ぎがかかって、そのかぎはあの源内だんなが後生だいじと腰に結わえつけていらっしゃるんだ。外から人のへえったはずはねえんです。ねえとしたら、中の十八人のうちのどやつかがやったにちげえねえんです。ところが、そのご牢内へは刃物はおろか、ハの字のつくものも持ち込むことはできねえですよ。それをいうんです、それをね。あっしがしゃべりだすと、かれこれいばった口をおききなさるが、このとおり伝六の話にはむだがねえんだ。ちゃんと筋が通って、ひと口飲んだら身の毛がよだつというこくのある話をするんですよ。くやしかったら、とっくりあごをなでて考えてごらんなさいまし……」
なるほど、不思議至極、奇怪千万な話です。伝六のいうとおり、平牢《ひらろう》の、それもおおぜい投げ込み牢の中では、牢つきあいの悪い者、牢名主にさからった者なぞは、深夜、さかつるし、水責め、あるいはまたふとん蒸しなぞの牢成敗に出会って、囚人が囚人に殺される例はままあることでした。しかし、刃物で切られたというためしはない。あったとしたら、いかさまがてんのいかぬことです。おのずと名人もいろめきたちました。
「かぎのぐあい、外からはいったものがないかどうか、入念にお調べでござったろうな」
「それはもう仰せまでもござらぬ。なにより肝心なこと、念に念を入れて調べたが、さらに外よりはいった形跡がござらぬゆえ、不審に耐えぬのじゃ」
「見つけたのはいつごろでござる」
「ほんのいましがたじゃ。丑満《うしみつ》に見まわったときはなんの異状もなかったのに、明けがた回ってみると、十九人がひとり欠けているのじゃ。それがいま申したとおり、胸もとを刺されて血に染まっていたのでな、騒ぎだしたらこの源内の恥辱と思うて、こっそりと同牢の者十八人を洗ってみたのじゃが、下手人はおろか、刃物さえも見つからぬのじゃ。それゆえ、うろたえて、いっそてまえごときがまごまごといじくりまわすよりも、そなたのご助力仰いだが早道と思うて、取るものも取りあえず駆けつけたのじゃ。面目ない……面目ない……お寒いところおきのどくじゃが、お力お貸しくだされい」
「ようござる。お互いお上仕え、災難苦労は相見互いじゃ。すぐ参ってしんぜよう。ご案内くだされい」
「かたじけねえ!」
「なに喜んでいるんだ。それがむだ口だというんだよ。早くはきものでも出しな」
「いちいちとそれだ。源内だんなの代わりに、この伝六がお礼をいっているんですよ。諸事このとおり抜けめのねえところが、他人にゃできねえ芸当なんだ。へえ、おはきもの――」
「おいらじゃねえや。源内だんなが、はだしではさぞおつめたかろうと思って、はきものをといったんだよ。まのぬけたことばかりやっていやがって、このとおり抜けめがねえもねえもんだ。では、お供つかまつる。冷えますな……」
伝六なぞとは気のつきどころが違うのです。お江戸自慢の巻き羽織に朝風をはらんで、血のけもないほどにうちうろたえている源内をいたわりいたわり、越中橋から江戸橋、大伝馬町、小伝馬町と、ひた急ぎに伝馬町の大牢《おおろう》へ急ぎました。
2
一番牢、二番牢といって、三番牢は同じ棟《むね》のいちばん奥でした。
目ばかりのような男、ひげばかりのような男、骨ばかりのような男、あの世の風が吹く牢屋です。うすべり一枚ない板の間に、人ばなれした十八人が、寝るでもなく起きるでもなく、虫のようにごろごろしているありさまは、ほんとうに生き地獄のようでした。
「刺されたという男は、どこでござる」
「あれじゃ。あのすみのこもの下がそうでござる。いま外へ運ばせますゆえ、ちょっとお待ちくだされい」
「いや、いじらぬほうが、なにかと手がかりもつきやすいというものじゃ。中へはいって調べましょう。おあけくだされい」
しろうとであく錠ではない。一番牢は右ねじり、二番牢は左ねじり、三番牢は上へねじるとか下へねじるとか、ちゃんと法則がきまっているのです。それぞれの獄《ひとや》の牢かぎの秘密を心得ているものがお牢屋同心なのでした。かちゃりと源内があけたあとから、物静かにはいっていくと、調べ方にむだがない。
「ほほう、お店《たな》者でござるな」
指さきをちらりと見ると同時に、まずぴかりと右門流のおそろしいところをひろげはじめました。
「あきれたもんだね。ほんとうですかい。いかにだんなにしてもちっと気味がわりいが、見てきたようなうそをつくんじゃありますまいね」
「もう出しやがった。いちいちとそれだからうるせえんだ。この右手の人さし指と親指の腹をよくみろい。ちゃんとこのとおり、そろばんだこが当たっているじゃねえかよ、こんなにたこの当たるほどそろばんをいじくっていたとすると、お店《たな》者もただのあきんどじゃねえよ。まず両替屋、でなくば質屋奉公、どっちにしても金いじりの多い
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