右門捕物帖
首つり五人男
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蕭々落莫《しょうしょうらくばく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|艘《そう》
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その第三十四番てがらです。
事の起きたのは九月初め。
蕭々落莫《しょうしょうらくばく》として、江戸はまったくもう秋でした。
濠《ほり》ばたの柳からまずその秋がふけそめて、上野、両国、向島《むこうじま》、だんだんと秋が江戸にひろがると、心中、川目付、土左衛門舟《どざえもんぶね》、三題ばなしのように決まってこの三つがふえる。もちろん、心中はあの心中、川目付は墨田の大川の川見張り、やはり死によいためにか、十組みのうち八組みまでは大川へ入水《じゅすい》して、はかなくも美しい思いを遂げるものがあるところから、これを見張るための川目付であるが、土左舟《どざぶね》はまたいうまでもなくそれらの悲しい男仏《おぼとけ》女仏《めぼとけ》を拾いあげる功徳の舟です。
公儀でお差し立ての分が毎年三|艘《そう》。
特志で見回っているのが同様三艘――。
幡随院《ばんずいいん》一家が出しているのが一艘に、但馬屋《たじまや》身内で差し立てているのが一艘。同じく江戸にひびいた口入れ稼業《かぎょう》の加賀芳《かがよし》一家で見まわらしているのが一艘と、特志の土左舟はつごうその三艘でした。墨田といえば名にしおう水の里です。水から水へつづく秋のその向島に、葦間《あしま》を出たりはいったり、仏にたむけた香華《こうげ》のけむりを艫《とも》のあたりにそこはかとなくなびかせながら、わびしいその土左舟が右へ左へ行き来するさまは、江戸の秋のみに見る悲しい風景の一つでした。
そのほかにもう一つ、秋がふけるとともに繁盛するものがある。質屋です。衣がえ、移り変わり、季節の変わりめ、年季奉公の変わりめ、中間下男下女小女の出入りどきであるから、小前かせぎの者にはなくてかなわぬ質屋が繁盛したとて、なんの不思議もない。
しかし、不思議はないからといって、伝六がこの質屋に用があるとすると、事が穏やかでないのです。
「いいえ、なにもね。あっしゃべつにその貧乏しているってえわけじゃねえんだ。これもみんな人づきあいでね。物事は何によらず人並みにやらねえとかどがたつから、おつきあいに行くんですよ。え? だんな。だんなは何もご用はござんせんかい」
「バカだな」
「え……?」
「えじゃないよ。きょうは幾日だと思ってるんだ」
「まさに九月九日、だんなをめえにしてりこうぶるようだが、一年に九月九日っていう日はただの一日しかねえんですよ」
「あきれたやつだ。そんなことをきいているんじゃねえ、九月の九日はどういう日だかといってきいてるんだよ」
「決まってるじゃござんせんか。菊見のお節句ですよ」
「それを知っていたら、今もう何刻《なんどき》だと思ってるんだ。やがて六ツになるじゃねえか。九月の九日、菊見の節句にゃ暮れの六ツから、北町南町両ご番所の者残らずが両国の川増《かわます》でご苦労ふるまいの無礼講と、昔から相場が決まってるんだ。まごまごしてりゃ、遅れるじゃねえかよ」
「じつあそいつに遅れちゃなるめえと思って、ちよっとその質屋へね」
「質屋になんの用があるんだ」
「べつに用があるというわけじゃねえんだが、ちょっとその、なんですよ、じつあ一|張羅《ちょうら》をね」
「曲げたのかい」
「曲げたってえわけじゃねえが、ついふらふらと一両二分ばかりに殺してしまったら、それっきり質屋の蔵の中へはいっちまったんですよ」
「それなら、やっぱり曲げたんじゃねえかよ。バカだな、なんだってまた一両二分ばかりの金に困ったんだ」
