るのが当然中の当然なことでした。
しかし、主水之介は退屈しているにしても、世上には一向に退屈しないのがいるから、皮肉と言えば皮肉です。
※[#「※」は「歌記号」、第3水準1−3−28、13−下−3]――高い山から谷底見れば
瓜や茄子《なすび》の花ざかり
アリャ、メデタイナ、メデタイナ
そんな変哲もない事がなぜにまためでたいと言うのか、突如向うの二階から、ドンチャカ、ジャカジャカという鳴り物に合わして、奇声をあげながら唄い出した遊客の声がありました。
「ウフフ……。他愛のない事を申しおるな。いっそわしもあの者共位、馬鹿に生みつけて貰うと仕合せじゃったな――」
ききつけて主水之介は悲しげに微笑をもらすと、やがてのっそりと道をかえながら、角町《すみちょう》の方に曲って行きました。
と――、その出合がしら、待ち伏せてでもいたかのごとくにばたばたと走り出ながら、はしたなく言った女の声がありました。
「ま! さき程からもうお越しかもうお越しかとお待ちしておりいした。今日はもう、どのように言いなんしても、かえしはしませぬぞ」
――声の主は笑止なことに身分柄もわきまえず、大身《たいしん》旗本のこの名物男早乙女主水之介に、もう久しい前から及ばぬ恋慕をよせている、そこの淡路楼と言う家の散茶女郎《さんちゃじょろう》水浪《みずなみ》でした。うれしいと言えばうれしい女の言葉でしたが、しかし主水之介は冷やかに微笑すると、ずばりと言いました。
「毎夜々々、うるさい事を申す奴よな。わしが女子《おなご》や酒にたやすく溺るる事が出来たら、このように退屈なぞいたさぬわ」
あっさりその手を払いすてると、悠然として揚屋《あげや》町の方にまた曲って行きました。
こうしてどこというあてもなく、ぶらりぶらりと二廻りしてしまったのが丁度四ツ半下り、――流連《いつづけ》客以外にはもう登楼もままならぬ深夜に近い時刻です。わびしくくるりと一廻りした主水之介は、そのままわびしげに、道をおのが屋敷の本所長割下水に引揚げて行きました。
三
屋敷は、無役《むやく》なりとも表高千二百石の大身ですから、無論のことに一丁四方を越えた大邸宅で、しかも退屈男の面目は、ここに於ても躍如たる一面を見せて、下働らきの女三人、庭番男が二人、門番兼役の若党がひとりと、下廻りの者は無人《ぶにん》ながらも形を整えていましたが、肝腎の上働らきに従事する腰元侍女小間使いの類は、唯の半分も姿を見せぬ変った住いぶりでした。しかも、それでいてこの変り者は、もう三十四歳という男盛りであるのに、いち人の妻妾すらも蓄えていないのでしたから、何びとが寝起きの介抱、乃至は身の廻りの世話をするか、甚だそれが気にかかることでしたが、天はなかなか洒落た造物主です、いともうれしい事に、この変り者はいち人の妹を与えられているのでした。芳紀まさに十七歳、無論のこと玲瓏《れいろう》玉《たま》をあざむく美少女です。名も亦それにふさわしい、菊路というのでした。
さればこそ居間へ這入って見ると、すでにそこには夜の物の用意が整えられていましたので退屈男はかえったままの宗十郎頭巾姿で、長い蝋色鞘すらも抜きとろうとせずに、先ずごろり夜具の上へ大の字になりました。
と――、その物音をききつけたかして、さやさや妙なる衣摺《きぬず》れの音を立てながら、近よって来たものは妹菊路です。だが、殊のほか無言でした。黙ってすうと這入って来ると、短檠《たんけい》の灯影《ほかげ》をさけるようにして、その美しい面を横にそむけながら、大の字となっている兄のうしろに黙々と寝間着を介添えました。それがいつもの習慣と見えて、退屈男も黙然《もくねん》として起き上がりながら、黙然として寝間着に着替えようとした刹那! 聞えたのはすすり泣きです。
「おや! 菊、そちは泣いているな」
図星をさされてか、はッとして、慌《あわ》てながら一層面をそむけましたが、途端にほろほろと大きな雫《しずく》が、その丸まっちく肉の熟《う》れ盛った膝がしらに落ち散ったので、退屈男の不審は当然のごとくに高まりました。
「今迄一度もそのような事はなかったが、今宵はまたどうしたことじゃ」
「………」
「黙っていては分らぬ。兄が無役で世間にも出ずにいるゆえ、それが悲しゅうて泣いたのか」
「………」
「水臭い奴よな。では、兄が毎晩こうして夜遊びに出歩きするゆえ、それが辛うて泣くのか」
「………」
「わしに似て、そちもなかなか強情じゃな。では、もう聞いてやらぬぞ」
と――、もじもじ菊路が言いもよって、どうした事かうなじ迄もいじらしい紅葉に染めていましたが、不意に小声でなにかを恐るるもののごとくに念を押しました。
「では、あのおききしますが、お兄様はあの決して、お叱
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