険があるのです。のぞきたいのをこらえて、ふたりはそこへうずくまりながら、じっと息をころして聞き耳立てました。
 同時のように、娘の千萩のほそくなまめかしい引き入れられそうな声が耳を制しました[#ママ]。
「お待ちかねでしたでしょう。千さま、もういいですよ。早くいっていらっしゃい……」
「…………」
「いいえ。だいじょうぶ。だれも見ちゃいないから、こわいことなんぞありませんよ。ええ、そう、――そう。まあ、かわいらしい。わたしにあいさつしていらっしゃるの。長遊びしちゃいけませんよ。早く帰っていらっしゃいね……」
 声といっしょに、するする、とかすかなきぬずれのような音がありました。
 右門主従は、おもわず息をのみました。のぞきたいのをけんめいにこらえて、じっと耳をすましながら、中のけはいをうかがいました。
 と思うまもなく、かたことと、位牌《いはい》でもが動くような物音があがりました。同時に、ちゅうちゅうと、まさしくねずみの鳴きもがきでもするような異様な声が伝わりました。あとから千萩の透き通るような声がまた耳を刺しました。
「まあ。おてがらおてがら。千さま。おみごとですよ。もういいでしょう。早くいらっしゃい。来なければしかりますよ」
 せつなです。名人主従は、引き入れられるようなその声につられて、われ知らずにさっと身を起こしました。しかし、同時に、右門も伝六も、おもわずぞっと身の毛がよだちました。
 へびです。へびなのです。大きなねずみをあんぐりとくわえて、位牌の間から長いかま首をぬっともたげながらのぞいているのです。
 いましがたちゅうちゅうと鳴きもがいたのは、じつにそのかま首がくわえているねずみなのでした。なまめかしい声で今、千萩が話をした相手も、そのへびなのでした。お櫃の中の正体も、またその長虫なのでした。
 へびを飼う娘!
 へびと話をする娘!
 意外な秘密を隠していた奇怪なお櫃《ひつ》は、意外ななぞを生んだのです。とみるまに、長虫はあんぐりとねずみをくわえたままで、ぬるぬると千萩の足もとへはいよると、なにかの化身のようにかま首をもたげながら、黒光りしている長いからだをその足へしきりとすりつけていたが、そのままするするとお櫃の中へはいこみました。
 伝六はもとよりのこと、さすがの名人も全身あわつぶだって、そこへ立ちすくんだままでした。それにしても、あの床の間へ降った血の出どころが不思議です。櫃に隠れた今のへびが降らせるとも思えないのです。
 しかし、そのとき、くぎづけになったように立ちすくんでいるふたりをおどろかして、とつぜん、庫裡《くり》の向こうから、ばたばたと人の足音が近づきました。ふたりは、はっとなって須弥壇《しゅみだん》の横へ身を隠すと、怪しみながら近づいた影を見すかしました。
 年は二十三、四。寺の者ではない、町人でもない、侍でもない、なにものかかいもく素姓のわからぬ不思議な若い男なのです。なにをいきどおっているのか、憤怒《ふんぬ》に目を光らして、荒々しく位牌堂の中へ飛び込んでいくと、やにわに千萩をにらみつけながら、あびせました。
「聞き分けのないおかたでござりまするな! あれほどいったのに、まだおやめなさらないのでござりますか!」
「…………」
「こんなものを飼えば、こんな気味のわるいものを飼ったら、なにがおもしろいのでござります! どこがかわいいのでござります」
 なじるようにいったのを、しかし千萩はひとことも答えないで、悲しげに微笑しながら、取り合うのも煩わしそうに目をそらしました。
 なにかふたりの間に、秘密のつながりがあるに相違ないのです。もうためらっている場合ではない。ひらりとわき出たように姿を見せると、黙って近づいて、黙って名人は千萩の前に立ちふさがりました。
「あッ。あなたは……! あなたさまは……!」
「右門でござる。さきほどはお宅の二階でお騒がせいたしましたな」
 不意を打たれて、千萩はまっさおに色を変えると、なによりもというように、うろたえながら足もとのお櫃にあわててふたをきせました。しかし、もうおそいのです。名人の射るような声と目が、ぶきみに笑ってその胸を貫きました。
「始終の様子は、のこらず見せていただきました。とんだにょろにょろとした隠し男をおかわいがりでござりまするな」
「ではもう……ではもう、なにもかも……」
「聞きもいたしましたし、詳しく拝見もいたしましたゆえ、ここらが潮どきとおじゃまに出てきたんでござんす。虫も殺さぬようなお美しい顔をしておいでなすって、あんまり人騒がせをするもんじゃござんせんよ。いま聞きゃ、こっちのこの若いおかたと、なにかいわくがありそうでござんすが、なにをいったい、どうしたというんでござんす。あれほどいったのに、まだやめないかと、たいへんこちらがおしかりのよ
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