に捨ててござるし、品はまさしくお駒の品でござるゆえ、下手人をこの女と疑うに無理はござらぬが、しかしながら肝心の傷がご覧のとおりじゃ。りっぱな刀傷じゃ。この点疑うべき余地がない。ご意見いかがでござる」
「…………」
「ご異論ありませぬな。ござらねば、さきを急ぎましょう。――痴情なし、色恋なし、恨み、憎しみ、八方手をつくして詮議したところによると、これまでお駒と音蔵は他人も他人、顔を合わしたことはござっても、世間話一つかわしたこともない間がらということじゃ。知らぬ他人が、なんの恨みもない知らぬ男をあやめるなぞというためしはない。この点も、下手人として嫌疑《けんぎ》のくずれる急所でござる。ご意見いかがじゃ」
「…………」
「ありませぬな。しからば、最後のこの血潮じゃ。とり押えたみぎり着用のじゅばんに、このとおり血の跡はござったが、駒の申すにはひざより発した血じゃということでござる。――駒! だいじな場合じゃ。恥ずかしがってはならぬぞ。じゅうぶんに脛《はぎ》をまくって、諸公がたに傷跡をご検分願わっしゃい。だれかてつだって、まくってつかわせ」
やはり、ひざにはすりむいたというその傷あとが、いまだにうっすらと残っているのです。
「かくのとおりじゃ。残念ながら証拠固めがたたぬとすれば、無罪追放のほかはない。諸公がたのご判断はいかがでござる」
「…………」
「ご意見はいかがじゃ!」
「…………」
「どなたもご異論ござりませぬか!」
「…………」
「ありませぬな。――では、川西万兵衛、公儀のお名によってさばきつかまつる。やまがらお駒、ありがたく心得ろよ。長らくうきめに会わせてふびんであった。上の疑いは晴れたぞッ。立ちませい! 帰っても苦しゅうない、宿もとへさがりませい!」
森厳、神のごとき声でした。いっせいにざわめきのあがった中を、さぞやうち喜んで飛んでもかえるだろうと思われたのに、しかし当のお駒は、力も張りも、精も根も、喜ぶその気力さえも尽き果てたものか、顔いろ一つ変えず、にこりともせずに、よろめきよろめき立ちあがると、いかにも力なげにがっくりとうなだれて、引く足も重そうに、とぼとぼと出ていきました。
じっとそれを見ていたのが右門です。同役残らずがもう席を立ってしまったのに、ぽつねんとただひとり吟味席の片すみに居残って、あごをさすりさすり見送っていたが、なに思ったか、とつぜんつかつかとお白州へ飛び降りて、足もとの小じゃりを拾いとったかと思うと、
「えッ!」
突き刺すような気合いの声といっしょに、お駒のうしろ影めざしてぱっと投げつけました。――せつな、身に武道の心得ある者でなければできるわざではない。血も熱も冷えきってしまった人のように、よろよろと歩いていたお駒が、一瞬にさっと身をかわして、きっとなりながらふりかえると、
「おいたはおよしなさいませ……」
涼しい声で嫣然《えんぜん》と笑いながら、またゆっくりとうなだれて、とぼとぼと表へ消えました。
「とんだ食わせものだ。またちっと忙しくなりやがったな。――おうい、あにい! 伝六」
「ここにあり」
「見たか」
「まさに拝見いたしましたね。いい形でしたよ。つかつかと飛び降りる、さっと石を拾う、えッ、パッと投げて、大みえきってぴたりと決まった型は、まずこのところ日本一、葉村家かむっつり屋といったところだ。うれしかったね。胸がすうとしましたよ」
「そんなことをきいているんじゃねえや。今のお駒のあざやかなところを見たかというんだよ。千両役者にしたって、ああみごとに舞台は変わらねえ。あの決まったところ、さっとつぶてをかわしたところ、きりっと体が締まったところ、おいたはおよしなさいませとおちついたところ、やっとう剣法、竹刀《しない》のけいこでたたきあげたにしても、まず切り紙以上、免許ちけえ腕まえだ。女に剣術使いはあるめえと思い込んでかかったのが目ちげえさ。あの体のこなしなら、袈裟《けさ》がけ、一刀切り、男一匹ぐれえを仕止めるにぞうさはねえ。またひとてがらちょうだいするんだ。早くしたくしな」
「冗談じゃねえ。それなら、なぜさっき横車を押さなかったんですかよ。万兵衛のだんなが、ご意見はいかがじゃ、ご異論はござらぬか、と二度も三度もバカ念を押したんだ。あるならあるで、はい、先生、ございますと、活発に手をあげりゃよかったじゃねえですか」
「犬の顔にだって裏表があるんだ。物を考えつくときにだって、あともありゃさきもあるよ。初めっから気がついていりゃ、ほっちゃおかねえや。今ひょいと思いついたんで、急がしているんだ。とっとと駕籠《かご》を呼んできな」
「いいえ、だんな、お黙り! なるほど、犬の顔にも裏表があるかもしれねえがね、よしんばお駒が免許皆伝の剣術使いであったにしても、包丁はドス、そのドスが血によごれて、死
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