て、珠数屋のお大尽は、今迄の取り巻侍だった四人の者に捕って押えられて、すでに繩目の恥を受けていたのです。その目の前には、また不思議な一個の観音像がおかれてあるのです。強いて名づけたら、いばら観音とでも言うか、頭にはいばらの冠をいただき、お姿もまた異相を備えた七八寸の土像でした。勿論異国渡来の南蛮像《なんばんぞう》に相違ない。
どうしたと言うのか?――不審に打たれて呆然と佇んでいる退屈男の方を、四人の者はさげすむように見眺めていましたが、繩尻取っている中のひとりが、手柄顔に言いました。
「江戸の客仁、お騒がせ仕ったな。れッきとした二本差がいわれもなく素町人風情《すちょうにんふぜい》の下風についてなるものか。恥を忍んで機嫌気褄をとりながら取り巻いていたのも、こやつに切支丹宗徒《きりしたんしゅうと》の疑いがあったからのことじゃ。――御無礼仕ったな。千石だろうと二千石だろうと、お気のままに江戸から取りよせて、たんと遊ばっしゃい」
嘲り顔に言ったその言葉を引きついで、露払いの弥太一といったあの小者《こもの》までが、面憎く言い放ちました。
「どうでえどうでえ。ちッとばかり江戸の先生もおどろいたろ。お国歌舞伎の芝居とは少々筋書が違ってるんだ。所司代付でも腕利と名を取ったお四ッたり様が、只でこんな馬鹿騒ぎをするもんかい。それもこれもみんなこの証拠の品の伴天連像《ばてれんぞう》をつきとめて、しかとの証拠固めをしたかったからこそ、みんなしてひと幕書いた芝居なんだ。――どうどす? きょとんとしていなはりますな。へえ左様ならだ、縁があったらまたお目にかかりましょうよ」
言いすてると、大尽の繩尻とった一行の中に交って、意気揚々と引きあげました。――意外です。まことに意表をついた椿事です。
「ウッフフ、わッははは」
退屈男は、爆発するように大きく笑うと、ほがらかに呟きました。
「そうであろう。そうであろうよ。所司代詰の役侍と申さば、痩せても枯れても京一円の警備承わっている者共じゃ。何ぞ仔細がのうては町人風情に追従する筈はあるまいと存じておったが、わははは、わははは。みな捕り物ゆえの大芝居か、面白い。面白い! いや、面白いぞ。――のう、八ツ橋。京も存外に面白いところじゃな」
然るに、その八ツ橋太夫が、どうしたことか浮かぬげな面持《おももち》で、明け放たれた窓べりにより添いながら、しきりに往来を見すかしているのです。不安げに、うれわしそうに、そして合点の行かぬもののように、じっと見守っていましたが、不意にそのとき、何におどろいたものか、あッ、と小さく叫びながら慌てて面を袖でおおうと、よろめくように打ち倒れました。
「何じゃ! いかがいたした?」
いぶかりながら歩みよって、窓べりからのぞいて見ると、意外です。さらに意外でした。今のさき雑言交《ぞうごんまじ》りの啖呵《たんか》をのこして一行と引揚げていったばかりのあの弥太一が、朱《あけ》に染まって呻き声をあげながら、ほんのそこの往来先にのけぞっているのでした。しかも、斬った対手は、同じ仲間と思われたあの四人の中のひとりなのです。そのいち人が血刀をぬぐいながら、はやてのような早さで、さッと闇の向うに逃げ走って行きました。
「ほほう。これはまた、ちと急に雲行が変ったようじゃな。面白い! 面白い! 京というところは、ずんと面白いぞ」
声も冴えやかに、のっしのっしと降りて行くと、名代自慢の疵痕を、まばたく灯影に美しく浮き出させながら、人集《ひとだか》りを押しわけて、新らしく降って湧いた秘密と謎とを包みながら呻き倒れている弥太一のかたわらに、ずいと近よりました。
五
――疵は、逃げようとしたところをでも追い斬りに斬り下げられたらしく、右肩から左へ斜《はす》にうしろ袈裟《げさ》が一太刀です。しかし、斬った方でも余程慌てていたと見えて、危うくも急所をはずれていたのは、せめてもの幸運でした。
「ほほう、手当を急がば助からぬものでもないな。よしよし。――見世物ではない。退《ど》こうぞ。退こうぞ」
