったために、領民共その徳風に靡いて、いつのまにか前記のごとく、御領主様は智慧者でござる。仏高力、鬼作左、どへんなしの天野三郎兵衛と、語呂面白く舂引唄に作って唄いはやしたと今に古老の伝うるところですが、いずれにしてもこの一国は、江戸徳川にとって容易ならぬ由緒の土地であると共に、わが退屈男早乙女主水之介たち、譜代直参の旗本八万騎一統にと
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