くところをとっくりと見物せい」
若者に教えられて、御陣屋目ざしながら出かけようとしたとき、いかさま容子探りに行ったのが事実であるらしく、足掻《あが》きを早めながら駈け戻って来たのは先刻のあの二人です。パッタリ顔が合うや否や、馬上の二人は、退屈男の俄かに底気味わるく落ち付き払い出した姿をみとめて、ぎょッと色めき立ちました。だが、今はもう退屈男にとっては、名もなき陪臣《またざむらい》の二人や三人、問題とするところでない。目ざす対手は、大隅《おおすみ》、薩摩《さつま》、日向《ひうが》三カ国の太守なる左近衛少将島津修理太夫《さこんえしょうしょうしまずしゅりだいふ》です。
「びくびく致すな、その方共なぞ、もう眼中にないわ。七十三万石が対手ぞよ。行け、行け、早う帰って忠義つくせい」
皮肉にあしらいながら馬上の二人をやりすごしておくと、五十三次名うての街道をわがもの顔に、のっしのっしと道を急ぎました。
三
折からそよそよと街道は夕風立って、落日前のひと刻の茜色《あかねいろ》に染められた大空は、この時愈々のどかに冴え渡り、わが退屈男の向う傷も、愈々また凄艶に冴え渡って、いっそもううれしい位です。――行くほどに急ぐほどに、いかさまそこの大きな曲りを曲ってしまうと、すぐ目の前の街道ばたにそのお陣屋がのぞまれました。知行高は僅かに二千三百石にすぎないが、さすがは歴代つづく由緒の深さを物語って、築地《ついじ》の高塀したる甍《いらか》の色も年古りて床しく、真八文字に打ち開かれた欅造りの御陣屋門に、徳川御連枝の権威を誇る三ツ葉葵の御定紋が、夕陽に映えてくっきりと輝くあたり、加賀、仙台、島津また何のそのと大藩大禄の威厳に屈しない退屈男も、その葵の御定紋眺めてはおのずと頭の下がる想いでした。襟を正して厳そかに威儀改めながら歩み近寄ろうとしたとき、計らずもその目を強く射たのは、御門の前の街道を隔てた川べりに糸を垂れていた異様極まりのない人々の姿です。まさしくそれこそは、ぐずり松平の御異名で呼ばれている源七郎|君《ぎみ》に違いない。だが、そのお姿の物々しさを見よ。同じ釣りは釣りであっても、さすがは将軍家御一門のやんごとない御前が戯れ遊ばす御清遊だけあって、只の釣り姿ではないのです。まんなかに源七郎君、右と左には年若いお茶坊主が各ひとり宛、うしろにはまだ前髪したる小姓が控えて、源七郎君おん自らは、葵の御定紋もいかめしい朱塗り造りの曲※[#「※」は「祿−示」、第3水準1−84−27、144−上−9]《きょくろく》に、いとも気高く腰打ちかけながら、釣るがごとく釣らざるがごとくに何とはなく竿を操り、右に控えたお茶坊主は金蒔絵《きんまきえ》したる餌箱を恭《うやうや》しく捧持《ほうじ》して、針の餌を取り替え参らすがその役目、左に控えた今ひとりのお茶坊主は、また結構やかなお茶道具一式を揃えて捧持しながら、薄茶《うすちゃ》煎茶《せんちゃ》その時々の御上意があり次第、即座に進め参らすがその役目、そうしてうしろのお小姓は、飾り仕立てのお佩刀《はかせ》を、これまた恭しく捧持して神妙に畏まり、その物々しさ大仰さ、物におどろかない退屈男も、思わず目をそば立てました。
「さすがは権現様お血筋、なんとはのう御気高くましまして、早乙女主水之介、知らず知らずに頭の下がる思いにござります」
言わぬばかりに膝こごめながら、御前の近くに伺候《しこう》しようとしたとき、
「ホウイ、ホイ」
と、槍持ち奴共《やっこども》の声も景気よく吉田の宿《しゅく》の方から街道目ざして練って来たのは、どこかの藩の大名行列でした。無論、退屈男が待ちうけている薩州島津の行列ではない。それとは反対に無事江戸参覲を果して、久方ぶりでのお国詰を急いでいるらしい藩侯に違いないが、折も折に願うてもない道中行列が近づいて来たのはお誂え向きです。音に聞えたぐずり御免のあのお墨付が、どの位の威権を持っているか、まのあたりその御威力を拝見するには好機会と、急いで退屈男は、その道わきに姿をひそませながら、まなこを瞠《みは》って窺いました。
と――案の定《じょう》、それまで供揃いもいかめしく、練りに練ってやって来た行列先のお徒士頭《かちがしら》らしい一人が、早くも源七郎|君《ぎみ》の釣り姿をみとめて、慌てふためきながら君公の乗物近くへ駈け戻っていったかと見ると、ぴたりと駕籠がとまって、倉皇《そうこう》としながら道中駕籠の中から降り立ったのは、一見して大藩の太守と覚しき主侯《しゅこう》です。しかも主侯自ら腰を低めて恐懼《きょうく》措《お》く能《あた》わないといったように、倉皇としながら小走りに、近よると、釣りの御前の遙かうしろに膝をこごめて、最上級の敬語と共に呼びかけました。
「源七郎|君《ぎみ》におわしまするか。土州
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