物見高く囲りに集《たか》って、なすところもなくわいわいと打ち騒いでいる群衆を押しのけながら、退屈男はのっそりと露払いの弥太一といった、その若者の傍らに歩みよりました。
「ち、畜生ッ、うぬまでも来やがったかッ。後生だッ。後生だッ、もう勘弁してくれッ、この上斬るのは勘弁してくれッ。さっきヘゲタレと言ったのは、おれが悪かった。か、勘弁してくれッ。この上|弄《なぶ》り斬りするのは勘弁してくれッ」
それを弥太一が思いすごして、敵意あってのことと取ったらしく、必死にもがきながら訴えたのを、
「目違い致すな。江戸侍は気《き》ッ腑《ぷ》が違うわッ」
全くそうです。ずばりと爽かに言いながら、目早く群衆を見廻していたが、近くに若いのが大いにイナセがって、三尺帯を臍《へそ》のあたりにちょこなんと巻きつけていたのを発見すると、
「お誂え向きじゃ。ほら、くるッと三べん廻って煙草にしろ」
ねじ廻すようにくるくると身体を廻しながら、素早く白三尺をほどいて取って、当座の血止めにキリキリと傷口を、それもごく馴れた手つきで敏捷に結わえました。その江戸前のうれしい気性と、うれしい手当に、すっかり感激したのは露払いの弥太一です。
「仏だ。仏だ、ああ痛え! おお痛え! いいえ、旦那は生仏《いきぼとけ》でござんす。悪態《あくたい》ついた野郎を憎いとも思わねえで、御親切[#「御親切」は底本では「御視切」と誤植]な御手当は涙がこぼれます。おお痛え! ああ痛え、畜生ッ、ほ、骨がめりこむようだ。いいえ、涙が、涙がこぼれます。御勘弁なすっておくんなさいまし、さっきの、さ、さっきの悪態は御勘弁なすっておくんなさいまし」
必死に歯を喰いしばって、必死に苦痛を耐《こら》えながら、手を合わさんばかりにお礼の百万遍を唱えました。――だが、退屈男は淡々たること水のごとし!
「現金な奴よ喃《のう》。ヘゲタレにしたり生仏にしたり致さば、閻魔様《えんまさま》が面喰らおうぞ。それより女! こりゃ、女」
そこの暖簾先《のれんさき》に住の江の婢共《おんなども》が、只打ちうろたえながらまごまごしているのを見つけると、叱るように言いました。
「大切《だいじ》なお客様がお怪我を遊ばしたのじゃ。早く介抱せい」
「………」
「何をためらっているのじゃ。京のお茶屋は、小判の顔を見ずば、生き死の怪我人の介抱もせぬと申すかッ」
辛辣《しんらつ》な叱咤《しった》です。仕方がないと言うように手を添えた女達を促して、退屈男が瀕死の弥太一を運ばせていったところは、一瞬前、遊女達の美しい仇花《あだばな》が咲いた二階のあの大広間でした。
「ま! むごたらしい……」
血まみれなその姿を眺めて、ぎょッと身を引きながら生きた心地もないように八ツ橋太夫は唇までも青ざめていたが、さすがは京の島原で太夫と言われる程の立て女でした。
「みなの衆は何をぼんやりしてでござんす。気付け薬はどこでござんす。医者も早う呼んであげて下さんし」
新造達を叱って、取りあえず応急の手当にかからせました。だが、退屈男にとって第一の問題となり、何よりも急がれたものは、それまで行動を共にしていた者が、なにゆえ不意に斬られたかその不審です。手当の気付け薬で弥太一が、徐々に元気づいたのを見ますと、ぜひにもその謎を解いてやろうと言わぬばかりに、膝を乗り出してきき尋ねました。
「定めし深い仔細《しさい》あっての事であろう。何が因《もと》での刄傷じゃ」
「何もこうもねえんです。あの四人の野郎達は猫ッかむりなんです。喰わせ者なんです」
「なに! では所司代付の役侍とか申したのは、真赤な嘘か」
「いいえ立派な役侍なんです。役侍のくせに悪党働きやがって、人をこんなに欺《だま》し斬りしやがるんだから猫ッかむりなんです。おお痛え! 畜生ッ、くやしいんだッ、人を欺しやがって、くやしいんだッ。これも何かの縁に違えござんせぬ。打ッた斬っておくんなせえまし! 後生でござんす。あっしの代りに野郎共四人を叩ッ斬っておくんなせえまし!」
