りなりともいち人前の二本差が割って這入ったとすれば、対手にとって不足はなかったからです。わけても、取り巻四人の節操もなく気概も持たぬ、屈辱的な物ごし態度が、三河ながら江戸ながらの旗本魂にぐッとこたえたので、眉間《まゆね》のあたりをぴくぴくさせながら、静かに開き直ると、不気味に問い返しました。
「身共が因縁つけたら、おぬしこそどうしようと言うのじゃ」
「知れたこっちゃ。これが物を言うわッ」
ぐいと胸を張って、ポンと叩いたのは柄頭《つかがしら》です。
「ほほう、これは面白い!」
全くこれは面白くなったに違いない。刀に物を言わせようとは、元より退屈男の望むところです。悠然と片手をふところにして、おちつき払いながら促しました。
「では、因縁をつけてつかわそうぞ。なれども、尊公ひとりでは物足りぬ。ゆっくり楽しみたいゆえ、あちらのお三人衆にも手伝うて貰うたらどうじゃ」
「なにッ」
「何だと!」
「ほざいたな!」
「よしッ。それほど斬られたくば、痛い目に会わせてやろう! 出い、出い! 前へ出い!」
風雲の急を知ったとみえて、残っていた三人の取り巻侍達も、口々に怒号しながら詰めよると、一斉に気色《けしき》ばんで鯉口をくつろげました。
「せくでない!」
だが、退屈男は憎い程にも自若としたままでした。
「せくでない。せくでない。ならばあしらってつかわそうぞ。しかし、念のためじゃ。見せてつかわすものがある。とくと拝見いたせよ」
静かに制しながら、のっそりと四人の前に近づくと、おもむろに編笠をとりのけました。と同時に現れた面のすばらしさ! 今にして愈々青く凄然として冴えまさったその面には、あの月の輪型の疵痕が、無言の威嚇を示しながらくっきりと深く浮き上がって、凄艶と言うよりむしろそれは美観でした。しかも退屈男は腰のものに手をかけようともせずに、莞爾《かんじ》としながら笑っているのです。笑いつつ、そしてずいと近よると錆のある太い声で静かに言いました。
「どうじゃ、見たか」
「………?![#「?!」は横一列]」
「いずれも少しぎょッと致したな。遠慮は要らぬぞ。もそッと近よってとっくりみい」
「………」
「のう、どうじゃ。只の傷ではあるまい。江戸では少しばかり人にも知られた傷じゃ。これにても抜いて来るか!」
「………」
「参らばこちらもこの傷にて対手を致すぞ。のう、どうじゃ。来るか!」
すばらしい威嚇です。不気味な威嚇です。――抜くか? 来るか? かかって来るか? 無論こうなったからには、時の勢いとしても多勢を恃《たの》みながら抜きつれ立って来るだろうと思われたのに、だが結果はいささか案外でした。眼《がん》の配り、体の構え、そして退屈男のすさまじい胆力と、不気味に妖々として無言の威嚇を示している額の月の輪型が、尋常一様の疵痕でないことに気がついたとみえて、四人はじりじりとうしろに体を引きながら、互に何か目交《めま》ぜで諜《しめ》し合わせていましたが、合図が通じたものか、そのとき恐れ気もなくのこのこと間に割って這入って来たのは、誰ならぬお大尽でした。
「分りました、分りました。それならそうと、あっさりおっしゃって下さりましたらよろしかったのに、何もかも、もう分りましてござります。ほんのこれは些少でござりまするが、わらじ銭代りと思召しなさいまして、お納め下されませ」
卑しげに笑い笑い、憚りもなく差し出したのは紙にもひねらぬむき出しの小判が二枚です。
「控えろッ」
当然のごとくに退屈男の一喝が下りました。
「目違いするにも程があろうわッ。身共を何と心得おるかッ。そのような汚物《おぶつ》がほしゅうて対手したのでないわッ。退屈なればこそあしろうたのじゃ。それなる四人! 急に腰の一刀が鞘鳴りして参った。前に出ませい! 尋常に前へ出ませい!」
「いえ、もう、お四人様はともかく、手前が不調法致しましてござります。そのように御威張り遊ばさずと、お納め下されませ。小判の顔を拝みましたら何もかも丸う納まります筈、では失礼。お四ッたり様もお早く! お早く!」
