おくれやす。十日程前でござんした。こちらの弥太一様がわたしを名ざしでお越しなはってな、お前はこの曲輪《くるわ》で観音太夫と仇名されている程の観音ずきじゃ。ついては、珍しい秘仏をさるお大尽様が御秘蔵[#「御秘蔵」は底本では「御秘像」と誤植]じゃが見とうはないかと、このようにおっしゃったんでござんす。観音様は仇名のようにわたしが日頃信心の護り本尊、是非にも拝ましておくんなさんしと早速駄々をこねましたら、あのお大尽をお四人様達大勢が、面白おかしゅう取り巻いてお越しなはったんでござんす。なれども、よくよくお大切《だいじ》の品と見えて、なかなかお大尽が心やすう拝ましてくだはりませんのでな、みなさんに深いお企らみがあるとも知らず、口くどうせっつきましたところ、ようようこん日拝まして下はるとのことでござんしたゆえ、楽しみにしてさき程、ちらりと見せて頂きましたら、御四人様が不意に怕《こわ》い顔をしなはって、まさしく切支丹じゃッ、お繩うけいッ、とあのようにむごたらしゅうお大尽をお召し捕りなすったんでござんす。それから先は、どうしてまた弥太一様が、こんな姿になりましたことやら、わたくし察しまするに――」
「どうもこうもねえんだ。おいらを、この弥太一を生かしておきゃ後腹《あとばら》が病めるからと、バッサリやりやがったんです。斬ったが何よりの証拠なんだ。奴等の企らみが、あくでえ[#「あくでえ」に傍点]細工が、世間にバレねえようにとこの俺を斬ったが何よりの証拠なんだ。野郎共め、今頃はほくそ笑みやがって、珠数屋の二十万両を丸取りにしようとしているに違げえねえんです。いいや、お大尽も早えところ片附けなきゃと、今頃はお仕置台《しおきだい》にでものっけているに違げえねえんです。いっ刻《とき》おくれりゃ、いっ刻よけいむごい目にも会わなきゃならねえに違げえねえんだから、ひと乗り乗り出しておくんなせえまし、後生でござんす! 後生でござんす!」
ギリギリと歯ぎしり噛んで、苦しげに訴えた弥太一の血まみれ姿を黙然と見守りながら、わが好もしき江戸名物の旗本退屈男はじりじりと傍らの白柄細身をにぎりしめました。事実としたら、もとより許しがたい。企らみのあくどさは言うまでもないこと、より以上に許せないのは四人のその身分です。御禁中警固、京一円取締りの重任にあるべき所司代詰の役侍が、その役柄を悪用して不埒《ふらち》を働こうとしているだけに許せないのです。しかし、問題は珠数屋のお大尽に、切支丹の気があるかどうかなのだ。これをお繩にしたのだったら、止むをえないが、全然それらしい匂いすらもない者を、無実と知りながら罪におとし入れようとの細工であったら、――退屈男の双の目はキラリと冴え渡りました。
「珠数屋というからには仏に縁がある筈、よもやあれなる大尽、切支丹宗徒ではあるまいな」
「ねえんです。ねえんです。切支丹どころか真宗《しんしゅう》のこちこちなんだのに、只あの変な観音様を内証《ないしょ》に所持しているというだけで、やみくも因縁つけようというんだから、今となっちゃあっしまでも野郎達四人が憎くなるんです。言ううちにも、お大尽がお仕置《しおき》にでもなッちや可哀そうだから、ひと肌ぬいでおくんなせえまし。大尽のうちゃ、つい近くの西本願寺様を表へ廻ったところなんだから、行ってみりゃ容子がお分りの筈です。おお痛てえ! もう死にそうなんだッ。打ち斬っておくんなせえまし! 早えところお出かけなすって、打ッた斬っておくんなせえまし! 後生でござんす! 後生でござんす!」
「ようし! 参ろうぞ。対手が所司代付きとあらば、骨があるだけに、どうやらずんと退屈払いが出来そうじゃわい。ならば八ツ橋太夫、弥太一とやらの介抱手当は、しかと頼んでおくぞ」
「大丈夫でござんす。御縁があらばあとでしッぽりと、いいえ、ゆるゆる。……ゆずる葉! お乗り物じゃ。お乗り物じゃ。早うお駕籠をとッて進ぜませい」
色香も程の、うれしく仇な八ツ橋の言葉をあとにして、ひらりと駕籠に乗るや一散走り。――
