でござります。掛ければまた降る、替えればまた降る、三朝、四朝、五朝とつづきましたゆえ、すっかりおじけだちまして、すぐにもだれかに知らせようと思いましたが、うっかり人に話せば、たちまち八方へうわさがひろがるのは知れきったことでござりますのでな、やれ幽霊屋敷じゃ、やれ血が降るそうじゃとつまらぬ評判でもたちまして、せっかくあれまでにした門前がさびれるようなことになってはと、家人にも知らさずひたがくしにかくしておりましたが、きょうというきょうは、とうとうがまんができなくなったのでござります。いつもは朝降っておるのに、いまさっき日ぐれがたに、なにげなく上がってまいりまして、ひょいとみたら、このとおりなまなまとしたのが降っておりましたゆえ、生きた心持ちもなく、あの駕籠を大急ぎであなたさまのところへ飛ばしたのでござります」
こんな怪事はまたとない。犬の血、ねこの血、人の血、なんの血であるにしろ、替えれば替える一方から知らぬまに降っているとは、いかにも不思議です。念のために、名人は、軸のうえ、天井、左右のぬり壁、軸の下、残るくまなく手燭《てしょく》をさしつけて見しらべました。しかし、軸の外には血らしいものの飛沫《ひまつ》一滴見えないのです。
「さあ、いけねえ。左|甚五郎《じんごろう》の彫った竜《りゅう》は夜な夜な水を吹いたという話だが、狩野《かのう》のほうにだって、三人や五人、左甚五郎がいねえともかぎらねえんだ。ひょっとすると、こいつが血を吹く絵というやつにちげえねえですぜ。え、ちょいと、違いますかい」
「黙ってろ。うるさいやつだ。へらず口をたたくひまがあったら、こっちへ灯《ひ》を出しな」
さっそくに横から始めかけた伝六をしかりとばして、自身も手燭をかざしながら廊下へ出ると、へやの位置、出窓、内窓、間取りのぐあい、四方八方へ目を光らせました。
二階はこのへやと、次の間を入れてふた間きりです。そのふた間の前に、ずっと広い廊下があって、廊下の外はあまり広くない内庭でした。その庭をはさんで、脈べや、治療べや、薬べやなぞが別棟《べつむね》になっているらしく、あかりを出してすかしてみると、庭木はあるが高いのはない。ひさしもあるが、外からこのへやへ闖入《ちんにゅう》してくる足場は一つもないのです。
当然のように、名人の静かな問いが下りました。
「はしご段は?」
「いま上がってきたのが一カ所きりでござります」
「夜はどなたが二階におやすみでござるか」
「どうして、どうして、見らるるとおりこれは自慢の客間でござりますのでな。寝るどころか、家人のものもめったにあげませぬ。この下がてまえども家族の居間に寝間、雇い人どもは向こうの別棟でござります」
「その雇い人はいくたりでござる」
「まず代脈がひとり、それから書生がふたり、下男がひとり、陸尺《ろくしゃく》がふたり、それに女中がふたり」
「うちうちのご家族は?」
「てまえに、家内、それから娘、それから――いいや、いいや、それだけじゃ、ことし十九になる娘がひとりきりでござります」
「しかとそのお三人か!」
「まちがいござりませぬ。天にも地にも娘がひとり、親子三人きりでござります」
「別棟からの廊下は筒ぬけでござるか。それとも、なにか仕切りがござるか」
「大ありでござります。なにをいうにも、表のほうへは、朝から晩までいろいろの病人が出はいりしますのでな、奥と表とごっちゃになって不潔にならぬようにと、昼も仕切り戸で仕切って、夜は格別にきびしく雇い人どもへ申し渡してありますゆえ、この二階はおろか、奥へもめったには参られませぬ」
奥への出入りさえもきびしく止めてあるというのです。しかし、外からこの二階へはいりうべき足場は、なおさらどこにもないのでした。ないとしたら、伝六のいうがごとく、絵みずからが血を吹けば知らぬこと、でないかぎり、ホシはまず家の中に、とにらむのが至当です。
「しようがねえ、あんまりぞっとしねえ手だが、やっつけてみようぜ。ねえ、おい、あにい」
「へ……?」
ふり向いた顔へ、ぽつりと不意に不思議な右門流が飛びだしました。
「なにか踏み台をお借り申して、なげしへこの絵をみんな裏返しにして掛けな」
「裏返し!」
「掛けりゃいいんだ。早くしな!」
床の間の一軸も裏返しに掛けさせて、ずらり七枚並んだのを見ながめると、静かに三庵に命じました。
「いらざる口をさしはさんではいけませぬぞ。雇い人からがよい。家の者残らずを順々にここへ呼んでまいらっしゃい」
3
待ちうけているところへ、ことりことりと下から足音が近づいて、若い男の顔がまずぽっかりと現われました。
「書生か」
「さようでござります」
「名は?」
「平四郎と申します」
なにかもっときくだろうと思ったのに、それっきりです。
「よし。行け
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