「いいえ、金に困ったから入れたんじゃねえんですよ。ふところにゃまだ三両あまりあったんですが、今も申したとおり、みんなが相談したように質屋通いをするんでね、ものはためし、近所づきあいにおれもひとつ入れてみてやろうと思って、一両二分に典じたら、あとが変なことになりやがったんですよ。なんしろ、ふところの金と合わすと、五両近くの大金ができたからね、すっかり肝がすわっちまって、吹き矢へ行こう、玉ころがしもやってみべえ、たらふくうなぎも拝んでやろうと、浅草から両国へひと回りしてみたら、きんちゃくの中がぽうとなりやがって、いつのまにか、かすみがかかっちまったんだ。べつになぞをかけるわけじゃねえんだがね、どうですかい、だんな、だんなは何か質屋にご用はねえんですかい」
「あいそがつきて、ものもいえねえや。だんなはご用が聞いてあきれらあ。つまらねえなぞばっかりかけていやがる。なんのかのといって、これがほしいんだろう。よくよくあいそのつきるやつだ。しようがねえから、三両やるよ。早くいって出してきな!」
「うへへ……かたじけねえ! 話せるね、まったく! ちょいとひとなぞ遠まわしに店をひろげると、たちまちこのとおり、ものがおわかりあそばすんだからな。だんなさまさま大明神だ。だから、女の子がぽうっとくるんですよ」
「ろくでもねえおせじをぬかすない! とっとといってくりゃいいんだよ。おいらさきに行くから、あとから来るんだぜ。いいかい、柳橋の川増だ。とち狂って、また吹き矢や玉ころがしに行っちゃいけねえぜ」
「いうにゃ及ぶだ。殺した一|張羅《ちょうら》が生きてかえるとなると気がつええんだからね。だんなこそ、吹き流されちゃだめですぜ。いいですかい。まっすぐ行くんですよ……」
ときあるごとに何か一つずつ事を起こさないと納まりのつかない男です。伝六を残してひと足さきに右門がその柳橋の川増へ行きついたときはちょうど六ツ。数寄屋橋《すきやばし》、呉服橋、南北両ご番所の同役同僚たちの顔が、もう八分どおり座に見えました。
与力、同心、岡《おか》っ引《ぴ》き、目明かし、手先、慰労の宴の無礼講だから、むろん席に上下の差別はない。正面床の前に六曲二双の金びょうぶを晴れやかに立てめぐらして、その前に大輪、糸咲き、取りまぜてみごとな菊が大小十はち、左右にずらりと居流れた顔がまた江戸の治安を預かりつかさどる町方警吏だけに、いかめしくもものものしいのです。
まもなく酒が運ばれました。
灯影《ほかげ》に女たちのなまめかしい裳裾《もすそ》がもつれ合って、手から手へ、一つは二つと杯が飛びかい、座もまたようやく陽気の花をひらきはじめました。
しかし、どうしたことか、とうにもう来なければならないはずなのに、伝六がなかなか姿を見せないのです。
「おかしいのう。これよ、女」
「なんでござんす」
「川増というのは、このあたりでこのうち一軒であろうな」
「いいえ、あの……」
「まだあるか?」
「ござります」
「なに! ある!――やはり料亭か」
「いいえ、絵双紙屋でござんす」
「アハハハハ。ほかならぬあいつのことじゃ。うちをまちがえてはいって、いいこころもちになって絵双紙でも見ておるやもしれぬ、ご苦労だが、ちょっと見にいってくれぬか」
「かしこまりました。お名まえは?」
「伝六というのだが、顔を見ればひと目にわかる。つら構えからしてにぎやかにできておるからのう。ひと走り様子見にいってくれぬか」
「ようござんす。みなさまこのとおりご陽気になっていらっしゃるんだから、おりましたら、首になわをつけてひっぱってまいりましょう」
十中八、九いるだろうと思って心待ちにいたのに、だがまもなく帰ってくると、それらしい男の影も姿もないという報告でした。
不審に首をかしげているとき、帳場の者があわただしくあがってくると、とつぜん不思議なことをいって呼びたてました。
「あごのだんなさまというのは、どなたさまでござんす?」
「あごのだんな?」
「急用じゃと申しまして、ただいま駕籠屋《かごや》がこの書面を持ってまいりました。どのだんなさまでござります」
「アハハハハ。あごのだんななら、あれじゃ、あれじゃ。あのすみであごをなでている男じゃ」
