にござります。いつもながら御健勝に渡らせられまして、恐悦に存じまする……」
「おお、土佐侯でござったか。いや、恐縮じゃ恐縮じゃ――」
主侯は誰でもない南海土佐二十二万石の太守山内侯でした。だが、どうやら土佐侯は、そのお見込も上乗、道中神妙番付面に於ても上位の方にあるらしく、ぐずり松平の御前至って御機嫌であったのは、むしろ心よい位です。
「御身がこん日、御道中とは一向に心得ざった。お構いなく、お構いなく――」
「有難い御言葉、却って痛み入りましてござりまする。いつもながらの御清興、お羨《うらや》ましき儀にござります」
「いや、なになに、それ程でもない。近頃年を取ったか、とんと気が短うなって喃《のう》。禅《ぜん》の修行代《しゅぎょうがわ》りにと、かようないたずらを始めたのじゃ。時に江戸も御繁昌かな」
「はっ、近年はまた殊のほかの御繁昌にて、それもみな上様の御代《みよ》御泰平のみしるし、恐れながら土州めも、わがことのように喜ばしゅう存じあげておりまする儀にござります。これなるは即ち、その江戸よりのお手土産、御尊覧に供しまするもお恥ずかしい程の品々にござりまするが、何とぞ御憐憫《ごれんびん》を持ちまして御嘉納《ごかのう》賜わりますれば恐悦にござりまする……」
近侍の者に捧持させて、何よりも先ずそれが事の第一と言わぬばかりに、土州侯が恭々しく運ばせたのは、けっこうやかな島台にうず高く盛りあげた土産の品の数々です。曲※[#「※」は「祿−示」、第3水準1−84−27、146−上−12]《きょくろく》の上からその品々を見るような見ないようなおまなざしで、いとも鷹揚《おうよう》にじろりとやると、おっしゃったお言葉がまた、この上もなく松平の御前らしい鷹揚さでした。
「ほほう、これはまたいかいお気の毒じゃな。毎度々々よく御気がついて痛み入る次第じゃ。折角のお志、無にするも失礼ゆえ、遠慮のう頂戴致そうわい。以後はな、成べくこのような事致さぬようにな」
「はっ、いえ……。取るにも足らぬ粗品、さっそくに御嘉納賜わりまして、土州、面目にござります。では、道中急ぎまするゆえ、御ゆるりと――」
「うんうん、左様左様、手製の粗茶なと参らすとよろしいが、もう御出かけかな。では、遠路のことゆえ、御身も道中堅固にな、国元に帰らば御内室なぞにもよろしくな。――いや、言ううちに、妙庵《みょうあん》、妙庵、ハヤが餌を悉く私《わたくし》致しおったぞ。ほら、ほら、のう不埒《ふらち》ないたずら共じゃ、早うつけ替えい」
とぼけて松平の御前は竿の方へ、土州侯は腰を低めてお駕籠の方へ、まことにどうもそのぐずり加減、ぐずられ加減の程のよさというものは、なんともかとも言いようがない。いやなになに、禅の修行代りでなと、いかにも空とぼけたことを言いながら、遠慮するごとくせざるごとく、鷹揚に手土産を御嘉納するあたり、おのずから品が備わって、むしろほほ笑みたい位です。――始終を眺めた退屈男は、えもいいがたいその飄逸《ひょういつ》ぶりに、悉く朗かになりながら、土州侯の行列が通り過ぎてしまったのを見すますと、腰低くつかつかと進みよって、いんぎんに呼びかけました。
「お付きの御坊主衆にまで申し入れまする。江戸旗本早乙女主水之介、松平の御前にお目通り願わしゅう存じまするが、いかがにござりましょう」
「なになに、旗本とな――」
声をきいて、源七郎君お自ら磊落《らいらく》そうにふり向くと、流れに垂れた釣竿をあやつりあやしつつ、じいッと退屈男をやや暫し見守っていたが、伯楽《はくらく》よく千里の馬を知るとはまさにこれです。
「ほほう、眉間に惚れ惚れと致す刀像が見ゆるな。何ぞ物を言いそうな向う傷じゃ。これよ、石斎、石斎――」
併らのお茶道具を守っていた茶坊主を顧みると、不意に奇妙なことを命じました。
「何の用かは知らぬが、江戸旗本ときいては、権現様の昔|偲《しの》ばれていちだんとなつかしい。どうやら胆もすぐれて太そうな若者じゃ。野天のもてなしで風情《ふぜい》もないが、何はともあれひとねじりねじ切ってつかわしたらよかろうぞ」
「心得ましてござります。主水之介殿とやら、お上がお茶下し賜わりまする。ねじり加減はどの位でよろしゅうおじゃりましょう?」
面喰ったのは退屈男でした。江戸八百万石の御威勢、海内《かいだい》に普《あまね》しと雖も、ひとねじりねじ切ってつかわせと言うような茶道の隠語は今が最初です。
「何でござりましょう? 只今のねじり加減とは何のことにござりましょう?」
「いや、それかそれか、存ぜぬは無理もない。これはな、当国三河で下々の者共が申す戯《ざ》れ語《ご》でな、つまりはお茶の濃い薄いじゃ、飴《あめ》のごとくにどろどろと致した濃い奴を所望致す砌《みぎ》りに、ねじ切って腰にさすがごとき奴と、このよう
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