[#ここから3字下げ、ただし冒頭の歌記号のみは2字下げ]
※[#「※」は「歌記号」、第三水準1−3−28、107−16]すういとな、すういとな。
ぬしが帰りの駕籠道に
憎や小雨が降るわいな。降るわいな。
[#ここで字下げ終わり]
灯影を縫ってどこかの二階からか、やるせなさそうな爪弾《つまびき》の小唄が、一散走りのその駕籠を追いかけてなまめかしく伝わりました。
六
道は、壬生《みぶ》のお屋敷小路を通りぬけてしまうと、目ざした西本願寺前までひと走りです。行きついて見ると、いかさま珠数屋というのは、この界隈《かいわい》名うての分限者らしく、ひとめにそれと分る程の大きい構えでした。いや、それよりも退屈男の目をそば立たしめたものは、疾風迅雷的《しっぷうじんらいてき》に闕所取払《けっしょとりはら》いの処断をつけてしまおうというつもりらしく、すでにもう所司代付きの物々しい一隊が押しかけて、家の周囲にはいかめしく竹矢来を結い廻し、目ぼしい家財道具はどしどしと表に運び出しながら、しきりと右往左往している不埒な端役人《はやくにん》達のその姿でした。元よりそんな言語道断な処置はない。かりにも闕所ところ払いというがごとき、町家にとって最も重い処断をするについては、一応も二応も細密なお白洲吟味《しらすぎんみ》にかけた上で、踏むべき筋道を踏んでから、初めて一切を取りしきるのが御定法《ごじょうほう》の筈です。然るにも拘わらず、珠数屋のお大尽を引ッ立てると殆んど同時のように、かくも身代押えを急いでいるのは、弥太一の言ったごとく、役向き権限を悪用して巧みに財物を私しようとのよからぬ下心であることが、すでにその一事だけで一目瞭然でしたから、退屈男の江戸魂は勃然として義憤に燃え立ちました。
のっそりと駕籠から降りて、折からの宵闇を幸い、そこの小蔭に佇みながら見守っていると、それとも知らずにあちらへ命じ、こちらの小者達に命じながら、しきりに采配振っているのは、先刻、お大尽を繩にしてこれ見よがしに引き揚げていった四人のうちの二人です。しかも、その采配振りが実に不埒《ふらち》でした。金にならないような安家財はこれを所司代詰所に送り、めぼしい品は、数多くの千両箱と共に、どこへ送ろうというのか、その行く先を心得ているらしい小者達に命じて、どんどんと違った道を違った方向に運ばせているのです。無論、かくのごとき言語道断な処分の仕方というものは、あろう筈がない。公儀定むるところの掟《おきて》に従って、家財没収身代丸押えの処断をするなら、金目安物、ガラクタめぼしい品と、その財物をふた色に選り分けて、ふた所に運ぶという法はないのです。あきらかにその一事もまた、私財横領のよかならぬ悪計を察するに充分な行動でしたから、無数と言ってもいい程の千両箱を行列つくって担《にな》わせながら、しすましたりというように引き揚げようとしていた二人の前にずいと立ちふさがると、退屈男は黙ってバラリ編笠をはねのけました。
「よッ――」
「………」
「さッきの奴じゃな! 行く手をふさいで何用があるのじゃ! 何の用があってつけて来たのじゃ!」
ぎょッとなって色めき立ったのを、およそ不気味な威嚇です。否! 実に痛快な一語でした。
「何の用もあって来たのではない。江戸侍の怕いところを少々御披露しに参ったのよ」
「なにッ、怕いところを披露とは何のことじゃ! われら、うしろ暗いことなぞ一つもないわッ。道をあけろッ、道をあけろッ。しつこい真似を致すと、役儀の名にかけてもすてておかぬぞッ」
「早い。早い。その啖呵《たんか》はまだ早い。うしろ暗いところがなくば結構じゃ。あとでゆるゆる会おうわい。充分に覚悟しておくがよかろうぞ。では、あちらでお待ち致すかな。腰のものの錆なぞよく落して参れよ」
気味わるくあっさりあしらっておくと、
「供! 供! お供! 所司代番所じゃ。威勢よく参れッ」
