うがまたばかによい。こぼれるような笑顔《えがお》をつくりながら、こわい名人を名人とも知らないのか、下へもおかない歓待ぶりでした。
「ご両替でございましょうかしら? お貸し金でございましょうかしら? ――お貸し金のほうなら、もう暮れもさし迫っておることでございますゆえ、抵当がないとお立て替えできかねますが……」
「金に用はない。のれんに用があって参ったのじゃ」
ずばりと、切りさげるように一本くぎをさしておくと、やんわりといったものです。
「小判に目が肥えているなら、こっちのほうも目が肥えておろう。この巻き羽織でもようみい」
「まあ。そうでござんしたか。どんなお詮議《せんぎ》やら、朝早くのご出役ご苦労さまでござります。お尋ねはにせ金のことかなんかでございましょうかしら?」
おどろく色もなく嫣然《えんぜん》と笑って、流るる水のごとくなめらかに取りなしました。
「なんのお調べでござんしょう? わたくし、娘の竹というものでござります。わたしでお答えのできないことなら親を呼びますが……」
「おるか!」
「朝のうち一刻《ひととき》は信心するがならわし。あのご念仏の声が親の新助でござります」
「いいや、行く、行く。お上のだんなの御用ならいま行くぞ……」
耳にはさんだとみえて、いそいそと出てきたその親の新助が、また至極とあいそがいいのです。
「毎度のご出役ご苦労さまでござります。おおかただんなさまも、てまえのうちが向かいの主人の鈴文さまのお店より景気がいいんで、それにご不審をうってのお越しじゃござんせんか」
「よくわかるな。どうしてそれがわかる」
「いいえ、敬四郎のだんなさまもそのようにおっしゃって、たびたび参りましたんで、たぶんまたそんなことだろうと察しがついただけなんでございますよ。そのご不審でのお越しならば、ここに一匹招きねこがおりますゆえ、ようごろうじませ。アハハハハ。親の口からは言い憎いことでござりまするが[#「ござりまするが」は底本では「ごさりまするが」]、一にあいきょう、二にあいきょう、若い娘のあいきょうほど客を引くにいい元手はござりませぬ。店の繁盛いたしますのも、みんなこの招きねこのせいでございますよ。ほかにご不審がございましたら、お白州へでも、ご番所へでも、どこへでも参ります。なんならただいまお供いたしましてもよろしゅうござります。アハハハハ。いかがでござります。だんなさま」
にこやかに笑って、あいそのいい応対ぶり、さながらにすべすべとしたぬれ岩をでもつかむようでした。
「ふふん。しようがねえや……」
不思議です。
なんと思ったか、とつぜん名人が吐き出すようにつぶやいたかと思うと、にやにや笑いながら、さっさと店を引きあげました。
4
「ま、ま、待っておくんなさい! なにとぼけたまねをするんです! どんどん行って、どこへ行くんですかよ」
おどろいたのは、いつもながらの伝六です。
「またなにかいやがらせをするんですかい」
「アハハ……」
「アハハじゃねえですよ。根が切れた、つるが切れた、詮議《せんぎ》の糸がなくなったらなくなったと、正直にいやいいんだ。てれかくしに笑ったって、そんなバカ笑いにごまかされるあっしじゃねえんですよ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑《もくず》をあばいてやらあと、たいそうもなくりっぱな口をおききでしたが、ぱんぱんはどこへいったんです。藻屑はどこへ流れたんですかよ」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえ、だんな! これがうるさかったら、伝六はめしの食いあげになるんだ。出のわるいところてんじゃあるめえし、出しかけてやめるたア何がなんですかよ。しらべかけて逃げだすたア何がおっかねえんですかよ。お竹とかいったあの娘に、ぽうときたんですかい」
「がんがんとやかましいやつだな。あのおやじがホシだ、くせえとにらんだ目に狂いはねえんだ。ねえけれども、おやじもおやじ、娘も娘、ああいうのが吟味ずれというんだよ。すべすべぬらぬらとしゃべりやがって、あんな親子をいくら締めあげたってもむだぼねなんだから、あっさり引きあげたんだ。手をまちがえたのよ、手をな」
「手とね。はてね……」
「わからねえのかい。ああいうやつには、動かぬ証拠をつきつけて責めたてるよりほかには手がねえんだ。その手をまちがえたというんだよ。とんだ忘れものさ。むっつり流十八番|桂馬《けいま》飛びという珍手を忘れていたはずだが、おまえさん心当たりはないかえ」
「さあ、いけねえ。食い物のことじゃござんすまいね。そのほうならば、ずいぶんとこれで知恵は回るんだが……」
「ドスだよ」
「へ……?」
「ぎっちょの梅五郎が豊太をえぐったあの匕首《あいくち》なんだ。刃物の持ち込み、出し入れのきびしいお牢屋だ。どこのどやつが梅五郎のところへ届けたか、肝心かなめ、
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング