。北町か、南町か」
「………」
「食物が悪いとみえて、疑ぐり深う育っている喃。そち達の瘠せ手柄横取りしたとて、何の足しにもなる退屈男でないわ。姓名を名乗らば下手人見つかり次第進物にしてつかわすが、何と申す奴じゃ」
「南町御番所の与力《よりき》、水島宇右衛門と申しまするでござります」
「現金な奴めが。了見の狭いところが少し気に入らぬが、力を貸してつかわすゆえに、家へ帰ったならば家内共に熱燗《あつかん》でもつけさせて、首長う待っていろよ」
退屈男らしく皮肉を残しておくと、京弥を随えながら、なにはともかくと、中間馬丁達の詰め所にやって行きました。
無論その目的は、疑問の怪死を遂げた古高新兵衛の馬丁について、何等かあの金色《こんじき》ハブの手掛りを嗅ぎつけようと言うつもりからでしたが、然るに、それなる馬丁が甚だ不都合でした。主人が横死をしたというのに、その現場へ姿を見せない事からして大きな不審でした。行ってみるとさらに大きな疑雲を残して、いずれかへ逸早く姿をかくしたあとでしたから、退屈男の言葉の鋭く冴えたのは言うまでもないことでした。
「いつ頃|逐電《ちくでん》いたしたか存ぜぬか!」
「ほんの今しがたでござりましたよ」
「今しがたにも色々あるわ。いつ頃の今しがたじゃか、存ぜぬか」
「古高様のあのお騒ぎが起きますとすぐでござりましたよ。どうした事か急に色を変えて、まごまごしていたようでござりましたが、気がついて見ましたら、もう姿が見えませんでしたゆえ、手前共もいぶかしんでいる次第でござります」
突如としてここに疑惑の雲が漂って参りましたので、あの凄艶な疵跡に、不気味な威嚇を示しながら、わけもなく打ちふるえている馬丁共をじろじろと見眺めていましたが、その時ふと退屈男の目を鋭く射たものは、そこに置き忘れでもしたかのごとくころがっている本場|鹿皮印伝《しかがわいんでん》の煙草入でした。中間馬丁と言えば、いかに裕福な主人についていたにしても、精々先ず年額六両か七両が関の山の給料です。然るにも拘わらず、まがい物ならぬ本物の印伝皮で揉《な》めしこしらえた贅沢きわまる煙草入がころがっていましたものでしたから、いかで退屈男の逃すベき!
「これなる煙草入は何者の持ち品じゃ!」
「おやッ。野郎め、あんなに自慢していやがったのに、よっぽど慌てやがったとみえて、大切《たいじ》な品を忘れて行きやがったね。古高様の中間の六松めが、さっき見せびらかしていた品でごぜえますよ」
もっけもない事を言いましたので、何気なく手にとりあげて、とみつこうみつ打ち調べているとき、ころり、と叺《かます》の中から下におちたものは、丁半バクチに用いる象牙細工の小さな賽《さい》ころです。
「ほほう、そろそろ筋書通りになって参ったな」
言いつつ、うそうそと微笑を見せていましたが、実に猪突でした。
「病《やまい》というものは仕方がのうてな、身共も至ってこの賽ころが大好物じゃが、その方共が用いるところはどこの寺場じゃ」
「ふえい?……」
「なにもそのように頓狂な声を発して、おどろくには当らないよ。こればッかりは知ったが病、久しぶりでちと弄《なぐさ》みたいが、いつもどこの寺場で用いおるか」
「ご冗談でござりましょう。お見かけすればお小姓をお召し連れなさいまして、ご身分ありげなお殿様が、賽ころもねえものでごぜえますよ。いい加減なお弄《なぶ》りはおよしなせえましな」
「疑ごうていると見ゆるな。身分は身分、好物は好物じゃ。ほら、この通りここに五十両程用意して参っているが、これだけでは資本《もとで》に不足か」
ちゃりちゃりと山吹色を鳴らしてみせましたので、笑止なことには根が下司《げす》な中間共です。
「はあてね。いい色していやがるね。じゃ、あの、本当にこれがお好きなんでごぜ[#「ぜ」は底本では「ざ」と誤植]えますかい」
小判の色に誘惑でもされたもののごとく、ついうっかりと警戒を解きながら、乗り気になって来たので、すかさずに退屈男が油をそそぎかけました。
「下手の横好きと言う奴でな。ついせんだっても牛込の賭場で、三百両捲き上げられたが、持ったが病で致し方のないものさ。これだけで足りずば屋敷へ使いを立てて、あと二三百両程取り寄せても苦しゅうないが、存じていたら、そち達の寺場に案内せぬか」
「そりゃ、ぜひにと言えばお教え申さねえわけでもござんせぬが、実あ、こないだうちここへ御主人のお供致しまして、馬馴らしに参りますうちに六松と昵懇《じっこん》になって、あいつの手引で行くようになったんでごぜえますからね。そうたびたび弄《なぐさ》みに参ったわけじゃござんせんが、寺場って言うのがちっと風変りな穴なんでごぜえますよ」
「どこじゃ。町奴共の住いででもあるか」
「いいえ、手習いの師匠のうちなんでごぜえますよ」
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