か、どういう素姓のものか、不審なその男たちが殺した下手人であるかどうか、だれかに頼まれて運んだものか、肝心かなめの詮議のつるは、まったく霧の中へ隠されてしまって、さらにつかみようがないのです。
「ちとこいつ難物だな」
「ね……!」
「なに感心していやがるんでえ。大急ぎでひと回り、回ってきな」
「どこを回るんですかい」
「決まってらあ。人相も風体もつかまえどころのねえやつらを目あてに江戸じゅう捜してみたって、目鼻はつかねえんだ。詮議の手を変えるんだよ。こうなりゃ、絞め殺された五人の身性を洗うよりほかに道はねえ。うわさを聞いて、身寄りの者が引き取りに来たかもしれねえから、第一にまず北鳥越の今の自身番へいって探ってくるんだ。なんの音さたもねえようだったら、ご番所へ駆け込みがはいっているかもしれねえから、北町南町両方洗ってきなよ」
「承知のすけだ。だんなはどこでお待ちなさるんですかい」
「鼻のさきの向いたほうで待っているよ。早く帰ってくるんだぜ……」
伝六は右、右門は左、分かれて八丁堀へ帰りついたのは、とうにもう五ツを回って、かれこれ四ツ近い刻限でした。
しかし、さすがに今宵《こよい》の名人は、少し様子が違うのです。ひとたびこうと眼《がん》をつけて詮議の手をのばしたからには、よしや途中手がかりのつるが切れるようなことがあったにしても、そこからさらに思いもよらぬ新芽の手づるをみつけ出して、詮議の手もまた計り知れぬほうへ伸びてくるのがつねであるのに、今度のこの怪奇な事件ばかりは、ふっつりとつるが切れたままで、新芽はおろか、まるで見当もつかないのでした。しかも、なにゆえの犯行か考えようがない。ホシのつけようもない。絞められた五人は船頭であること、土左舟で運んであの松へつるしたということ、わかっているのはそればかりです。
寝もやらず、名人はあごをなでなで、ひたすらに伝六の帰りを待ちわびました。
しいんとふけ渡って、秋なればこそ、そぞろに悲しくわびしく、なぜともなしに身が引き入れられるようです……。
一刻《いっとき》近い時がたちました。
しかし、来ない。
北鳥越、呉服橋、数寄屋橋と、三カ所順々に回ったにしても、もうそろそろ帰ってこなければならないはずなのに、どうしたことか、伝六がなかなかに姿をみせないのです。
さらに一刻がたちました。
だが、来ない。
足音もないのです。
「変なやつだな。また何か始めやがったかな……」
半刻がすぎ、一刻がたつ、いつのまにか屋の棟《むね》の下がる丑満《うしみつ》もすぎて、やがてしらじらと夜が明けかかったというのに、いかにも不思議でした。足音はおろか、伝六の姿も影もないのです。
不安がにわかにつのりました。
しかし、やはり姿はない。
からりと夜が明け放れました。
だが、まるで糸の切れた凧《たこ》です。
日があがりました。
しかし、依然として帰ってこないのです。
不安はいよいよつのりました。いかな伝六にしても、いまだになしのつぶてという法はない。
何かあったにちがいないのです。
寝もやらず、身じろぎもせず不安と不審に首長くして待ちきっているとき、とつぜん、ばたばたと、ただならぬ足音が表の向こうから近づきました。
「伝六か!」
「…………」
「たれじゃ! 伝六か!」
「いいえ、あの、北鳥越の自身番の者でござります」
意外にも駆けこんできたのは、ゆうべ死体の始末をつけさせたあの北鳥越自身番の小者なのです。
名人の声が飛びました。
「何をあわてておるのじゃ!」
「これがあわてずにおられますか! やられました! やられました! とんだことになったんですよ!」
「死体か!」
「そうでござんす! ゆうべ五人とも盗まれたんでござんす」
「なにッ。行くえもわからぬか!」
「いいえ、それがじつに気味がわるいのでござります。ねんごろに守れとのおことばでござりましたゆえ、あれから死体を運んで帰って、つじ番小屋の中へ寝かしまして、目も放さず見張っておりましたのに、いつ盗まれたのやら、ひょいと気がつくと、五人とも亡者《もうじゃ》の姿がなくなっておりましたゆえ、にわかに騒ぎだして、八方へ手分けしながら捜したところ――」