ゆったり乗って、所司代詰所目ざしながら駕籠を打たせました。――その行き先を耳に入れて、俄《にわ》かに狼狽《ろうばい》し出したのは、今のさき、うしろ暗い事なぞ毫もないと、大見得を切った件《くだん》の二人です。
「少々……」
「うむ、分った! こちらは付添って参らずとも万事心得ている筈じゃ。先廻りしろッ、先廻りしろッ、先廻りしてひと泡吹かせろッ」
謀《しめ》し合わせて、千両箱の行列は、小者達もろとも向うにやりすごしておいてから、気色《けしき》ばみつつ退屈男のあとを追いかけました。無論おおよその察しをつけたに違いない。何の目的を抱いて所司代番所を目ざしているか、退屈男の底気味わるく落ち付き払った始終の容子から、さてはと察しがついたればこそ、目色を替えて追いかけ、色めき立って必死に先廻りしようとしたに違いないのです。けれども、わが早乙女主水之介は、カンカラと大きく打ち笑ったままでした。
「わはははは、ちと肝が冷えて参ったようじゃな。もそッと走れ、もそッと走れッ。程よく腹がすいてよかろうぞ。もそッと走れ、もそッと走れッ」
笑いはやしつつ、心持よげにゆったりと駕籠を打たせました。よし察しをつけて所司代詰所に先廻りしながら、役侍の威厳を楯に笑止な刄向い立てしようとも、その身にはより以上にすばらしい千二百石直参お旗本の天下御免なる威厳があるのです。それで不足ならば、これまた天下御免なるあの胆力で行くのだ。それでも足りずば篠崎流《しのざきりゅう》折紙つきの縦横無尽なる軍学智略で行くのだ。なおその二つでも不足だったら、あれで行くのです。あれで行くのです。江戸御免なるあの月ノ輪型の向う疵と、諸羽流正眼崩《もろはりゅうせいがんくず》しのあのすさまじい剣脈で行くのです。
「しっとりと霧が降って、よい夜じゃ。京は霧までが風情《ふぜい》よ喃。駕籠屋! 帰りにどこぞで一杯参ろうぞ」
などと江戸前の好もしくも風流なわが退屈男は、胆力すでに京一円を蓋《おお》い、気概また都八条を圧するの趣きがありました。
だが、目ざしたその所司代番所へ行きついて見ると、これがなかなか左様に簡単には参らないのです。必死に駈けぬけて先廻りした二人が早くもその手配をしたのか、それとも夜はそうしておくのが所司代番所のならわしであるのか、門は元よりぴたりと一文字に堅く締め切って、そこには次のごとき威嚇顔の制札が見えました。
[#ここから2字下げ]
下乗《ゲジョウ》之事
禁中ヨリノ御使イ、並ビニ江戸
公儀ヨリノ御使者以外ニ夜中ノ
通行堅ク御差止メノ事
[#ここで字下げ終わり]
はっきりと禁裡御所からのお使い、並びに江戸お公儀からの使者以外は、夜中の通行堅くお差止めの事と書いてあるのです。無論その表書き通りであったら、たやすく開門させることは困難であろうと思われたのに、しかし退屈男は、まるでその制札なぞ歯牙《しが》にもかけないといった風でした。
「ほほう。賄賂《わいろ》止めの禁札があるな。よいよい、禁札破り致すのも江戸への土産《みやげ》になって面白かろうぞ。駕籠屋! 帰りのお客は珠数屋のお大尽様じゃ。たんまり酒手をねだるよう、楽しみに致して待っていろよ」
一向に恐るる色もなく、その上なおどういう理由を以てか、容易ならぬその制札を至ってあっさり賄賂止めと言ってのけながら、珠数屋の大尽も亦すでにもう奪い返したごとき朗かさで、お供の者達をそこに待たしておくと、のっしのっしと近づきながら、いとも正々堂々と大音声《だいおんじょう》に呼ばわりました。
「物申そうぞ! 物申そうぞ! 直参旗本早乙女主水之介、当所司代殿に火急の用向きあって罷《まか》り越した。開門せいッ。開門せいッ」
と同時でした。窺《うかが》うような足音と共に、そこの物見窓から、ぬッと顔をのぞかせたのは、まさしく先程うろたえながら抜け駈けしていった、あの役侍達二人です。否、のぞいたばかりではない。今ぞ初めてあかした直参旗本のその身分|素姓《すじょう》に、二人はしたたかぎょッとなったらしく、二重の狼
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