たいせつなお詮議ものを度忘れしていたじゃねえか。しっかりしろい」
「ち、ち、ちげえねえ。――急ぎだよ! 駕籠屋《かごや》! 待っておれといったのに、どこをのそのそほつき歩いているんだ。牢屋へ行きな! 牢屋へ!」
ひゅう、ひゅうと風がうなってすぎて、駕籠もうなるような早さでした。
しかし、行きつくと同時に、右門の足はぴたりとくぎづけになりました。
はいろうとしたお牢屋同心の詰め所の中から、ぴしり、ぴしりとむちの音が聞こえるのです。
痛み責めの音にちがいない……。
敬四郎、得意の責め手なのでした。さては? ――と思って、のぞいた目に映ったのは、意外です。
責めているのは、あの源内でした。打たれているのは、お牢屋づとめの番人らしい若い小者なのでした。
「なにをお責めじゃ」
「おう、おかえりか。太いやつじゃ。こいつが、こいつめがあのドスを――」
「差し入れたといわるるか!」
「そうなのじゃ。人手にまかして源内ばかり高見の見物もなるまいと、ドスの差し入れ人をしらべたところ、ようやくこやつのしわざだということだけはわかったが、なんとしてもその頼み手を白状せぬゆえ、責めておるのじゃ。――ふらちなやつめがッ。牢屋づとめをしておる者が科人《とがにん》とぐるになって、なんのことじゃ。ぬかせッ、ぬかせッ。ぬかさずば、もっと痛いめに会うぞッ」
ぴしり、ぴしり、と折檻《せっかん》の手の下るのを、しかし小者は必死と歯をくいしばってこらえながら、白状は夢おろか、あざわらいすら浮かべているのです。
その顔をひょいとみると、ほんのいましがた床屋へいってきたらしい跡が見えました。月代《さかやき》もそったばかりで、髪にはぷうんと高い油のにおいすらもしているのです。
「アハハ……よし。わかりました。痛め吟味ばかりが責め手ではござらぬ。口を開かせてお目にかけましょう。この右門におまかせくだされい」
さえぎるように源内の手からむちをとって投げ捨てると、やにわにちくりとえぐるように浴びせかけました。
「おまえ、今晩あたり、うれしいことがあるな!」
「…………!」
「びっくりせんでもいい。むっつり右門の目は、このとおりなにもかも見通しだぜ。おまえ、きょう非番だろう!」
「…………」
「おどろいているだけじゃわからねえんだ。返事をしろ! 返事を!」
「そうでござんす。非番でござんす」
「だから床屋へいってきたというだけじゃあるめえ。そのめかし方は、まずうれしい待ち人でもあるといった寸法だ、今夜きっと会いましょうと口約束した待ち人がな。しかも、その待ち人は女だろう! 違うか! どうだ!」
「…………!」
「返事をしろッ、返事を! いちいちと、そうびっくりするにゃ当たらねえや。おまえらふぜいを責め落とすぐれえ、むっつり右門にゃ朝めしめえだ。安い油をてかてかとぬったぐあい、女に会えるからのおめかしに相違あるめえ。どうだ、違うか!」
「そ、そ、そうでござんす」
「その女がドスの頼み手、こいつをこっそり梅五郎さんに届けておくんなさいまし、さすればどんなことでもききます。あすの晩にでもと、色仕掛けに頼みこまれて、ついふらふらと、とんでもねえドスのお使い番をしたんだろう。女は年のころ十八、九、あいきょうたっぷり、こいつもにらんだ眼に狂いはねえつもりだが、違うか、どうだ」
「…………!」
「返事をしろッ、返事を! むっつり右門の責め手は理づめの責め手、知恵の責め手、こうとにらんだら抜け道のねえ責め手なんだ。年もかっきりずぼしをさしたに相違あるめえ。どうだ、青っぽ!」
「そ、そ、そのとおりでござります……」
「よし、わかった。もうそれで聞くにゃ及ばねえ。伝六、また駕籠だ。おめえひとりがよかろう。あの親子をしょっぴいてきな」
「親子!」
「今のあの鈴新親子を引いてこいというんだ。これだけの動かぬ証拠がありゃ、もう否やはいわせねえ。しかし、おめえは口軽男だ、うれしくなってぱんぱんまくしたてたらいけねえぜ。ちょっとそこまでと別口のおせじでもいってな、のがさねえように、うまく引いてきな」
「心得たり! ちきしょうめ。こういうことになりゃ、伝あにいのおしゃべりじょうずは板につくんだ。たちまち引いてくるから、お茶でも飲んでおいでなせえよ」
忙しい男です。
ぴゅうぴゅうと、うなりをたてて飛んでいく姿が見えました。
遠いところではない。
二杯とお茶を飲むひまのないまもなくでした。
エへへ、という声がしたと思うといっしょに、その伝六がなにをべらべらやっているのか、しきりにさえずりながら、新助お竹の親子を手もなく引いてきたのです。
「さあ来たんだ。べらぼうめ! 神妙にしろ。得意のむっつり流で、ぱんぱんとやっておくんなせえまし!」
突き出すように押してよこしたふたりの前へ近づくと、ぶき
前へ
次へ
全10ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング