う」
「さようでござんす。よくご存じですな。あのほかにいまひとり――」
「まだいたか!」
「おりました。つえとも柱とも頼んだ番頭がおりましたんですが……」
「なに、番頭!」
「さようでござんす。子どものうちからてまえの兄弟のようにして育ったのがおりましたんですが、店が傾いてくるとしようのないものでござんす。一軒構えたい、のれんを分けてくれと申しますんで、やらないというわけにもいかず、こんな店にまたおってもしかたがあるまいと、ついこのひと月ほどまえに暇をやりました。残ったのはこの小僧ひとり、子もなし、家内もなし、火の消えたようなものでござんす……」
「ふふん、そうか。ひと月ほどまえに暇をとったというか。いくらかにおってきやがったな」
出馬したとしたら早い。
にらみも早いが、ホシのつけ方も早いのです。
「その番頭の構えたという店はどこだ」
「あれでござんす」
「あれ?」
「あの前の横町へ曲がるかどにある店がそうでござんす」
変なところへまた店を張ったものでした。なるほど、店から見とおしの、目と鼻のところに見えるのです。
のれんも新しく、ご両替、鈴新という文字が目を射抜きました。
こんな不思議はない。ふらちはない。別な稼業《かぎょう》ならいざ知らず、同じ商売の両替屋なのです。恩ある主家なら、別な町か、遠いところへ店を張るべきがあたりまえなのに、まるで商売がたき、客争いをいどむように、二町と離れない近くへのれんを張っているのです。
「笑わしゃがらあ。ねえ、あにい、どうでえ。おかしくって腹がよじれるじゃねえかよ」
「そうですとも。あっしゃもうさっきからおかしくってしようがねえんだ」
「ばかに勘がいいが、なにがおかしいかわかっているのかよ」
「わかりますとも。あのおやじの顔でがしょう。ちんころが縫いあげしたような顔ってえことばがあるが、こんなのは珍しいや。浅草へでも連れていったら、けっこう暮れのもち代はかせげますよ」
「あほう」
「へ……?」
「いつまでたっても知恵のつかねえやつだ。だから嫁になりてもねえんだよ。おいらのおかしいのは、あば敬のことなんだ。不審のかどありが聞いてあきれらあ。ちゃんとこの店の前に、不審のかどのご本尊がいらっしゃるじゃねえかよ。のれんを分けてもらった子飼いの番頭が、ご本家へ弓を引くようなまねをするはずがねえ。ふたりの手代どもが忠義顔に罪を着たがったのも、火もとはあの辺だ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑《もくず》をあばいてお目にかけるから、ついてきな」
「ちげえねえ」
「おそいや! 感心しねえでもいいときに感心したり、しなくちゃならねえときに忘れたり、まるで歯のねえげたみてえなやつだ。そっちじゃねえ。あのかどの鈴新へ行くんだよ。とっとと歩きな」
名人の気炎、当たるべからずです。
表へいってみると、その鈴新が豪勢でした。みがき格子《こうし》に新《あら》のれん、小僧の数も四人あまりちらついて、年の瀬を控えた店先には客足もまた多いのです。
「根が枯れて、枝が栄えるというのはこれだよ。鈴新というからにゃ、新兵衛《しんべえ》、新九郎《しんくろう》、新左衛門《しんざえもん》、いずれは新の字のつく名まえにちげえねえ。おやじはいるか、のぞいてみな」
「待ったり、待ったり。穏やかならねえ声がするんですよ。出ちゃいけねえ、出ちゃいけねえ。ちょっとそっちへ引っこんでおいでなさいまし」
「なんだ」
「女の声がするんですよ」
「不思議はねえじゃねえか」
「いいや、若い娘らしいんだ。――ね、ほら、べっぴん声じゃござんせんか……」
なるほど、張りのいい若やいだ声が耳を刺しました。
「久どん! 久どん! いけないよ。なんだね、おまえ、だいじなお宝じゃないか。小判をおもちゃになんぞするもんじゃないよ」
「いいえ、お嬢さま、おもちゃにしているんじゃねえんですよ。精出して音いろを覚えろ、にせの小判とほんものとでは音が違うからと、おだんなさまがおっしゃったんで、音いろを聞き分けているんですよ」
「うそおっしゃい! そんないたずらをしているうちに、また一枚どこかへなくなったというつもりだろう。おとといもそうやっているうちに、小粒が一つどこかへなくなってしまって、出ずじまいじゃないか、ほかのだれをごまかそうとも、このわたしばかりはごまかせないよ。音いろを聞きたかったら、この目の前でおやり!」
権高に店員をしかっているあんばい、むろんこの家の娘にちがいないが、どうやら店のこと、金の出入りの采配《さいはい》も、その娘が切りまわしているらしい様子でした。
ひょいとのぞいてみると十八、九、――品はないが、まずまずべっぴんの部類です。
「繁盛だな……」
「いらっしゃい。どうぞ、さあどうぞ。そこではお冷えなさいます。こちらへお掛けなさいまし」
あいきょうがまたばかによい。こぼれるような笑顔《えがお》をつくりながら、こわい名人を名人とも知らないのか、下へもおかない歓待ぶりでした。
「ご両替でございましょうかしら? お貸し金でございましょうかしら? ――お貸し金のほうなら、もう暮れもさし迫っておることでございますゆえ、抵当がないとお立て替えできかねますが……」
「金に用はない。のれんに用があって参ったのじゃ」
ずばりと、切りさげるように一本くぎをさしておくと、やんわりといったものです。
「小判に目が肥えているなら、こっちのほうも目が肥えておろう。この巻き羽織でもようみい」
「まあ。そうでござんしたか。どんなお詮議《せんぎ》やら、朝早くのご出役ご苦労さまでござります。お尋ねはにせ金のことかなんかでございましょうかしら?」
おどろく色もなく嫣然《えんぜん》と笑って、流るる水のごとくなめらかに取りなしました。
「なんのお調べでござんしょう? わたくし、娘の竹というものでござります。わたしでお答えのできないことなら親を呼びますが……」
「おるか!」
「朝のうち一刻《ひととき》は信心するがならわし。あのご念仏の声が親の新助でござります」
「いいや、行く、行く。お上のだんなの御用ならいま行くぞ……」
耳にはさんだとみえて、いそいそと出てきたその親の新助が、また至極とあいそがいいのです。
「毎度のご出役ご苦労さまでござります。おおかただんなさまも、てまえのうちが向かいの主人の鈴文さまのお店より景気がいいんで、それにご不審をうってのお越しじゃござんせんか」
「よくわかるな。どうしてそれがわかる」
「いいえ、敬四郎のだんなさまもそのようにおっしゃって、たびたび参りましたんで、たぶんまたそんなことだろうと察しがついただけなんでございますよ。そのご不審でのお越しならば、ここに一匹招きねこがおりますゆえ、ようごろうじませ。アハハハハ。親の口からは言い憎いことでござりまするが[#「ござりまするが」は底本では「ごさりまするが」]、一にあいきょう、二にあいきょう、若い娘のあいきょうほど客を引くにいい元手はござりませぬ。店の繁盛いたしますのも、みんなこの招きねこのせいでございますよ。ほかにご不審がございましたら、お白州へでも、ご番所へでも、どこへでも参ります。なんならただいまお供いたしましてもよろしゅうござります。アハハハハ。いかがでござります。だんなさま」
にこやかに笑って、あいそのいい応対ぶり、さながらにすべすべとしたぬれ岩をでもつかむようでした。
「ふふん。しようがねえや……」
不思議です。
なんと思ったか、とつぜん名人が吐き出すようにつぶやいたかと思うと、にやにや笑いながら、さっさと店を引きあげました。
4
「ま、ま、待っておくんなさい! なにとぼけたまねをするんです! どんどん行って、どこへ行くんですかよ」
おどろいたのは、いつもながらの伝六です。
「またなにかいやがらせをするんですかい」
「アハハ……」