不埓《ふらち》にも町人は飽くまでも退屈男を、ゆすりかたりの物乞い浪人とでも見下げているのか、小判を足元に投げすてながら、四人の取り巻侍を促して逃げるように姿を消しました。
三
退屈男の憤激したのは言うまでもないことでした。四人も四人ながら、珠数屋の大尽とか言った町人の、許しがたき振舞いは、言語道断沙汰の限りです。凄艶な面に冷たい笑いを浮べながら、道行く人を物色していましたが、丁度通りかかったのは、夕遊びでもうひと堪能して来たらしい京男でした。
「まて、町人」
「へ?……」
「打ち見たところ大分のっぺりと致しておるが、その風体では無論のことに曲輪《くるわ》の模様よく存じておろうな」
「………?」
「何を慄えているのじゃ。大事ない、大事ない。知っておらばちと尋ねたい事があるが、存じておるか」
「左様でござりましたか。あてはまた、あまり旦那はんが怕《こわ》い顔していなはりますゆえ、叱られるのやないかと思うたのでござります。お尋ねというは何でござります」
「今のあれじゃ。珠数屋の大尽じゃ」
「ああ、あれでござりまするか。あれはもうえらい鼻つまみでござりましてな。ああして所司代付きのお武家はんを用心棒に買い占めなはって、三日にあげずこの廓《さと》をわがもの顔に荒し廻っていやはりますさかい、誰もかれも、みなえらい迷惑しているのでござります」
「ほほう、ではあれなる武家達、所司代詰の役人共じゃと申すか」
「ええ、もう役人も役人も、何やら大分高いお役にいやはります方々やそうにござりますのに、どうしたことやら、あのようにお髯《ひげ》のちりを払っていやはりますさかい、お大尽がまたいいこと幸いに、小判の威光を鼻にかけて、なすことすることまるで今清盛《いまきよもり》のようでござります」
きくや、退屈男の江戸魂は、公私二つの義憤から勃然《ぼつぜん》として燃え上がりました。歴たる公職にある者達が、身分も役柄も忘れて一町人の黄金力に、拝跪《はいき》するかのごとき屈辱的な振舞いをするからこそ、珠数屋のお大尽なる名もなき輩《やから》が増長しているに相違ないのです。増長していればこそまた、世間をも甘く見、人をも甘く見て、今のさきのごとく、あらゆる事を小判の力に依って解決しようと、あのような思い上がった振舞いをもしたに相違ないのです。
「よかろう! ひと泡吹かしてやろうわ。奴等の根城《ねじろ》は何という家じゃ」
「ほら、あそこの柳の向うに、住の江、と言う灯り看板が見えますやろ。あれが行きつけの揚げ屋でござります」
退屈男は躊躇なくあとを追いました。――折から島原の宵は、ほんのり夢色に暮れ果てて、柳の葉陰に煙る夕霧、霧にうるんでまばたく灯影。その灯影の下を雪駄《せった》の音が風に流れて、京なればこそ往き来の人の姿も、みやびやかにのどかでした。それゆえにこそまた、退屈男の江戸前ぶりは、威風あたりを払って圧倒的に爽かでした。いや、威風ばかりではない。その気品、水ぎわ立った恰幅《かっぷく》、直参なればこそ自ら溢れ出る威厳です。
「出迎えせい!」
ずばりと言って、教えられたその住の江の店先へずいと這入って行くと、鷹揚《おうよう》に言いました。
「有難く心得ろ、今宵いち夜遊興してつかわすぞ」
通ろうとしたのを。
「あの、もし……」
慌てて遮ったのは、唇ばかり卑しく厚い仲居でした。
「何じゃ」
「折角でござりまするが、今宵はもう……」
「苦しゅうない! 苦しゅうない! 遊んでつかわすぞ」
「いえ、でも、あの、今宵はもう珠数屋のお大尽様が客止めを致しましたゆえ、折角でござりまするが、お座敷がござりませぬ」
「構わぬ、すておけ、すておけ。町人輩が小判で客止めしたとあらば、身共は胆《たん》と意気で鞘当《さやあて》して見しょうわ。――ほほう喃、なかなか風雅な住いよのう」
