ご親切があったら、けえりしなにえさ係りへ一本くぎをさしていっておくんなせえまし。もっとうまいしるを食わせるようにとね。浮き世の景気はどうでござんす」
 などと不敵至極なことをいって、頭からのんでかかっているのです。
 こんなしたたか者を相手にしては、むろん尋常一様の詮議《せんぎ》でらちのあくはずはない。おそらく、牢名主はじめ同牢の者は、だれがやったか、どうしてやったか、匕首《あいくち》の隠し場所もちゃんと知っているであろうが、告げ口、耳打ちはいうまでもないこと、世間の義理人情とはまた違った義理人情を持っているこの連中が、ひととおりやふたとおりの責め方でたやすく口を割ろうとは思いもよらないことでした。
 ただ、残るものは右門流あるのみです。動かぬ証拠を右門流で見破って、ぐうの音も出ないようにする以外手段はないのです。
「さてのう、どこからおどろかしてやるか、いろいろと手はあるんだが……牢名主」
「なんでござんす」
「おまえの生国はどっちじゃ」
「おふくろの腹ん中ですよ」
「そうか。では、おまえの腹の中もひやりとひと刺し冷たくしてやるぞ」
 ぶきみにいって、じろりじろりと見ながめていたその目が、ふとひざの下の重ね畳にとまりました。
 不審があるのです。今まで下積みになっていたために、しけって腐ったらしいすそ切れのある一枚が上になって、しゃんとしたのが下になっているのです。あきらかに、それは畳を積み替えた証拠でした。
 せつなです。ずばりとはぜたような声が、牢名主の顔へぶつかりました。
「降りろッ」
「な、な、なんですかえ。牢頭《ろうがしら》の重ね畳はお城も同然なんだ。お奉行《ぶぎょう》さまがちゃんとお許しなんですよ。降りろとは、ここを降りろとはなんでござんす!」
 目をむいてさからおうとしたのを、ぞうさはない。
「もっと筋の通る理屈をいいな。おいらが降りろといったら、そのお奉行さまが降りろといったも同然なんだ。さからいだてしたところがなおさら不審だ。降りなきゃ降ろしてやるよ」
 ふわりと軽く手首を取ったかとみると、草香流、秘術の妙です。
「い、い、いてえ! いてえ! いえ、降ります……降ります……おとなしく降りますよ」
 ころげおちるように降りたのを待ちうけて、静かに伝六をあごでしゃくりました。
「一枚一枚、この畳をしらべてみな」
「へ……?」
「裏返しにしてみろというんだよ。どれか一枚にドスを刺しこんで隠してあるにちげえねえ。一枚のこらず返してみな」
 あったのです。上からちょうど三枚め、畳の裏腹のわら心へ、ぐいと深くさしこんでたくみに隠してあったのです。
「そうだろう。どうだえ、みんな、そろそろこわくなりゃしねえかえ。こりゃほんの右門流の序の口よ。ドスが出てきたからにゃ、下手人もおまえら十八人のうちにいるにちげえねえんだ。拷問、火責め、お次はどんな手が出るかしらねえが、急がねえところがまた右門流の十八番でな。この牢格子の中へ入れておきゃ、下手人を飼っておくようなもんだ。起きたばかりで、おまえらも腹がすいているだろう。ゆるゆると煎《せん》じてやるから、まずめしでも食べな。――おうい。小者! 小者!」
 不思議でした。
 なにを思いついたか、ふいとうしろをふりかえると、気味のわるいほどにもおちついて、変なときに変なことを、ひょっくりと命じました。
「食わしてやんな。がつがつしているだろうからな。おつけがどうの、おしるがしみったれだのと、ろくでもねえことをぬかしやがったから、けさばかりはたっぷりつけてやんなよ。いいかい。どんどんお代わりしてやんな」
 眠りと食べ物こそは、なににもまさる極楽の囚人たちです。
「来た! 来た! おつけだぞ」
「めっぽう豪気なことになりやがったじゃねえか。湯気がたっているぜ」
「捜し出すなら捜してみねえ。下手人|詮議《せんぎ》よりも、こっちゃめしがだいじだ。おい! こっち! こっち! おれが先に手を出したじゃねえか! へへんだ。こんなぬくめしにありつけるなら、なんべんだって殺してやらあ!」
