骸《しがい》のそばにころがっておったと、万兵衛のだんなが詳しくご披露《ひろう》なすったんだ。傷口が違うんです。刃物が違うんです。ドスの袈裟がけ匕首《あいくち》剣法の一刀切りなんてえものは、伝六へその緒を切ってこのかた耳にしたこともねえですよ。せっかくだが、あっしゃご異論のある口だ。文句があったら活発に手をあげてごらんなせえ」
「音止めにぱっとあげてやらあ。うるせえ野郎だ。刀で切って、目をくらますために、匕首を捨てておくという手もあるじゃねえか。おいたはおよしなさいませと、あっさりやられたあのせりふが気に入らねえ、にこりともしなかった顔が気に入らねえんだ、ついてきな」
ひとにらみ、たった一つの小石のつぶてが、無罪放免、ほんの今かごから放たれたばかりのお駒の身辺に、突如として思い設けぬ疑惑の雲をまた新しく呼び起こしたのです。――風もゆたかな春深い日中の町を、右門の目を乗せた駕籠はぴたりと音の止まった伝六を従えて、ゆさゆさと、おうようにゆれながら、浅草宗安寺門前の北松山町を目ざして急ぎました。
2
もちろん、北松山町を目ざしたからには、お駒の住まいの岩吉店《いわきちだな》へ乗りつけるだろうと思われたのに、しかし、捜し捜し訪れていったところは、意外なことにも音蔵の住まいでした。
人手にかかってふた月あまり、――存生中は、三番組|鳶頭《とびがしら》として世間からも立てられ、はぶりもよかったにしても、死んでしまってはそういつまでも同じはぶりがつづくはずはない。と思いながらはいっていってみると、こぢんまりした住まいの表付きから中のぐあい、不思議なほどになにもかもゆたかに光っているのです。
妻女が三つぐらいの子を抱いているのでした。
その妻女にも、少々不思議が見えるのです。殺された音蔵は四十五という働きざかりであったのに、妻女はおおかた二十も違うほどの年下で、しかも色つやのつやつやしたあんばい、身だしなみのしゃんとしたぐあい、化粧こそはしていないが、着ているものから、肉づきのみずみずしているあたり、夫を失った女のさびしさ、やつれ、落魄《らくはく》、といったようなところはみじんも見えない若さでした。
そのうえに、気になるものが長々と手まくらをして、妻女の腰のあたりをかぐようなかっこうをしながら寝そべっているのです。年は三十三、四、伊達《だて》に伸ばしたらしい月代《さかやき》が黒く光って、ほろりと苦み走ったちょっといい男の、ひと目に御家人《ごけにん》くずれと思われるような二本差しでした。――ぴかりと名人の目が、はやぶさのように光りました。
「笑わしやがらあ。だから、白州のじゃりもほうってみろというんだよ。川西万兵衛どんのお口上だと、痴情なし、色恋なし、恨みなし、憎みなし、音蔵とお駒はあかの他人だ、他人と他人に刃傷沙汰《にんじょうざた》はねえと見てきたようなことをご披露《ひろう》したが、お駒音蔵、音蔵お駒と一本道にふたりのつながりばかりねらうから、じつあ裏手にこういう抜け道のあったことがわからねえんだ。亭主が人手にかかって、あき家になったみずみずしい女のところへ、長い虫が黒く伸びて寝ているなんて、おあつらえの図じゃねえかよ。どうだえ、あにい」
「なんだ、きさまは! あいさつもなく他人のうちへぬうとはいって、なにをべらべらやっているんだ。おあつらえの図たアどなたさまにいうんだ」
むくりと起きあがると、ご家人男がふてぶてしくからみついてきたのです。
「だれに断わって、このうちへへえってきたんだ」
「死んだ音蔵にさ」
「ご番所の野郎か」
「しかり」
「何用があるんだ」
「御用筋の通った御用があって来たのよ。ものをきくがね、おまえさんはこのうちのなんですえ」
「親類だ」
「親類にもいろいろござんすぜ。親子兄弟、いとこはとこ、それからも一つご親類というやつがな。あんた、そのごの字のつくほうかえ」
「つこうとつくまいと、いらぬお世話だ。ごの字をつけたきゃ、気に入るようにかってにつけておきゃいいじゃねえか。とにかく、おれはここの親類だよ」
「そうですか。とにかくづきの親類なら、ごの字のつく親類とあんまり遠くねえようだが、まあいいや。それにしても、このうちの暮らしぶりは、ちっと金回りがよすぎるようだね。鳶《とび》のかしらといえば、江戸っ子の中でも金の切れるほうだ。宵越しの金を持たねえその江戸ッ子の主人が死んで、もうふた月にもなる今日、こんなぜいたく暮らしのできるようなたくわえが残っているはずアねえ。暮らしの金はどこからわいて出るんですえ」
「いらぬお世話じゃねえか、縁の下に小判の吹き出る隠し井戸がねえともかぎらねえんだ。捜してみたけりゃ、天井なりと、床の下なりと、もぐってみるがいいさ」
「きいたふうなせりふをおっしゃいましたね。そういう
前へ
次へ
全10ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング