つき
右まさに受け取りそうろうなり
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]佐久間町 駕籠留《かごとめ》
[#天から1字下げ]増屋《ますや》弥五右衛門《やごえもん》殿
金くぎ流でそう書いた受け取りなのでした。
「なるほど、少し変な受け取りだな。どこから見つけ出したんだ」
「この大福帳にはさんであったんですよ。伝六も知恵は浅いほうじゃねえが、まだ駕籠屋の受け取りてえものを聞いたことがねえ。だいいち、この金高も少し多すぎるじゃござんせんかよ。一両二分ってえいや、江戸じゅう乗りまわされるくれえの高なんだからね。それに、この夜中増し金付きってえただし書きも気にかかるじゃござんせんかよ。夜中にでも乗りまわしたにちげえねえですぜ」
「偉い。おまえもこの節少し手をあげたな。捕物《とりもの》の詮議《せんぎ》はそういうふうに不審を見つけてぴしぴしたたみかけていくもんだよ。佐久間町といや隣の横町だ。宿駕籠にちがいない。行ってみな」
糸がほぐれだしたのです。
主従の足は飛ぶようでした。案の定、佐久間町の通りかどに、油障子で囲んだ安駕籠屋が見えるのです。
「だれかおらんか」
「へえへえ。ひとりおります」
無作法なかっこうで奥から出てきた若い者の鼻先へ、ずいと受け取りをつきつけながら、名人が鋭く問いかけました。
「この受け取りは、おまえのところでたしかに出したか」
「どれどれ。ちょっと見せておくんなさいまし。――ああ、なるほど、うちから出したものに相違ござんせんよ」
「変だな」
「何がでござんす?」
「駕籠屋が受け取りを出すという話をあまり聞かぬが、どうしたわけだ」
「アハハ。そのことですか。ごもっともさまでござんす。あっしのほうでもめったにないことですがね。じつア、あの米屋さんのご新造ってえのが、とても金にやかましい人なんでね、だから、つかった金高を女房に見せなくちゃならねえんだから、ぜひに受け取りをくれろと増屋さんがおっしゃったんで書いたんですよ」
「いつだ」
「けさの夜明けでござんす」
「なに! けさの夜明け! 乗ったは米屋のおやじか!」
「さようなんでござんす」
「一両二分もどこを乗りまわした!」
「それがじつアちょっと変でしてね。ゆうべ日が暮れるとまもなくでした。今からお寺参りするんだから急いで来てくれろというんでね。夜、お寺参りするのもおかしいがと思ってお迎えにいったら、米屋のあのおやじさんが、鍬《くわ》を一丁と重そうなふろしき包みを一つ持ってお乗んなすったんですよ。はてなと思って、肩にこたえる重みから探ってみると、どうもふろしきの中は小判らしいんです。小判に鍬はおかしいぞ、お寺へ行くのはなおおかしいというんで、相棒と首をひねりひねりお供していったら――」
「どこのお寺へいった!」
「小石川の伝通院の裏通りに、恵信寺《えしんじ》ってえいう小さなお寺がありますね、あのお寺の寂しい境内へ鍬とふろしき包みを持ってはいって、しばらくあちらこちらのそのそ歩いていた様子でござんしたが、まもなくまたふた品を持ったままで出てきて、変なことをおっしゃるんです。どうもこの寺じゃあぶない、どこかもっと寂しいお寺へやってくんな、とこういうんでね。今度は本郷台へ出て、加賀様のお屋敷裏の新正寺ってお寺へ乗せていったんですよ。ところが、そこでまたあっしどもを門前に待たしておいて、米屋さんたったひとりきり――」
「鍬《くわ》と小判を持って境内へはいったか!」
「そうでござんす。同じように、あちらこちらをのそのそやっていたようでしたがね、まもなくまたふた品を持ったままで出てくると、やっぱりあぶない、もっとどこかほかの寺へやってくれろというんでね、今度[#「今度」は底本では「今年」]は浅草へいったんでござんす。ところが、そこのお寺もやっぱりいけない。川を渡って本所へいって三カ寺回ったが、そこもいけない、いけない、いけないで、神田へまた舞いもどってきたら、とうとう夜が明けちまったんですよ。こっちもきつねにつままれたような心持ちでござんしたが、米屋のおやじさんもぼんやりとしてしまって、鍬と包みを背負いながらにやにや笑っていらっしゃるからね。何がいったいどうしたんでござんす、といってきいたら、いうんですよ。顔なじみのおまえたちだから打ち明けるが、あんな無理をいう女房ってえものはねえ。この金をどこか人に見つからねえところへこっそり埋めてこいといわれたんだが、江戸じゅうにそんなところがあるもんけえ。どこもかも見つかりそうであぶねえところばかりじゃねえか、とこういってね、この受け取りを作らせてお帰んなすったんですよ」