 さながらに餓鬼でした。
 目いろを変えて、十八人がずらずらと並びながら、先を争ってむしゃぶりつきました。
 しかし、名人の目がそれを遠くからながめて、じいっと光っていたのです。ひとり、ふたり、三人、四人、――右はしから拾っていったその目が、とつぜんぴたりと六人めのところで止まりました。
 人と変わった食べ方でした。
 ひどいぎっちょとみえて、左にはしを持ちながら、左でがつがつ食べているのです。
 せつな。
 つかつかと近づいたかと思うと、えり首をつまみあげた手も早かったが、啖呵《たんか》もまたみごとでした。
「たわけたちめがッ。これも名だけえむっつり流の奥の手だ。ようみろい! 餓鬼みてえなまねをするから、こういうことになるんだ。下手人はこのぎっちょと決まったよ。立てッ」
「な、な、なにをなさるんです! ぎっちょは親のせいなんだ。あっしが、あたしが下手人なんぞと、とんでもねえことですよ!」
「控えろッ。おいらをだれと思っているんだ。江戸にふたりとねえむっつり右門だよ。あの傷をよくみろい。うしろから抱きすくめて刺した傷じゃねえ。あのとおり逆刃《さかば》の跡が上にはねているからにゃ、まさしく正面から突いた傷だ。そこだよ、そこだよ。正面から刺した傷なら、ぎっちょでねえかぎり、相手の左を突くのがあたりめえじゃねえか。しかるにもかかわらず、あの傷は右をやられているんだ、右の胸をな。さては下手人左ききか、いいや、ぎっちょにちげえあるめえと、このおいらがにらんだになんの不思議があるかよ。十八人いるうちで、なにをあわてたか左でめしを食ったなおめえひとりなんだ。まぬけめがッ。むっつり右門がむだめしを食わせるけえ。そのぎっちょを見つけたくて食わしたんだ。食い意地に負けて、右手ではしを持たなかったのが運のつきさ――。下手人があがりゃ、ほかにはもう用はねえ。あにい! あにい!」
「へえ……?」
「へ、じゃないよ。なにをぱちくりやってるんだ。これから先は伝六さまの十八番だ。このなまっちろい野郎をしょっぴいていって、ひとり牢へぶち込みな」
「ね……!」
「なにを感心していやがるんだ。毎度のことだ、いちいちと驚かなくともいいんだよ。人ひとり殺すからには、なにかいわくがあるにちげえあるめえ。やつらの素姓をちょっと洗わしてもらいましょう。源内どの、ご案内くださらぬか」
 連れだってやっていったところは、牢同心詰め所の奥座敷です。
 ご牢屋日誌、送り込み帳、ご吟味記録。
 ずらりと並べて積みあげてあるお帳簿箱へ近づくと、三番牢ご吟味記録とある分厚な一冊を取りあげました。
「源内どの、殺された男はなんといいましたかな」
「豊太《とよた》という名でござる」
「あの下手人は?」
「梅五郎という名じゃ」
「入牢《じゅろう》は何日と何日でござる」
「両名とも十二月五日じゃ」
「ほほう。いっしょの日でござるか」
 その十二月五日のところをあけてみると、いぶかしい文字が見えるのです。
「お吟味一回。十二月五日。南町ご番所。
 豊太、三十四歳。日本橋|茅場町《かやばちょう》両替屋鈴文手代。丁稚《でっち》より住み込み。
 梅五郎、二十八歳。同鈴文手代。同じく丁稚より住み込み。
 罪状、主家金子壱千百三十両使いこみ。ただし、両名の申し立てに不審のかどあり。お吟味中入牢」
 そういう不思議なお記録でした。
 同じ両替屋の手代であるというのも意外なら、主家金子壱千百三十両使い込み、ただし、両名の申し立てに不審のかどあり、お吟味中入牢とある一条は、見のがしがたき文字です。
 がぜん、名人の目がさえ渡りました。
「あれなる両名のお係りはどなたじゃ」
「敬四郎どのでござる」
「ははあ……そうか。とんだめぐり合わせじゃのう、伝六よ」
「へえ……?」
「よろこべ、よろこべ、あばだんなのしりぬぐいを仰せつかったぞ。これをようみい」
「……? エへへ……なるほどね。道理で、近ごろろくろく顔を見せずにしょげていましたっけ。あきれたもんだね。不審のかどありとは、よくもしらをきったもんだ。大将の手がけたあなで、不審のかどのねえものはねえんですよ。さあ、忙しい! ちきしょうめ。さあ、忙しくなりましたね」
「あわてるな。まだしりからげなんぞしなくともいいよ。気になるのは、この不審のかどとあるその不審じゃが、源内どの、様子お知りか」
「知っている段ではござらぬ。このとおり、千百三十両使い込んだに不思議はござらぬが、その使い方がちと妙でな。鈴文は当代でちょうど三代、なに不自由なく両替屋を営んでおったところ、この盆あたりから日増しにのれんが傾きかけてまいったと申すのじゃ。だんだんと探っていったところ、その穴が――」
「あの両名の使い込みか!」
「さようでござる。ところが、ここに不審というのは、ふたりともおれが使った、おまえではない、このわしが使い込んだのじゃ、梅五郎の申し立ては偽りでございます、いいえ、豊太の申し立てはうそでござりますと、互いに罪を奪い合うのじゃ。それも申し立てがちと奇妙でござってのう、長年、ごめんどううけた主家が左前になったゆえ、ほっておいてはこの年の瀬も越せぬ、世間にぼろを出さず、鈴文の信用にも傷をつけず、傾きかけたのれんを建て直すには、一攫《いっかく》千金、相場よりほかに道はあるまいと、五十両張り、百両張り、二百両、三百両と主人に隠れて張ったのが張る一方からおもわく違いで、かさみにかさんだ使い込みが知らぬまに千百三十両という大金になったと申すのじゃ。いわば主家再興の忠義だてにあけたあなではあるし、知らぬ存ぜぬというなら格別、おれじゃ、わしじゃ、おまえではない、うぬではないと言い争って罪を着たがるゆえ、拷問好きの敬四郎どのも痛しかゆしのていたらくで、ことごとく手を焼き、日を見ておりを見てと、入牢させておいたのがこのような朋輩《ほうばい》殺しになったのじゃ。何から何まで不審ずくめでござるからのう。どうなることやら、困ったことでござる」
 いかさま、不審ずくめです。
 いかに主家への忠義だての罪であったにしても、互いに罪を奪い合うのがそもそもの不審でした。
 ましてや、その一人が他を殺すにいたっては、捨ておかるべきではない。不審のもとは、これは両替屋鈴文にあるのです。
「あにい! 茅場町だッ」
「駕籠《かご》ですかい!」
「決まってらあ!」
「ありがてえ! これでもちがつけらあ。さあこい! 野郎! あば敬の大将、そこらからひょこひょこと出るなよ。めんどうだからな。――へえ、御用駕籠です! はずんで二丁だ。かんべんしておくんなせえ。いいこころもちだね。飛ばせ! 飛ばせ」
 ひとかど、ふたかど、四かどと曲がらぬうちに、もうその茅場町でした。

     3

 なるほどある。
 古いのれんに、すず文と染めぬいて、間口も三間あまり、なかなかの大屋台です。
 しかし、表の飾り天水おけはあってもたががはじけ、のれんには穴があいて、左前が軒下にのぞいているような構えでした。
「うそじゃねえや。屋根がほんとうに傾いていやがる。――おるか。許せよ」
「いらっしゃいまし……あいすみませぬが、ご両替ならこの次にお願いしとうござります…」
「この次を待ってりゃ土台骨がなくなろうと思って、大急ぎにやって来たんだ。おまえが主人か」
「さようでございますが、だんなさまはどちらの」
「どちらの男でもいい。しょぼしょぼしていてよく見えねえや。もっとこちらへ顔をみせろ」
 いぶかるようにあげた顔は、もう六十あまり。――目にはやにが浮き、ほおは青やせにやせこけて深いしわがみぞのように走り、三度三度のいただきものも事欠いているのではないかと思われるような、しょぼしょぼとした老人でした。
 そばに丁稚《でっち》がひとり。
 これも食べないための疲れからか、まだ起きたばかりの朝だというのに、こくりこくりと舟をこいでいるのです。
「店のものはこれっきりか」
「ほかにおることはおったんですが――」
「牢へへえったんだろ
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