もちろん、名人のことです。さし出した書面をみると、おらのあごのだんなへ、と書いてある。裏には伝とまたがったような字を書いて、中がまたみごとな金くぎ流でした。
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「急用急用大急用だ。
[#ここから1字下げ]
伝六大事命があぶねえ。
すけだちに早く来ておくんなせえ」
[#ここで字下げ終わり]
何をあわてているのか、字までが震えて、紙一枚にべたべたと大きく書いてあるのです。
「なんだなんだ」
「なんじゃ!」
「なんでござるか、ろくでもないことかもしれぬが、参らずばなるまい。番頭、駕籠屋は表におるか」
「早く早くとせきたてておりますから、お早くどうぞ」
「そうか。では、参ろう。お先に……」
怪しむようにふり向いた同僚たちの目に送られながら、名人は不審に首をかしげて、迎えの駕籠にうちのりました。
同時に、さっと息づえをあげると、早い早い、よくよく伝六がせきたてて迎えによこしたとみえて、柳橋を渡り越えるとひた走りに浅草目ざしました。むろん、目ざすからには伝六のいるところも浅草だろうと思われたのに、あきれた男です。乗ったかと思うまもなく、駕籠の止まったところは、目と鼻どころか、柳橋からはひとまたぎのお蔵前でした。
おりてみると、往来いっぱいに黒山のような人だかりなのです。だが、不思議なことに、伝六の姿はないのでした。そのかわりに、黒だかりの人の目が一様にお倉の奥をのぞいているのです。右門流の眼《がん》でした。物見高げに人の目が倉の奥へそそがれているからには、伝六のいるところもその奥にちがいなく、事の起きているのもまた同じその倉の奥に相違ないのです。
名人は足早にずかずかと広場を奥へ急ぎました。一ノ倉から始まって、二ノ倉、三ノ倉、九ノ倉と、長い棟《むね》が九棟ある。
しかし、どの棟もどの倉も錠がおりて、人影は夢おろか、なんの異状もないのでした。
いぶかりながら裏へ回ってみると、中秋九日の夕月がちょうど上って、隅田《すみだ》の川は足もとにきらめく月光をあびながら、その川の上へぬっと枝葉を突き出している大川名代の首尾の松までがくっきりとひと目でした。ひょいと見ると、その首尾の松の根もとにうずくまって、必死に背を丸めながら、必死に頭をかくしながら、わなわなと震えている男の影が見えるのです。
「伝六か!」
「え……? き、き、来ましたか! ありがてえ。だ、だ、だんなですか!」
「バカだな。何を震えておるんだ。しっかりしろい!」
「こ、これがしっかりできたら、伝六は柳生《やぎう》但馬守《たじまのかみ》にでも岩見重太郎にでもなんにでもなれるんですよ。あれをあれを、あそこの、あ、あ、あれをよくごらんなさいまし……」
歯の根も合わぬように震えながら、ひたかくしに顔をかくして指さした方角をちらりと見ると、さすがの名人右門もおもわずぎょっとあわつぶだちました。
つっているのです。
人が、人間が、ぬうと川づらに突き出した首尾の松の長い枝の高いところに、青白いぶきみな月の光に照らされて、ぶらりと下がっているのです。
それもひとりではない。二つ、三つ、四つ、五つ、男ばかりじつに五人もが、さながら首くくりの見せ物かなぞのように、ずらずらと一つ枝に長い足をそろえながらたれさがっているのでした。
「いったい、これはどうしたんだ」
「どうしたかこうしたか、あっしにきいたって知らねえですよ。あっしがつっているわけじゃねえんだからね。三両くだすったから大いばりで、このとおり一張羅《いっちょうら》を受け出して、遅れちゃならねえと駕籠《かご》をおごって来たんです。ところが、景気をつけて飛ばせているうちに、駕籠屋のやつめ、足にはずみがついて止まらなくなったものか、ちゃんと承知しながら柳橋を通りすぎてしまやがってね。ここまで来たら首っつりが五人あるといって、わいわい騒いでいやがるんだ。来てみるとこれなん
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