まことにこれこそは真似て真似られぬ身に備わった威厳です。颯爽としながら上がって行くと、戸惑ってまごまごしている仲居の女共を尻目にかけながら、珠数屋の一座が女と酒と嬌声に仇色《あだばな》を咲かしている奥広間の隣室へ構わず這入って行って、悠々と陣取りました。しかも、なすことすべてが胸のすく程圧倒的でした。間《あい》の襖をさらりとあけて、あの月の輪型の疵痕をやにわにぬっとさらすと、千二百石直参旗本の犯しがたい威厳と共に、ずばりと一座の面々にあびせかけました。
「端役人共も下郎達も有難く心得ろ。隣り座敷での遊興、慈悲を以て許してつかわすぞ」
「なにッ」
「よッ」
「気味のわるい奴が、またやって来たな! 女将《おかみ》! 仲居! なぜあげたッ」
「客止めの店へなぜあげたッ」
「つまみ出せッ、つまみ出せッ。何をまごまごしておるかッ。早うつまみ出せッ」
不意を打たれてぎょッとしながら、騒然と口々にわめき立てているのを、退屈男は心地よげに微笑しながら、悠々綽々として腰をおろすと、うろたえている仲居へ爽かに言いました。
「のう、女!」
「………」
「ほほう、血の道でもが止まったと見えて、青うなっているな。いや、大事ない大事ない。少々胸がすッと致したゆえ、今宵は身共も美人を一個|侍《はべ》らせようぞ。珠数屋の大尽とか申す町人の敵娼《あいかた》は、何と言う太夫じゃ」
「困ります。あのようにお大尽様が御立腹のようでござりますゆえ、困ります困ります。今宵はもう、あの――」
「苦しゅうない。何と申す太夫じゃ」
「八ツ橋はんと言やはりますが、それももうお大尽が山と小判を積みましての事でござりますゆえ、所詮、あの――何でござります。ちッとやそッとのお鳥目では、あの、何でござりますゆえ、今宵はもうあの――」
「控えい! 曲輪《くるわ》遊びは金より気ッ腑が資本《もとで》の筈じゃ。金も必要とあらば、江戸より千二百石、船で運んでとらすわ。それにても足りずば、将軍家に申しあげて直参振舞い金を一万両程お貸し下げ願うてつかわすゆえ、遠慮せずに八ツ橋とやらを早う呼べい」
はしなくももらした将軍家直参云々の一語におぼろげながら退屈男の身分の何であるかを知ったか、なすところもなく呆然として見守っていた大尽一座の者が、いささかばかり荒肝《あらきも》をひしがれた形で、ぎょッとしながら互いに顔を見合わしているとき、あたりにえも言いがたい異香の香をただよわせて、新造、禿、一|蓮托生《れんたくしょう》の花共を打ち随えながら、長い廊下をうねりにうねって来たのは、問題のその八ツ橋太夫でした。しかもこれが、一脈の気品をたたえて、不埓《ふらち》なほどに美人なのです。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ喃《のう》。――女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
きいて知り、事のいきさつもあらまし知ったと見えて、間《あい》の襖のところから太夫八ツ橋が、花の八ツ橋、かきつばたにもまごう気品豊かな面をのぞかせながら、まじまじと退屈男の姿を見眺めていましたが、嫣然《えんぜん》として笑いをみせると、
「ぬしはん。またおいでやす――」
一|揖《ゆう》しながらくるりとうしろを向くと、ぴたり襖をしめきりました。
「わははは、なかなか鮮かにあしらいおる喃。参った、参った。見事に負けたか。いや、よい、よい。京の女子《おなご》も存外と面白いわ。――さてのう。負けたとならば何とするかな」
快然と打ち笑みながら、どうしたものかというように考えていたのを、隣りの一座は知ってか、知らずか、暫く騒がしいざわめきをつづけていましたが、そのとき不意に鋭く叫んだ声が、[#底本では「、」が脱落]襖の向うからきこえました。
「やっぱり睨んだ通りじゃッ。切支丹宗徒に相違ないッ。珠数屋、神妙にお繩うけいッ」
四
「はてな!?[#「!?」は横一列]」
意外に思って退屈男は、すっくと立ち上がると、一刀はしッかと左手、きらりとまなこを光らしながら、さッと襖をあけました。
と――見よ! 一瞬前とは主客事かわっ
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