いるも芸のない話じゃからな。ちょっとのぞいてみるか」
いかにも出来事が奇怪でしたので、のっそり立ち上がると、あの三日月形の疵痕に、無限の威嚇を示しつつ、のっそり場内へおりていきました。
二
行ってみると、予期せぬ災禍《さいか》に会って落馬した古高新兵衛は、場内取締りの任に当っていた町方役人七八人と、同藩家中の藩士達両三名に守られながら、必死と介抱手当をうけているところでした。
然るに、これが先ず第一の不審でした。よし重量のある鉄扇で急所の脾腹《ひばら》を襲われたとしても、距離は少なくも六七間以上離れた遠方からでしたから、どんなに心得ある達人が打ったにしても、鉄扇の一撃ぐらいでそう造作なく落命する筈はあるまいと思われたのに、意外やすでに古高新兵衛の生命《いのち》は、この世のものでなかったので、介抱手当に当ったものの打ち驚いたのは言う迄もないことでしたが、退屈男も殊のほか不審に打たれて、移すともなく目を移しながら、ふとそこにつながれている新兵衛乗馬の黒鹿毛にまなこを注ぐと、こはそも奇怪! ちらりと目についたものは、鎧《あぶみ》の外に、ベっとり流れ垂れている紛れなき生血です。
「ほほう。鉄扇をうけた位で、生血が垂れているとは少し奇怪じゃな」
勃然として大きな不審が湧き上がりましたので、うろたえ騒いでいる人々を押し分けると、構わずにずいと死骸の傍らへ近よりました。
と知って、町方役人共が、要らぬおせっかいとばかりに鋭く咎めました。
「用もない者が、誰じゃ誰じゃ! 行けッ。行けッ。あちらへ行かぬかッ」
見ただけでも分りそうなものなのに、悉く逆上しきっているのか、二度も三度も横柄《おうへい》に役人風を吹かしましたので、仕方なくあの傷痕を静かにふりむけると、微笑しながら言いました。
「わしじゃ、分らぬか」
「おッ。早乙女の御殿様でござりまするな。この者、御前の御身寄りでござりますか」
「身寄りでなくば、のぞいてはわるいか」
「と言うわけではござりませぬが、お役柄違いの方々が、御酔狂にお手出しなさいましても無駄かと存じますゆえ、御注意申しあげただけにござります」
素人《しろうと》が手出しするな、と言わぬばかりな冷笑を浴びせかけましたので、退屈男の一|喝《かつ》が下ったのは勿論の事です。
「控えろ。笑止がましい大言を申しおるが、その方共はあれなる鎧に生血の垂れおるを存じおるか」
「えッ?」
「それみい! それ程ののぼせ方で、主水之介に酔狂呼ばわりは片腹痛いわ」
にわかにうろたえ出した町役人共を尻目にかけて、怪死を遂げた古高新兵衛の骸《なきがら》に近よりながら、先ず鉄扇で打たれた脇腹を打ち調べてみると、然るにこれがますます不審です。当然そこが血の出所でなければならぬと思われたのに、肝腎な脇腹には一向それらしい傷跡すらも見えなくて、全然予想以外の丁度鞍壺に当る内股のところから、それも馬乗り袴を通して、ベっとりと疑問の生血が滲み出ていましたので、愈々いぶかりながら見調べると、事実はますます出でてますます不思議! 生々と血の垂れ滲み出ているその傷口が、袴の外から何物かに、あんぐりと噛み切られでもしたかのような形をしていましたので、主水之介の目の鋭く光ったのは当然でした。
ただちに馬の鞍壺を見改めると、愈々出でて愈々奇怪!――思うだにぞっと身の毛のよだつ毒毒しい生蛇が、置き鞍の二枚皮の間から、にょっきりと鎌首を擡《もた》げていたのです。しかも、それが只の毒蛇ではなく、ひと噛みそれに襲われたならば、忽ち生命を奪われると称されている大島産の恐るべき毒蛇金色ハブでしたから、いかな退屈男も、これにはしたたかぎょっとなりました。無理もない。ぎょっとなったのも、またおよそ無理のないことでした。事実は計らずもここに至って、二つの奇怪な謎を生じたわけだからです。第一は黒住団七を狙った鉄扇の投げ手。第二は毒蛇を潜ませて、古高新兵衛を害《あや》めた下手人。しかも、それが同一人の手によって行なわれたものか、全然目的を異にした二つの見えざる敵が、めいめい別々に二人の騎士を狙って、それが危害を加えようとしたものか、謎は俄然いくつかの疑問を生んで参りましたので、退屈男の蒼白だった面に、ほのぼのと血の色がみなぎりのぼりました。
「のう、こりゃ、町役人」
「………」
畠違いの者が邪魔っけだと言わぬばかりに罵ったその広言の手前、いたたまれない程に恥ずかしくなったものか、さしうつむいて返事も出来ずにいるのを、笑い笑い近よると、揶揄するように言いました。
「真赤になっているところをみると、少しは人がましいところがあるとみゆるな。わしはなにもそち達の邪魔をしようというのではない。只、退屈払いになりさえすればよいゆえ、手伝うてつかわすが、どちらの番所の者じゃ
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