「アハハじゃねえですよ。根が切れた、つるが切れた、詮議《せんぎ》の糸がなくなったらなくなったと、正直にいやいいんだ。てれかくしに笑ったって、そんなバカ笑いにごまかされるあっしじゃねえんですよ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑《もくず》をあばいてやらあと、たいそうもなくりっぱな口をおききでしたが、ぱんぱんはどこへいったんです。藻屑はどこへ流れたんですかよ」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえ、だんな! これがうるさかったら、伝六はめしの食いあげになるんだ。出のわるいところてんじゃあるめえし、出しかけてやめるたア何がなんですかよ。しらべかけて逃げだすたア何がおっかねえんですかよ。お竹とかいったあの娘に、ぽうときたんですかい」
「がんがんとやかましいやつだな。あのおやじがホシだ、くせえとにらんだ目に狂いはねえんだ。ねえけれども、おやじもおやじ、娘も娘、ああいうのが吟味ずれというんだよ。すべすべぬらぬらとしゃべりやがって、あんな親子をいくら締めあげたってもむだぼねなんだから、あっさり引きあげたんだ。手をまちがえたのよ、手をな」
「手とね。はてね……」
「わからねえのかい。ああいうやつには、動かぬ証拠をつきつけて責めたてるよりほかには手がねえんだ。その手をまちがえたというんだよ。とんだ忘れものさ。むっつり流十八番|桂馬《けいま》飛びという珍手を忘れていたはずだが、おまえさん心当たりはないかえ」
「さあ、いけねえ。食い物のことじゃござんすまいね。そのほうならば、ずいぶんとこれで知恵は回るんだが……」
「ドスだよ」
「へ……?」
「ぎっちょの梅五郎が豊太をえぐったあの匕首《あいくち》なんだ。刃物の持ち込み、出し入れのきびしいお牢屋だ。どこのどやつが梅五郎のところへ届けたか、肝心かなめ、たいせつなお詮議ものを度忘れしていたじゃねえか。しっかりしろい」
「ち、ち、ちげえねえ。――急ぎだよ! 駕籠屋《かごや》! 待っておれといったのに、どこをのそのそほつき歩いているんだ。牢屋へ行きな! 牢屋へ!」
ひゅう、ひゅうと風がうなってすぎて、駕籠もうなるような早さでした。
しかし、行きつくと同時に、右門の足はぴたりとくぎづけになりました。
はいろうとしたお牢屋同心の詰め所の中から、ぴしり、ぴしりとむちの音が聞こえるのです。
痛み責めの音にちがいない……。
敬四郎、得意の責め手なのでした。さては? ――と思って、のぞいた目に映ったのは、意外です。
責めているのは、あの源内でした。打たれているのは、お牢屋づとめの番人らしい若い小者なのでした。
「なにをお責めじゃ」
「おう、おかえりか。太いやつじゃ。こいつが、こいつめがあのドスを――」
「差し入れたといわるるか!」
「そうなのじゃ。人手にまかして源内ばかり高見の見物もなるまいと、ドスの差し入れ人をしらべたところ、ようやくこやつのしわざだということだけはわかったが、なんとしてもその頼み手を白状せぬゆえ、責めておるのじゃ。――ふらちなやつめがッ。牢屋づとめをしておる者が科人《とがにん》とぐるになって、なんのことじゃ。ぬかせッ、ぬかせッ。ぬかさずば、もっと痛いめに会うぞッ」
ぴしり、ぴしり、と折檻《せっかん》の手の下るのを、しかし小者は必死と歯をくいしばってこらえながら、白状は夢おろか、あざわらいすら浮かべているのです。
その顔をひょいとみると、ほんのいましがた床屋へいってきたらしい跡が見えました。月代《さかやき》もそったばかりで、髪にはぷうんと高い油のにおいすらもしているのです。
「アハハ……よし。わかりました。痛め吟味ばかりが責め手ではござらぬ。口を開かせてお目にかけましょう。この右門におまかせくだされい」
さえぎるように源内の手からむちをとって投げ捨てると、やにわにちくりとえぐるように浴びせかけました。
「おまえ、今晩あたり、うれしいことがあるな!」
「…………!」
「びっくりせんでもいい。むっつり右門の目は、このとおりなにもかも見通しだぜ。おまえ、きょう非番だろう!」
「…………」
「おどろいているだけじゃわからねえんだ。返事をしろ! 返事を!」
「そうでござんす。非番でござんす」
「だから床屋
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