じゃ。自得の馬術と思わるるがなかなか見事であるぞ。馬も宇治川先陣の池月《いけづき》、磨墨《するすみ》に勝るとも劣らぬ名馬じゃ」
「………」
「そこ、そこ、そこじゃ、流れの狭いがちと玉に瑾《きず》じゃな。いや、曲乗《きょくの》り致したか。見事じゃ、見事じゃ、ほめとらするぞ」
しきりに興を催しているとき、再び耳を打ったのは、街道の向うから近づいて来た蹄の音です。てっきり、それも同じような若者であろうと察して、ひょいとふり返って見眺めると、だが、馬上せわしく駈け近づいて来たのは、どこかの藩士らしい旅侍でした。しかも二人、その上何の急使かその二騎が、また変に急いでいるのです。急いで一散に街道を東へ轡《くつわ》を並べながら、丁度そこの洗い馬の岸辺近くまでさしかかって来た刹那――、全く不意でした。それまで背の上の主人共々、心地よげに水を浴びていた黒鹿毛が、突然高くふた声三声|嘶《いなな》くと、背に若者を乗せたまま、抑え切れぬ感興をでも覚えたかのように、さッと岸辺に躍り上がりながら、今し街道を東へ駈けぬけようとしている旅の二騎目ざして、まっしぐらに挑《いど》みかかりました。
「黒! 黒! どうしたんだ! 静かにせんか! 静かにせんか! 何をするのじゃ! 何をするのじゃ!」
必死に手綱引きしめて声の限り制したが、事の勃発《ぼっぱつ》する時というものは仕方がない。さながら狂馬のごとくに鬣逆《たてがみ》立てながら、嘶《いなな》きつづけて挑みかかったと見るまに、疾走中の早馬は、当然のごとく打ちおどろいて、さッと棒立ちになりました。と同時です。馬上の二人がまた二本差す身でありながら、あまり馬術に巧みでなかったと見えて、あッと思った間に相前後しながら、竿立ちになったその馬の背から、もんどり打って街道の並木道に、蛙のごとく叩きつけられました。
二
「伸びたか。面倒なことになりそうじゃな」
同時に退屈男もそれと知るや、早くも事のもつれそうなのを見てとって、手にしていた釣竿をゆらりゆらりとしなわせながら、のっそりと立ち上がりました。まことにまたこの位、面倒なことになってはなるまいと願っても、ならないではいられない出来事というものもないのです。一方は農夫、一方は切捨御免、成敗勝手次第のお武家である上に、挑みかかった方が、また一刀両断、無礼打ちにされても文句の言えぬその農民の農馬であってあれば、結果は元より歴然。――だが不審なのは、それまで殊のほか温順だった黒鹿毛が、なにゆえにかくも狂おしく弾《はず》み出したか、その原因が謎でした。不思議に思ってのっそり歩みよりながら、よくよく見|眺《なが》めると、無理ない。まことに天地自然|玄妙《げんみょう》摩珂《まか》不思議、畜生ながら奴等もまた生き物であって見れば甚だ無理がないのです。竿立ちになって躍《おど》り上った二頭の早馬は、なんと剛気なことにも、二頭共々々揃いに揃って、あやかに悩《なや》ましい牝馬《めうま》なのでした。しかも挑みかかった黒鹿毛がまた、いちだんと不埒《ふらち》なことには、かしこのあたりも颯爽として、いとも見事な牡馬《おうま》なのです。
「わははははは、左様か左様か。畜生共に恋風が吹きおったかい。わははは、わははは。道理でのう、道理でのう、いや、無理もないことじゃ、牝と牡なら至極無理もないことじゃ」
カンカラと声を立てて退屈男は、傍若無人に笑いました。しかし、笑っていられないのはふり落された二人です。退屈男のその大笑いを、己れ達に加えられた嘲笑とでも勘違いしたのか、果然その満面に怒気を漲らせると、身も心もないもののように只おろおろと打ち慄えていた若者の近くへ、大刀をひねりひねり歩みよりながら、鋭くあびせかけました。
「出いッ、百姓! 前へ出い!」
「相すみませぬ。ご勘弁なすって下さいまし。これがわるいのです、この、黒めが、黒の奴がわるいのです。お許し下されまし。どうぞ御勘弁なすって下さいまし……」
「馬、馬、馬鹿を申すなッ。馬のせいにするとは何ごとじゃ! 己れが乗用致す馬が暴れ出さば、御する者がこれを制止すべきが当り前、第一下民百姓の分際で、武士が通行致す道先に、裸馬など弄ぶとは無礼な奴じゃ! 出い! 出い! 前へ出い! 覚悟があろう! 神妙に前へ出い!」
「そ、そ、そこをどうぞ御勘弁なすって下さいまし。このような下郎風情を斬ったとても、お刀の汚れになるばかりでござります。以後充分に気をつけますゆえ、お許し下さいまし。不憫《ふびん》と思うてお見のがし下さいまし……」
「ならぬわッ。武士にかような恥掻かした上は、下郎なりともその覚悟がある筈じゃ! 泣きごと言わずと前へ出いッ、潔よう前へ出いッ」
どうでも無礼討ちに成敗せねば、醜態を演じた己れ達の面目が立たぬと言わぬばかりに、蟀谷《
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