右門の目がきらりと光りました。
米屋のおやじ弥五右衛門の身辺を包んでいた不審の雲はからりと晴れたが、はしなくも、ここに今、新しい不審がわいてきたのです。七百金という小判を、あの女がなぜに埋めさせようとしたか、そこに不審がある。疑惑がある。どういう金であるか。なぜにそれほどだいじな小判であるか、なぜに埋めて隠して人目を恐れねばならぬか。そこに疑惑がある。不審があるのです。
目がきらりと光ると、鋭い声が飛びました。
「あの女房について、何か知っていることはないか!」
「そうですね。やかましやの、きかん気の、亭主をしりに敷いている女だということは町内でも評判だからだれも知っておりますが、ほかのことといったら、まず――」
「何かあるか!」
「昔、吉原《よしわら》で女郎をしておったとかいうことだけは知っておりますよ」
「なに! 女郎上がり! どうしていっしょになったか知らぬか。あのおやじが身請けでもしたか!」
「さあ、どうでござんすかね。両国の河岸《かし》っぷちに見せ物小屋のなわ張り株を持っている松長ってえいう顔役がありますが、その親分が世話をしたとか、口をきいていっしょにしたとかいう話ですから、いってごらんなさいまし」
「おまえ、そのうちを知っているかい」
「おりますとも、よく知っておりますよ」
「よしッ。話し賃にかせがしてやる。早いところ二丁仕立てろ」
「こいつアありがてえ。おい、おい、きょうでえ! お客さんを拾ったよ。早くしたくをやんな」
乗るのを待って、いっさん走りでした。
4
「伝六よ」
「へ」
「捕物ア、こうしてなぞの穴をせばめていくもんだ。もう五十年もすりゃ、おまえも一人まえに働かなくちゃならねえから、よくこつを覚えておきなよ」
「ああいうことをいってらあ。五十年だきゃ余分ですよ。珍しくだんな、上きげんだね」
「そうさ。おいら、腹が減ったんでね、早くおまんまが食べたいんだよ」
「じきにそれだ。何かといやすぐに食いけを出すんだからな。秋口だって恋風が吹かねえともかぎらねえ。たまにゃ女の子の気のほうもお出しなせえよ。――よっと! 駕籠が止まったな。わけえの、もう来たのかい」
「へえ。参りました。ここが松長の親分のうちでござんす。外で待つんでござんすかい」
「そうだとも! うちのだんなが駕籠に乗りだしたとなりゃ、一両や五両じゃきかねえ。夜通し昼通し三日五日と乗りつづけることがあるんだからな、大いばりで待っていな」
伝六こそもう一人まえになったつもりで大いばりなのです。
つかつかと松長の住まいへはいろうとしたのを、
「あわてるな!」
小声で鋭く名人がしかりました。
「少し甘口なことをいってやると、じきにおまえはうれしくなるからいけないよ。相手はあまり筋のいい顔役じゃねえ。見せ物小屋のなわ張り株を持っているとすりゃ、切った張ったの凶状ぐれえ持っているかもしれねえから、もっと相手を見て踏ん込みなよ。ふらふらはいって逃げでもされたらどうするんだ。こっちへ来な」
そこの庭口のくぐりからはいって、こっそりと内庭へ回りました。
とっつきにごろった[#「ごろった」に傍点]べやがあって、若い者のごろごろとした影が見える。
ポーン、ポーンとつぼを伏せる音がきこえるのです。
ひらりと上がって不意にそのへやへ押し入ると、静かに浴びせました。
「朝っぱらからいたずらしているな。松長はどこにいるんだ」
「…………?」
「パチクリしなくともいいんだよ。おまえらの親分はどこにいるんだ。うちか、るすか」