「斬らぬものでもない。退屈の折柄ゆえ、事と次第によっては斬ってもつかわそうが、仔細を聞かぬことにはこれなる一刀、なかなか都合よく鞘鳴りせぬわ。そちを欺したとか言うのは、どういう事柄じゃ」
「そ、そ、それが第一|太《ふて》えんです。話にも理窟にもならねえほど太てえ事をしやがるんです。こうなりゃもうくやしいから、何もかも洗いざらいぶちまけてしまいましょうが、あっしゃ珠数屋へ出入りの職人なんです。ちッとばかり植木いじりをしますんで、もう長げえこと御出入りさせて頂いておりましたところ、――おお痛え! 太夫、命助けだ。もう一服今の気付け薬をおくんなせえまし、畜生めッ、旦那に何もかもお話しねえうちは、死ねって言っても死なねえんだッ。――ああ有りがてえ、お蔭ですっと胸が開けましたから申します。申します。話の起こりっていうのは、さっき御覧になったあの観音像なんです」
「ほほう、やはりあれがもとか。どうやら異国渡りの秘像のようじゃが、あれがどうしたと言うのじゃ」
「どうもこうもねえ、野郎達四人があれを種にひと芝居書きやがったんです。というのが、珠数屋のお大尽も今から考えりゃ飛んだ災難にかかったものだが、十年程前に長崎へ商売ものの天竺珠数《てんじくじゅず》を仕入れにいって、ふとあの変な観音像を手に入れたんです。ところがどうしたことか、それ以来めきめきと店が繁昌し出しましたんで、てっきりもうあの観音像の御利益と、家内の者にも拝ませねえほど、ひたがくしにかくして、虎の子のように大切にしている話を嗅ぎつけたのが、所司代のあの四人の野郎達なんです。これがまたおしい位の腕ッ利き揃いなんだが、ちッとばかり料見がよくねえんで、ひょッとすると切支丹の観音像かも知れねえと見当つけやがったと見えてね、ご存じの通り、切支丹ならば御法度《ごはっと》も御法度の上に、その身は礫《はりつけ》、家蔵身代《いえくらしんだい》は闕所《けっしょ》丸取られと相場が決まっているんだから、――おお、苦しい! 太夫水を、水をいっぺえ恵んでおくんなせえまし――ああありがてえ、畜生めッ、これでくたばりゃ七たび生れ代っても野郎四人を憑《と》り殺してやるぞッ――だからね、どうぞして観音像の正体を見届け、もしも切支丹の御秘仏だったら、御法度を楯に因縁つけて、大ッぴらに珠数屋の身代二十万両を巻きあげようとかかったんだが、お大尽がまた何としてもその観音像を見せねえんです。だから手段《てだて》に困って、出入りのこのあっしに渡りをつけやがって、うまくいったら五百両分け前をやるからと、仲間に抱き込みやがったんです。われながらなさけねえッたらありゃしねえんだが、五百両なんて大金は、シャチホコ立ちしたってもお目にかかれねえんだから、つい欲に目が眩《くら》んで片棒かつぐ気になったのがこの態《ざま》なんです。だけどもお大尽は、幾らあっしがお気に入りでも、どんなにあっし達が機嫌気褄《きげんきづま》を取り結んでおだてあげても、あの観音像ばかりはと言って、ちっとも正体を見せねえので、とどひと芝居書こうと考えついたのが、こちらの八ツ橋太夫なんです。――おお苦しい! もう、もう声も出ねえんです。苦しくて、苦しくて、あとはしゃべれねえんです。これだけ話しゃ、太夫がもう大方あらましの筋道もお察しでしょうから、代って話しておくんなせえまし。くやしいんだッ、是が非でも奴等の化けの皮を引ッぱいでやらなきゃ、死ぬにも死にきれねえんだッ。いいや、旦那にその讐《かたき》を討って貰うんです! どうやら気ッ腑のうれしい旦那のようだから討って貰うんです。だから太夫、話してやっておくんなせえまし。あっしに代って、よく旦那に話してやっておくんなせえまし……」
「よう分りました。どうもお初の時から御容子が変だと思いましたが、それで何もかも察しがついてでござんす。話しましょう、話しましょう。代って話しましょうゆえに、江戸のぬしはんもようきいて
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