「なに! 手習いの師匠とな! では、浪人者じゃな」
「へえ。元あ、宇都宮藩のお歴々だったとか言いましたが、表向きゃ、手習いの看板出して、内証にはガラガラポンをやるようなご浪人衆でごぜえますもの、なんか曰くのある素性《すじょう》でごぜえましょうよ」
「住いはいずこじゃ」
「根津権現《ねずごんげん》の丁度真裏でごぜえますがね」
きくや同時でした。
「馬鹿者共めがッ」
言いざま、前に居合わした中間二人を、ぱんぱんと取って押えておくと、鋭く京弥に命じました。
「急いでそち、あとの二人を取って押えろッ。こ奴共も、六松とやらいうた怪しい下郎と同じ穴の貉《むじな》やも知れぬ。いぶかしい手習師匠の住いさえ分らば、もうあとは足手纒《あしでまとい》の奴等じゃ。押えたならば、どこぞそこらへくくりつけておけッ」
自身の押えた二人をも、手早くそこの柱に窮命《きゅうめい》させておくと、六松の逐電先《ちくでんさき》をつき止めるべく、ただちに根津権現裏目ざして足を早めました。
三
行きついてみると、いかさま言葉の通り、算数手習い伝授、市毛甚之丞と看板の見える一軒が労せずして見つかりましたので、在否やいかにと、先ず玄関口にそっと歩みよりながら、家内の様子を見調べました。
と――、いぶかしや、そこに見えたのは、八足ばかりの雪駄です。子供のものならば商売柄不思議はないが、いずれも大人履《おとなば》きでしたから、退屈男に何の躊躇があるべき――案内も乞わず、ずかずか上って行くと、さッと奥の一間の襖を押しあけながら、黙然と敷居ごしに佇んだままでぐるり部屋の内を見眺めました。
一緒に目を射た八人の者の姿! いずれも五分月代《ごぶさかやき》の伸び切った獰猛《どうもう》なる浪人者です。その八人に取り巻かれて、床の間を背にしているのが、目ざした手習い師匠の市毛甚之丞であるらしく、そしてまたその市毛甚之丞の傍らに奴姿《やっこすがた》をして控えているのが、これぞ逐電先を追い求めてやって来たところの、古高新兵衛馬丁六松であることは、一目にして瞭然でした。
然るに、それなる十人の者どもが、殊のほか不審でした。ぐるりと車座になっていましたので、聞いて来た通り、丁半開帳の最中ででもあるかと思いのほかに、中間六松をのぞいての九人の者が、何をこれからどうしようというのか、いずれも腰の業物《わざもの》を抜きつれて、各自それぞれに刀身へ見入りつつ、見るから妖々とした殺気をそこにみなぎらしていましたので、退屈男のいぶかしく思ったのは当然、いや、より以上に打ちおどろいたのは、十人の面々でした。ぎょッとたじろいだようにいずれも面《おもて》をあげて、一斉に退屈男の上から下を見あげ見おろしていましたが、中なるひとりが早くもあの額際のぐっと深く抉られた三日月形で気がついたものか、その顔を蒼めて言い叫びました。
「さては、早乙女主水之介じゃな!」
しかし、退屈男は無言でした。黙然と両手を懐中にしたままで、じっと九人の者を静かに只にらめすえたばかり――。
とみて、苛立ったごとくに、いな、むしろ、無言のその威嚇に不気味さが募りまさったもののごとくに、甚之丞がじろじろと今迄見改めていた強刀を引きよせると、同じく唇まで蒼めながら叫びました。
「案内も乞わず何しに参った!」
きくや、依然ふところ手のままで、ほのぼのとした微笑をその唇にのせていましたが、冷たく錆のある太い声が、ようやく主水之介の口から重々しく放たれました。
「退屈払いに参ったのじゃ、びっくり致したか」
「なにッ? 何の用があってうしゃがったんだ!」
「血のめぐりがわるい下郎共よ喃。退屈男が御手ずから参ったからには、只用ではない。それなる中間の六松に用があるのじゃ」
途端――。
市毛甚之丞が、ちらり八人の者になにか目くばせしたかと見えましたが、同時でした。
「そうか。六松に用あってうしゃがったと分りゃ、あの毒蛇の一件を嗅ぎつけやがったに相違ねえ。各々ッ、いずれはこんなことにもなるじゃろうと存じて、今、お腰の物にも研ぎを入れて貰うたのじゃ。出がけの駄賃に、それッ、抜かり給うなッ」
問いもしないうちに、うろたえながら毒蛇の一件を言い叫ぶと、下知と共に素早く六松をうしろへ庇《かば》いながら、八人の者へ助勢を促したので、退屈男の色めき立ったのは言う迄もないことでしたが、しかし、両手は依然懐中のまま――。そして、静かに威嚇いたしました。
「馬鹿者共めがッ。江戸御免の篠崎流正眼崩しを存ぜぬかッ。その菜切《なっき》り庖丁をおとなしゅう引けッ」
だのに、身の程もわきまえぬ鼠輩共《そはいども》です。蟷螂《とうろう》の竜車《りゅうしゃ》に刄向うよりもなお愚《おろ》かしき手向いだてと思われるのに、引きもせずじりじりと、爪先立ちになっ
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