答えないで、若い者たちは、あっち、あっちというようにあごをしゃくりました。
「どこだよ。奥か!」
そうです、そうですというように、やはり答えないで、またあごをしゃくりました。
「変なやつらだな、まるで唖《おし》屋敷へでも来たようじゃねえか。どのへやだ。松長はここか!」
がらりとあけて、ひょいと見ると、松長がまったく案外でした。
年はもう九十くらい、くりくり頭に剃髪《ていはつ》して、十徳を着て、まだ少し季節が早いのに、大きな火ばちへ火をかんかんとおこしながら、いかにも寒そうにちぢかんで両手をかざしているのです。
「おまえが松長だろうな」
「…………?」
「返事をしろ! おまえは松長じゃねえのか?」
「…………?」
きょとんとしながら、気の抜けた顔をしてまじまじと見あげたきり、返事はないのでした。
「とぼけたまねをしても目が光ってるぞ、耳はねえのか!」
「いいえ、だんな、いくらしかってもだめですよ」
そのとき、隣のへやから若い者のひとりが飛んでくると、うそうそと笑いかけました。
「親分を相手に晩までどなったって、らちはあきませんよ」
「なんだ。おまえら口がきけるじゃねえか。なぜ、さっき黙ってたんだ」
「このうちじゃ、ものをいっても通じねえ人がひとりあるんでね。ついみんな手まねで話をする癖がついちまったんです。親分少々――」
「耳が遠いか」
「遠い段じゃねえ、このとおり耳のねえ人も同然なんです。御用があるなら、筆で話しておくんなせえまし」
「なんでえ。それならそうと早くいやいいじゃねえか。すずりを出しな」
「七ツ道具の一つなんだから、火ばちの陰にちゃんと用意してありますよ」
なるほど、筆に紙、ちゃんとしたくがそろっているのです。
名人の筆はさらさらと走りました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「八丁堀右門なり。
[#ここから1字下げ]
神妙に応答すべし。
神田、米屋増屋弥五右衛門方へ後妻を世話せしはそのほうなる由、いかなる縁にてかたづけしや。
かの女につき何か知れることなきや。
ありていに申し立つるべし」
[#ここで字下げ終わり]
差しつけたのを見て、にやりと笑うと、松長がじつに達筆にさらさらと書きしたためました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「よくお越しくだされそうろう。
[#ここから1字下げ]
お尋ねの女はマキと申し、吉原にて女郎五年あい勤めそうろう女にござそうろう。
年あけたるのち、居所を定めず女衒《ぜげん》なぞいたしおりしとか聞き及びそうろうも、つまびらかには存じ申さずそうろう。
てまえ年ごろ世話好きにそうらえば、昨冬とつぜん尋ねまいり、どこぞへ嫁入り口世話いたしくれと申しそうらえば、増弥五こと、家内を失い、不自由いたしおると聞き及びそうろうをさいわい、のち添えにかたづかせそうろうものにござそうろう。縁と申すはただそれだけのことにて、生国も存ぜず、身もとも知れ申さずそうろう。
そうそう、いま一つ思い出しそうろう――」
[#ここで字下げ終わり]
筆をおいた松長がにたりとさらに笑うと、ふたたびさらさらと書きしたためました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「マキこと増弥五へかたづきそうろう節、身付き金七百両ほどをひそかにたくわえおりそうろうとのことにござそうろう。
[#ここから1字下げ]
人のうわさによれば右七百両、あまりよろしからざる金子とかにて、女衒《ぜげん》のかたわら、おりおりいとけなき子ども等かどわかしそうろうてためあげたる不義の金子とか申す由にそうろう」
[#ここで字下げ終わり]
「なにッ」
名人の眼がぴかりと光った。
女衒《ぜげん》!
かどわかし!
女衒は人を買って人を売る公然の稼業《かぎょう》です。かどわかしは法網をくぐりながら、人を盗み、人をさらって売
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