んめいに取りのけました。
「かしこいことでありますのう。では、見せてもらいましょう」
 歩みよって、静かにのぞいてみると、なるほど、女の死体がまだ湯気のたちのぼっているおけの中に、ぐったりと沈んでいるのです。
 そのぶきみさ! 気味のわるさ! 血は一滴もない。死因のわからぬあぶらぎった中太りの女の死体が、ぶよんとしたなま白い色をたたえて、湯の中に沈んでいるのです。
 年は三十ぐらい。
 乳がある。
 しかし、乳首は黒くない。処女のようにひきしまっているのです。子どもを産んだことのない証拠でした。
 首におしろいが見える。
 洗ったはずなのに落ちきっていないところをみると、厚化粧していたに相違ない。おめかしずきの女だった証拠なのです。
 ぎろり、ぎろりと目を光らして、首から胸、腰、と隠されている秘密をあばき出そうとするように見しらべていたが、何か動かしがたい断案の確証を発見したとみえて、ほのかな笑《え》みを浮かべながらふり向くと、不意に敬四郎へ静かな問いを放ちました。
「お尋ねつかまつる。早手まわしにもう父親をおなわにされておいでじゃが、この者が下手人とのたしかな証拠あってのことでござるか」
「決まっておるわい。殺された女房は後妻じゃ。そのきょうだいはまま子じゃ。店をようみい。米屋というは名ばかり、米俵もろくにない貧乏店じゃ。そのうえに、女房は七百両という身金つきで後妻に来たものじゃ。おやじめ、女房がいのちよりたいせつにしてしまっておったその七百両の小判がほしゅうて殺したものに相違ないわい」
「なるほど、後妻でまま子でござったか。道理でのう。それならば、娘のような乳首をしているはずじゃ。しかし、それだけではちと証拠固めが不足のように思われまするな」
「何が不足じゃ。まだいくらでも不審なことがあるわい。このおやじ、ゆうべからけさまで、どこへうせたか店をるすにしておるわ。いかほどきいても行く先白状せぬが不審じゃ。いいや、そればかりではないわい。これをみろ、これを! 女房がたいせつにいたしておった小判の包みじゃ。おやじめ、この七百両を背中にいたして、ゆうべのそのそとどこかへ出かけておるわ。いかほど締めてもいわぬが、うしろ暗い証拠じゃわい」
「ほほう。なるほど、小判の包みを背中にいたして家をるすにしましたとのう。――おやじ、それはほんとうか!」
「ほんとうでござります……」
「何しに、どこへいった?」
「そればっかりは……」
「白状できぬというか。疑いが濃くなるばかりだのにのう。子どもたち、おまえら知っておるだろう。ちゃんはどこへいった?」
「あの、あの……」
 言いかけたのを、横から父親がけわしくねめつけました。
 何か深い秘密があるらしいまなざしなのです。
「みろ! おやじめ、七百両に目がくらんで、なんぞ細工したに相違ないわい。この敬四郎に授かったてがらじゃ、指一本触れてもらいとうない。直九! じゃまされぬうちに、この死骸も早く取りかたづけろ」
「いや、おてがらはけっこうじゃが、まだ少々お早いようじゃ。待てッ、直九!」
 得意顔に命じて敬四郎が手下の者たちに始末させようとしたのを、にこやかに微笑して制すると、名人がやんわりと右門流をほのめかしはじめました。
「おりおりは、目ものう、すす払いをするものじゃ。では、いま一つ承るが、敬どの、これなる女の死因をお見破りかな」
「死因? 死因なぞ、死因なぞは、このおやじを締めたらわかるわい。いらぬじゃまだてせずと、どかっしゃい!」
「アハハ。弱りましたな。それゆえ、ときおりは目のすす払いしたらどうかと申すのじゃ。まさしくこれは絞め殺したものでござるぞ。しかし、下手人は子どもじゃ」
「なに、子ども! 子どもが、子どもがこんな大女を絞め殺せるものか、バカな」
「さよう、ひとりならばむずかしいかもしれぬが、下手人はふたりでござる。論より証拠、この二カ所のつめ跡をよく見られよ」
 莞爾《かんじ》と笑って、名人は首筋と乳ぶさの上との二カ所を指さしました。
 なるほど、二カ所ともに、はっきりとつめの跡が見えるのです。ぐいと両手で力まかせにひとりが首を絞めたらしく、首筋にふたところ、ひとりが急所の乳ぶさを押えつけていたらしく、むっちりとした左右のそのふくらみの上に、ぶきみな五本のつめ跡がはっきりと見えました。
 しかも、小さい。いずれもそのつめ跡は、ひと目に子どもの指と思われるほど小さいのです。
「そうか! 子どもか! さては――」
 当然のごとく疑いのかかったのは、ふたりのきょうだいでした。まっさおになって震えていたふたりをにらめつけると、敬四郎の声と手がいっしょに飛びかかりました。
「うぬらだ。うぬらだ。うぬらがまま子根性でやったにちがいない! 直九! なわ打てッ」
「バカな! まだ早い! 手荒なことをされるな! 待たれよッ」
「じゃまするなッ。敬四郎が手がけたあなじゃ! どかっしゃい! つじ番所のやつら! 早くこの死骸をかたづけろ」
 名人の制止も聞かばこそ、敬四郎はわめき叫ぶふたりの子どもになわを打たせて、父親ともども、群衆のどよめきを押し分けながら、揚々としてひったてました。

     3