「どこにあった!」
「ゆうべのあの枝に、ぶらりとさがっていたんですよ。それも、けさになってようようわかったんでござります。やっぱり船頭がみつけまして、血の色もなく小屋までしらせに参りましたんで、半信半疑で駆けつけましたところ、枝も同じ、場所も同じ、ゆうべのかっこうそのままで五人ともさがっているんですよ。なにはともかくと思って、すぐお知らせに駆けつけたんでござります」
名人の顔は、さっと青ざめました。
事件はいよいよ怪奇にはいったのです。
伝六のいまだに帰らないのも不思議である。
盗み出し、あまつさえ同じ枝にまたぶらさげてあったというのは、さらに不思議です。
「よしッ。すぐに参ろう。ご苦労じゃが、駕籠のしたくさせてくれぬか」
うちのるや、ひたひたと一足飛びに走らせました。
3
「じゃまだ、じゃまだ。道をあけな!」
「御用|駕籠《かご》なんだ。横へどきな!」
景気をつけていっさん走りに急ぐ駕籠にゆられながら、名人もしきりと先を急ぎました。
どう考えてみても、こんな不思議はない。目も放さずちゃんと見張っていたのに、その目の前で死体が紛失したというのも不思議です。それが五体ともに、またゆうべと同じ松、同じ枝につるしてあったというのは、さらに奇怪です。あまつさえ、伝六が出たっきり帰らないというのも、不思議のうちの不思議でした。
「まだ柳橋へかからぬか」
「珍しくお急《せ》きですね。もうひとっ走り――、参りました! 参りました! ちょうどいま柳橋ですが、これから先はどっちでござんす」
「北鳥越《きたとりごえ》じゃ。自身番へやれッ」
何はともかく、ゆうべのいつごろ、どんなふうにして盗み出されたか、それを詳しく洗ってみるのが事の第一です。
「あッ。ようこそ。面目ござりませぬ。たいせつな預かりものを、とんだ不始末いたしまして、お会わせする顔もござりませぬ」
土色に青ざめて、うろたえ騒いでいる小役人たちに迎えられながらはいっていくと、むだがない。ゆうべそのうえに死体を置いたらしく、いまだに敷いたままである新むしろの位置から小屋の出入り口、表の通りの路地のぐあい、いちいちとまず注意深く見しらべました。表の出入り口は北鳥越町の通りに面して、油障子が二本。むしろの敷いてあるところはその出入り口をはいったすぐの左土間です。
土間につづいて八畳敷きの詰め所とその横に寝べやが並び、詰め所の奥に湯沸かし場があって、ここにもう一つ障子一枚の出入り口があり、外は表の通りからちょうどかぎの手になっている行き止まりの袋路地でした。
しかも、その袋路地がただの路地ではない。右側には新光院という寺の裏べいがずっとつづき、突き当たりは大御番組、御書院番組の広い御組屋敷が並んで、いかにもものさびしいところなのです。
「なるほどのう。よしよし、細工するにはかっこうな場所じゃ。知っておること残らず申せよ。死体はあのむしろの上へ置いたであろうな」
「さようでござります」
「ゆうべいたのは、ここにいるおまえら四人きりか」
「いいえ、六人でござりました」
「あとのふたりはどこへいった」
「あちらをもう一度おしらべなさいますようなら手をつけてはならぬと存じましたゆえ、首尾の松のほうを見張らしてござります」
「六人ともみな夜じゅう起きていたか」
「いいえ、一刻替わりに寝てもよいことになっておりますゆえ、三人ずつ入れ替わってかわるがわる起きていたのでござります」
「なくなったのは、いつごろじゃ」
「九ツそこそこでござりました」
「そのとき起きていたのは、だれだれじゃ」
「てまえと、この横のふたりでござります」
「しかと見ている前で紛失したか」
「そうでござります。三人ともこの目を六ツ光らしておりましたのに、ふいっと消えてなくなりましたゆえ、みなして大騒ぎになったのでござります」
