ところだ。素姓しらべはあとでいい、傷口を先に見よう。そのこもをはねてみな」
ぬっと出た顔は、三十七、八、つら構えは中くらい、しかし、ほおの肉づき、顔のいろ、まだそれほど牢疲れが見えないのです。
「源内どの、こやつは近ごろ入牢の者でござるな」
「さようでござる。つい十日になるかならぬかの新入りでござる」
「ほほうのう。十日ばかりじゃと申されるか。ちっとそれが気にかかりますな。傷口は?」
「そこじゃ。その右の胸もとじゃ」
なるほど、乳のちょうど上あたりに、ぐさりとひと突き、みごとな刺し傷が見えました。
得物は匕首《あいくち》、たしかにドスです。
しかも、傷口は上に走って、まさしく正面から突き刺したものでした。ちらりと見ながめるや、ふふんと白い笑いがのぼりました。
「アハハ……そうか。なるほど、そうか。来てみればさほどでもなし富士の山、というやつかのう。よしよし。そろそろと根がはえだしやがった」
もうなにかすさまじい眼がついたとみえるのです。あちらこちらをぶらぶらとやりながら、ちらりちらりと鋭く目を光らして、十八人の同牢の囚人たちの目いろをひとりひとり見比べました。
しかし、ここへはいるほどの者はみな、ひと癖もふた癖もあるしたたか者ばかりです。外から下手人のはいった形跡がないとすれば、もちろんこの中の十八人のだれかに相違ないが、よしや十八人のうちにいたにしても、顔いろや目つきで眼をつけることは、いかな名人でも困難なことでした。だいいち、だれもかれも同じような顔つきをして、目のいろ一つ変えたものすらないのです。ばかりか、十八人が十八人ともにやにやとやって、捜し出せるものなら捜し出してみろといわぬばかりに、あざわらいさえ浮かべているのでした。
なかでも不敵そうに、青黒い歯をむいてうす笑いを漏らしていたのは牢名主《ろうなぬし》です。型どおりに重ね畳の上へどっかりすわって、右門がだれか、名人がどこの男かというようにあいさつ一つせず、傲然《ごうぜん》とうそぶきながら、にやりにやりとやっているのでした。
「おまえ、たいそう上きげんだな」
「えへへ……そうでもねえのですがね、畳の上の居ごこちはまた格別でね。だんなもちょいといかがでござんす」
「はいってもう何年じゃ」
「忘れましたよ。ここは浮き世の風が吹かねえのでね。えへへ――近ごろ、おつけがしみったれでしようがねえんだ。ご親切があったら、けえりしなにえさ係りへ一本くぎをさしていっておくんなせえまし。もっとうまいしるを食わせるようにとね。浮き世の景気はどうでござんす」
などと不敵至極なことをいって、頭からのんでかかっているのです。
こんなしたたか者を相手にしては、むろん尋常一様の詮議《せんぎ》でらちのあくはずはない。おそらく、牢名主はじめ同牢の者は、だれがやったか、どうしてやったか、匕首《あいくち》の隠し場所もちゃんと知っているであろうが、告げ口、耳打ちはいうまでもないこと、世間の義理人情とはまた違った義理人情を持っているこの連中が、ひととおりやふたとおりの責め方でたやすく口を割ろうとは思いもよらないことでした。
ただ、残るものは右門流あるのみです。動かぬ証拠を右門流で見破って、ぐうの音も出ないようにする以外手段はないのです。
「さてのう、どこからおどろかしてやるか、いろいろと手はあるんだが……牢名主」
「なんでござんす」
「おまえの生国はどっちじゃ」
「おふくろの腹ん中ですよ」
「そうか。では、おまえの腹の中もひやりとひと刺し冷たくしてやるぞ」
ぶきみにいって、じろりじろりと見ながめていたその目が、ふとひざの下の重ね畳にとまりました。
不審があるのです。今まで下積みになっていたために、しけって腐ったらしいすそ切れのある一枚が上になって、しゃんとしたのが下になっているのです。あきらかに、それは畳を積み替えた証拠でした。
せつなです。ずばりとはぜたような声が、牢名主の顔へぶつかりました。
「降りろッ」
「な、な、なんですかえ。牢頭《ろうがしら》の重ね畳はお城も同然なんだ。お奉行《ぶぎょう》さまがちゃんとお許しなんですよ。降りろとは、ここを降りろとはなんでござんす!」
目をむいてさからおうとしたのを、ぞうさはない。
「もっと筋の通る理屈をいいな。おいらが降りろといったら、そのお奉行さまが降りろといったも同然なんだ。さからいだてしたところがなおさら不審だ。降りなきゃ降ろしてやるよ」
ふわりと軽く手首を取ったかとみると、草香流、秘術の妙です。
「い、い、いてえ! いてえ! いえ、降ります……降ります……おとなしく降りますよ」
ころげおちるように降りたのを待ちうけて、静かに伝六をあごでしゃくりました。
「一枚一枚、この畳をしらべてみな」
「へ……?」
「裏返しにしてみろという
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