それもこれも、みんなこのもらい子の娘ゆえ、千萩ゆえ、いいえ、実の子に跡をつがせたい親心の迷いからでござります。お知りかどうか存じませぬが、どうした星のせいか、この千萩が人のきらう長虫をもてあそぶ癖がござりまして、せがれの三之助がこれを忌みきらい、家出してしまったのでござります。父親は、恩ある人の娘じゃ、ほかから養子をもろうて跡をつがせるゆえ嘆くにあたらないと、このように申しますなれど、わたくしから見れば、三之助は腹を痛めた実のせがれ、人のうわさに聞けば長崎で医者の修業を終えて、こっそりと江戸へ帰った由、さぞやせがれも千萩と添いたかろう、跡目をつぎたかろうと、親ゆえに胸を痛めて、できるものなら千萩に長虫遊びをやめさせようと、たびたび父親にせつきましたなれど、がんとしてお聞き入れがないのでござります。ばかりか、近いうちに千萩の養子を取り決めるような口ぶりさえ漏らしましたゆえ、女心のあさはかさに、いっそ悪いうわさをこの家にたてさせてと存じ、あのように床の間へ血を降らせたのでござります。さすれば、いつかは人の口の端にも伝わり、あそこは幽霊屋敷じゃ、血が降るそうじゃとうわさもたちましょうし、たてば養子に来てもない道理、来てがなければやがては実のせがれの三之助も跡を継がれる道理と、親心からついあのような人騒がせをしたのでござります。――お察しくださりませ。千萩はいかにも恩ある人の娘ではござりますが、やっぱり他人、三之助は実のせがれ、できるものなら、できることなら、実の子に跡を継がせとうござります……それが、それが、子を持った親の心でござります……」
 意外にも、事はやはり千萩の長虫遊びにかかわっていたのです。しかも、親ゆえの子を思う親心ゆえに血を降らしたというのです。――名人の目には、さわやかな微笑とともに、かすかなしずくの光が見えました。
「そうでござったか! よくおこころもちがわかりました。なにも申しますまい。――かかわったが縁《えにし》じゃ。てまえ取り計らってしんぜよう。千萩どの!」
 最後まで心づかいがゆかしいのです。おどろきと悲しみに打たれながら、ついたての陰にしょんぼりとたたずんでいた千萩のそばへ歩みよると、しずかにさとすように声をかけました。
「長虫の膚なぞより、人の心は、人の膚はもっとあたたかい。そなた、三之助どのがいとしゅうはござらぬか」
「…………」
「アハハ……まっかにおなりじゃな。首のそのもみじでよくわかりました。三庵どの、千萩どのは三之助どのがきらいではないそうじゃ。お早く駕籠《かご》の用意をさっしゃい。行くさきは松永町《まつながちょう》の正福寺」
 声も出ないほどに三庵がうち喜んで、騒がしく乗り物の用意をさせながら迎えに出そうとしたのを、
「いや、待たっしゃい。乗せていくものがござる。夫婦和合にあのお櫃は禁物じゃ。寺へ届けたら、あの長虫の始末は和尚《おしょう》がねんごろにしてくださりましょうゆえ、三之助どのと引き換えに迎えておいで召されい。千萩どのもたんと人膚にあやかりなさいませよ……」
「えへへ……人膚たア、うめえことをいったね。ちくしょう。ようやく今になって音が出やがった」
「おそいや。おまえが鳴らなくて、いつになく静かでよかったよ。それにしても、おいらとおまえは出雲《いずも》の神さ。ざらざらしてちっと気味がわるいが、ほかになでる人膚はねえ、おまえの首でもなでてやらあ。こっちへかしなよ」
 くすぐったそうに首をすぼめた伝六と肩を並べながら、爽々颯々《そうそうさつさつ》と吹く朝風の中へ急ぎました。



底本:「右門捕物帖(四)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ
2000年4月20日公開
2005年9月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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