へずいと這入って行くと、鷹揚《おうよう》に言いました。
「有難く心得ろ、今宵いち夜遊興してつかわすぞ」
 通ろうとしたのを。
「あの、もし……」
 慌てて遮ったのは、唇ばかり卑しく厚い仲居でした。
「何じゃ」
「折角でござりまするが、今宵はもう……」
「苦しゅうない! 苦しゅうない! 遊んでつかわすぞ」
「いえ、でも、あの、今宵はもう珠数屋のお大尽様が客止めを致しましたゆえ、折角でござりまするが、お座敷がござりませぬ」
「構わぬ、すておけ、すておけ。町人輩が小判で客止めしたとあらば、身共は胆《たん》と意気で鞘当《さやあて》して見しょうわ。――ほほう喃、なかなか風雅な住いよのう」
 まことにこれこそは真似て真似られぬ身に備わった威厳です。颯爽としながら上がって行くと、戸惑ってまごまごしている仲居の女共を尻目にかけながら、珠数屋の一座が女と酒と嬌声に仇色《あだばな》を咲かしている奥広間の隣室へ構わず這入って行って、悠々と陣取りました。しかも、なすことすべてが胸のすく程圧倒的でした。間《あい》の襖をさらりとあけて、あの月の輪型の疵痕をやにわにぬっとさらすと、千二百石直参旗本の犯しがたい威厳と共に、ずばりと一座の面々にあびせかけました。
「端役人共も下郎達も有難く心得ろ。隣り座敷での遊興、慈悲を以て許してつかわすぞ」
「なにッ」
「よッ」
「気味のわるい奴が、またやって来たな! 女将《おかみ》! 仲居! なぜあげたッ」
「客止めの店へなぜあげたッ」
「つまみ出せッ、つまみ出せッ。何をまごまごしておるかッ。早うつまみ出せッ」
 不意を打たれてぎょッとしながら、騒然と口々にわめき立てているのを、退屈男は心地よげに微笑しながら、悠々綽々として腰をおろすと、うろたえている仲居へ爽かに言いました。
「のう、女!」
「………」
「ほほう、血の道でもが止まったと見えて、青うなっているな。いや、大事ない大事ない。少々胸がすッと致したゆえ、今宵は身共も美人を一個|侍《はべ》らせようぞ。珠数屋の大尽とか申す町人の敵娼《あいかた》は、何と言う太夫じゃ」
「困ります。あのようにお大尽様が御立腹のようでござりますゆえ、困ります困ります。今宵はもう、あの――」
「苦しゅうない。何と申す太夫じゃ」
「八ツ橋はんと言やはりますが、それももうお大尽が山と小判を積みましての事でござりますゆえ、所詮、あの――何でござります。ちッとやそッとのお鳥目では、あの、何でござりますゆえ、今宵はもうあの――」
「控えい! 曲輪《くるわ》遊びは金より気ッ腑が資本《もとで》の筈じゃ。金も必要とあらば、江戸より千二百石、船で運んでとらすわ。それにても足りずば、将軍家に申しあげて直参振舞い金を一万両程お貸し下げ願うてつかわすゆえ、遠慮せずに八ツ橋とやらを早う呼べい」
 はしなくももらした将軍家直参云々の一語におぼろげながら退屈男の身分の何であるかを知ったか、なすところもなく呆然として見守っていた大尽一座の者が、いささかばかり荒肝《あらきも》をひしがれた形で、ぎょッとしながら互いに顔を見合わしているとき、あたりにえも言いがたい異香の香をただよわせて、新造、禿、一|蓮托生《れんたくしょう》の花共を打ち随えながら、長い廊下をうねりにうねって来たのは、問題のその八ツ橋太夫でした。しかもこれが、一脈の気品をたたえて、不埓《ふらち》なほどに美人なのです。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ喃《のう》。――女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
 きいて知り、事のいきさつもあらまし知ったと見えて、間《あい》の襖のところから太夫八ツ橋が、花の八ツ橋、かきつばたにもまごう気品豊かな面をのぞかせながら、まじまじと退屈男の姿を見眺めていましたが、嫣然《えんぜん》として笑いをみせると、
「ぬしはん。またおいでやす――」
 一|揖《ゆう》しながらくるりとうしろを向くと、ぴたり襖をしめきりました。
「わははは、なかなか鮮かにあしらいおる喃。参った、参った。見事に負けたか。いや、よい、よい。京の女子《おなご》も存外と面白いわ。――さてのう。負けたとならば何とするかな」
 快然と打ち笑みながら、どうしたものかというように考えていたのを、隣りの一座は知ってか、知らずか、暫く騒がしいざわめきをつづけていましたが、そのとき不意に鋭く叫んだ声が、[#底本では「、」が脱落]襖の向うからきこえました。
「やっぱり睨んだ通りじゃッ。切支丹宗徒に相違ないッ。珠数屋、神妙にお繩うけいッ」

       四

「はてな!?[#「!?」は横一列]」
 意外に思って退屈男は、すっくと立ち上がると、一刀はしッかと左手、きらりとまなこを光らしながら、さッと襖をあけました。
 と――見よ! 一瞬前とは主客事かわっ
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