「よう考えてみい。キリシタンバテレンの目くらましでもそううまくはいかぬぞ。何か不思議があったはずじゃが、その近くに怪しい者でもたずねてこなんだか」
「いいえ、怪しい者はおろか、不思議なことなぞなに一つござりませぬ。ゆうべのうちにこの自身番へ来たものは、あとにもさきにも女がたったひとりだけでござります」
「なに、女! いつごろじゃ!」
「死骸《しがい》のなくなるちょっとまえでござります」
「それみい! そういうたいせつな言い落としがあるゆえ、きいているのじゃ。女はどんなやつだ」
「いいえ、その女は何も怪しいものではござりませぬ。年のころは二十七、八でござりましょうか。お高祖頭巾《こそずきん》で顔をかくした品のよいお屋敷者らしい美人でござりましてな。この裏の大御番組の柳川様をたずねてきたが、気味のわるい男が四人ほどあとをつけていて離れぬゆえ、追っ払ってくれと駆けこんできたのでござります」
「どこからのぞいた。裏か、表か!」
「あの裏口からでござります。のぞいてみると、なるほど四、五人、路地の奥に怪しい影が見えましたゆえ、三人してちょっと追っ払ってやっただけでござります」
「よし、わかった。アハハ、しようのないやつらだのう。追っ払って帰ってきたら、死骸がとっくになくなっていたろうがな」
「そうでござります。ついさきほどまでちゃんとあったのに、もう見えませなんだゆえ、にわかに騒ぎだしたのでござります」
「あたりまえだ。いつまで死骸が残っているかよ。六つ目玉を光らしているまえで紛失したなどというから不思議に思うんだ。もっとことばに気をつけろ」
ホシはまさしくその女なのです、しめし合わせて裏口から見張りの三人を路地奥へおびき出したすきに、すばやく一味の者たちが反対の表口から盗み出したにちがいないのです。
名人のおもてには、ほのぼのとして血のいろがのぼりました。
「伝六も来たはずだが、見えなんだか」
「参りました。ちょうどなくなった騒ぎのさいちゅうおみえになりましたが、何をおあわてか目いろを変えてこの奥へ駆けこんでいったきり、あのかたの姿が消えてなくなりましたゆえ、なおさら気味わるく思っていたところでござります」
「よしよし。もう騒ぐには及ばぬ。死骸はいつまでも首尾の松へつるしておいたとてなんの足しにもならんから、はよう始末せい」
「やっぱりここへ?」
「おまえらに預けたんではまたあぶない。お番所の塩倉へ運んでつけておくよう手配せい」
不審は伝六の行くえです。小役人たちのことばをたよりに、名人はすぐさま路地奥へ急ぎました。
同時に、目を射た品がある。
突き当たりの大御番組のお長屋の門のわきに、なぞのごとく十手が一本さしてあるのです。まさしく、伝六愛用の品でした。
「しようがないのう。こいつも中でなにかまごまごしているな」
はいってみると、うなぎの寝床のような長いお組屋敷のいちばん奥の一軒の前に、小腰をかがめて必死に力み返っている男があるのです。
だれでもない伝六でした。近づくまえに足音を聞きつけたとみえて、まっかに血走った目をふりむけると、ほっとなったように呼びたてました。
「もうしめこのうさぎだ。門のまえに、伝六ここにありと目じるしの十手をさしておきましたが、ご覧になりましたかい」
「見たからここへ来たじゃねえか。何を力み返ってにらめっこしているんだ」
「女、女! 怪しい女を一匹このうちの中へ追い込んだんですよ」
「お高祖頭巾《こそずきん》か!」
「そう、そう、そのお高祖頭巾なんですよ。お番所をさきに洗ってこの北鳥越へ回ってきたらね、だいじな死骸を盗まれたといって大騒ぎしていたんだ。ひょいと見ると、このお組屋敷の門前を変な女がちらくら走っていやがるからね、夜ふけじゃあるし、ちくしょうめ臭いなと思ったんで、まっしぐらに飛んできたら、このうちの中へすうと消えたんだ。だんなに知らせたくも知らせるすべはなし、一歩でもここをどいて逃
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