ご返事なら、たってききますまいよ。お名はなんていいますえ」
「知らねえや!」
「なるほど、名まえも知らねえ屋どのとおっしゃるか。よしよし、これだけわかりゃたくさんだ。伝六、河岸《かし》を変えようぜ。忙しいんだから、鳴らずについてきなよ」
 しかし、鳴るなといったとて、これが鳴らずにいられるわけのものではない。たちまち、その口がとがりました。
「バカにしてらあ。あんまりむだをするもんじゃねえですよ」
「むだに見えるか」
「むだじゃござんせんか。あんな月代《さかやき》野郎にけんつくをかまされて、すごすごと引き揚げるくれえなら、わざわざ寄り道するがまでのことはねえんだ。お駒を煎《せん》じ直すなら煎じ直すように、早く締めあげりゃいいんですよ」
「そのお駒を締めあげるために、むだ石を打っているじゃねえか。右門流のむだ石捨て石は、十手さき二十手さきへいって生きてくるんだ。文句をいう暇があったら、はええところお駒のねぐらでもかぎつけな」
 捜していったその伝六が、はてな、というように首をかしげました。――音蔵の住まいからはわずかに三町、六十日間も牢《ろう》につながれておったら、さぞやるす宅も荒れすさんでいるだろうと思っていたのに、岩吉店の中ほどで見つけたお駒のその住まいは、表付き、中のぐあい、うって変わってこざっぱりと、なにもかも整っているのです。
 ばかりか、ぬっと上がっていった右門も伝六も、等しくおどろきに打たれて、あっと目をみはりました。
 じつにそっくり、じつにうり二つといいたいほどもそっくりそのままの男が、そっくりなかっこうをして、お駒の腰のあたりをかぐようにしながら、手まくらも楽そうに長々と寝そべっていたのです。年も同じように三十三、四、顔だちもまた苦み走ってちょっといい男の、背もそっくり、肉づきもまたそっくり、ただ変わっているところはその月代《さかやき》のあるなしと、武士と町人との相違でした。あっちは黒々と伸びていたのに、こっちは青々とそりあげて、あっちは見るからにふてぶてしい御家人ふうだったのに、こっちは鳶《とび》の者か職人か、こざっぱりといなせなあにいふうでした。
 しかも、同じようにむっくり起きあがると、同じようにからみついてきたのです。
「どこの野郎だ。なにしに来やがったんだ」
「…………」
「黙ってぬっとへえってきやがって、だれに断わったんだ」
「似たようなことをいうな。おまえはこのうちの、何にあたるえ」
「いらぬお世話じゃねえか。親類だよ」
「なるほど、やっぱり親類か。親類にもいろいろあるが、どんな親類だ。おまえもごの字のつく親類筋のほうかえ」
「どんな筋の親類だろうと、いらぬお世話じゃねえか。ごの字とやらをつけたきゃ、かってにつけておくがいいさ」
 まるでそっくりな言いぐさでした。あっちで同じことをきかれたことも知っていて、同じことをまたあっちで答えたのも知っていて、わざとしらばくれながら同じ返事をしているようにさえも見えるのです。
 名人の目がぴかりと光って、伝六のところへ合い図を送りました。察したか伝六、風のような早さです。まっしぐらに飛び出していったのを、不思議な男がまたじつに奇怪でした。早くもなんの合い図か察しをつけたとみえて、さっと立ちあがると、さき回りをしようとでもするように、ばたばたと裏口から駆けだしました。
 いぶかしんでいるところへ、ほどたたぬまに伝六が、息を切りながら駆け帰りました。――前後して、奇怪な男もまた、ばたばたと裏口から駆けかえりました。
 不思議そうにその姿を見ながめながら、伝六がしきりと首をひねっているのです。むろん、今の目まぜは、あっちの五分月代《ごぶさかやき》とこっちの青月代《あおさかやき》と、別人か同一人か、あっちにあの御家人がいたかどうか、それをたしかめに走らせた合い図なのでした。
 しかし、伝六はいかにも不審にたえないように、必死と首をかしげているのです。男がまた、ひねっている伝六のその顔を見ながめながら、にやり、にやり、と気味わるく笑っているのでした。
 尋常ではない。なにかおそるべき秘密があるに相違ないのです。
「あっしゃ、あ、あっしゃ、こ、こわくなった。ここじゃ、ここのうちじゃ、おっかなくてものもいえねえ。顔を、顔をかしておくんなせえまし……」
 まっさおになって伝六が、名人のそでをひっぱりながら、ぐんぐん表へつれ出していくと、物《もの》の怪《け》を払いおとしでもするように、ぶるぶると身をふるわせました。
「どこかに水があったら、ざあっと一ぺえかぶりてえ。毛が、尾っぽの毛がそこらについているような気がしてならねえですよ。ぎゅっと一つつねってみておくんなさいまし。あっしゃまだ生きておりますかえ」
「バカだな。ひとりで青くなっていたってわかりゃしねえじゃねえか。いって
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