「ちッ、なんて人がいいんだろうな。せっかく眼《がん》をつけて、ホシを見つけてやって、へえどうぞと、のしをつけてくれてやるバカがありますかよ。当節はとびだっても、こうぞうさなく油揚げをさらえねえんだ。人がよすぎてむかむかすらあ」
 悲憤やるかたなかったとみえて、伝六の空もようは大荒れです。
「やい! 何がおもしれえんだ。ぽかんと口をあけて見てたって、一文にもなりゃしねえぞ、かせげ、かせげ、うちへ早く帰ってかせぎなよ。やじうまじゃ乗り手もありゃしねえや、べらぼうめ。――ね、ちょいと、これからいったいどうするんですかい。長年苦労をしただんなとあっしの仲なんだからね、いやみなこたアいいたくねえが、いまさら指をくわえていたって始まらねえんだからね、お人よしの直るお灸《きゅう》でもすえに行ったほうが賢いですよ」
「…………」
「え! だんな! 返事をしなさいよ、返事を! これこれかくかくで、今度だけはあやまった。ついおまえのまねをして、おしゃべりしたのがわるかった、以後気をつけるからかんべんしろ、とすなおにおっしゃりゃ、あっしだってがみがみいやしねえんだからね。ぼんやりしていねえで、なんとかおいいなさいよ」
 しかし、声はない。
 名人の頭は冷たくさえて、この怪奇な事件のことでいっぱいなのです。
 父親にも疑いがある。
 ことに、七百両という女房の大金を持ち出して、ゆうべひと晩どこかをうろうろしていたということが、大きな嫌疑《けんぎ》の種でした。
 子どもたちにも疑いがある。
 まま子だったということが、だいいちよくないのです。そのうえにつめ跡がまたそろいもそろってあのとおり子どものものであってみれば、ますます嫌疑《けんぎ》が濃くなるばかりでした。
 あのときの目もよくない。ゆうべちゃんはどこへ行ったときいたとき、けわしくねめつけた父親のまなざしも疑惑を強める種なのです。
 世間にありがちな例のごとく、まま子いじめに耐えかねて子どもたちふたりが絞め殺したのを、知りつつ父親がおおいかくしているとも考えられるのでした。
 あるいは、父親が使嗾《しそう》して、子どもたちにまま母を殺させたとも考えられるのです。
「それにしては、わざわざ知らせにあの子どもが来たのがおかしいな。ふたりとも、なかなかかわいいからな」
「え? なんとかいいましたかい。あっしがかわいいっておっしゃるんですかい」
「うるせえや。黙ってろ」
「ちぇッ、黙りますよ。黙りますとも! ええ、ええ、どうせあっしゃかわいい子分じゃねえんでしょうからね。もうひとことだって口をきくもんじゃねえんだから、覚悟しておきなさいよ」
 聞き流しながら、ひょいと見ると、はしなくもそのとき、名人の目を強く射たものがある。
 ふろおけのすえてある反対側の羽目板の高いところに、すすでよごれた手の跡が、あちらとこちらに飛び離れて、はっきりと二つ残っているのです。
 しかも、二つとも明らかに、子どもの手の跡なのでした。子細に見比べてみると、その手の跡に大小がある。
 ふたりの子どもの別々の手の跡に相違ないのです。
「はてのう……」
 烱々《けいけい》と目を光らして、手の跡から手の跡を追いながら、その位置をよく見しらべると、湯気抜きの押し窓のちょうど真下になっているのでした。
 窓の長さは三尺、幅は一尺あるかないかの狭いものでしたが、子どもなら出はいりができないことはないのです。
 念のために、伸び上がって押しあけながらよく見ると、すすほこりが着物かなぞですれたらしく、さっとはけめがついているのでした。
 疑いもなく、ここからふたりの子どもが忍び込んだに相違ない。忍び込んだとするなら、うちのあのきょうだいたちがわざわざ外から忍び込むはずはないから、よそのほかの子どもにちがいないのです。手の跡から判断すると、窓からはいって、羽目板に手を突いて、ひらりと身軽に飛びおりたものにちがいない。
 身軽な子ども……!
 身軽な少年……?
「ウフフ、そろそろ風向きが変わったかな」
「え? え? なんですかい。いろけがよくなったんですかい」
「うるさいよ。おまえ今、もうひとことも口をきかないといったじゃないか、おまえさんなぞにしゃべってもらわなくとも、こっちゃけっこう身が持てるんだから、黙っててくんな」
「ああいうことをいうんだからな。薄情っちゃありゃしねえや。いっさいしゃべらねえ、口をききませぬといっておいてしゃべって、あっしのおしゃべりゃ人並みぐれえなんですよ。しゃべりだしゃこれでずいぶんとたのもしいんだ。どっちの風向きがどう変わったんですかい」
「あきれたやつだ。これをよく見ろい」
「なるほど、あるね。手だね。もみじのお手々というやつだ。まさに、まさしく手の跡だね」
「だから、捜すんだよ」
「へ……?」
「あのおやじが七百両背負って、ゆうべどこへ出かけていったか、そのなぞの解けるようなかぎを捜し出すんだよ。うちじゅう残らず調べてみな」
「じきそれだからな。この手の跡が七百両するんですかい。もうちっと話の寸をつめていってくれなきゃアわからねえんですよ」
「しようのねえやつだ。このとおり不思議な手の跡がこんなところに残っているからにゃ、下手人の風向きもこっちへ変わったじゃないかよ。変わったとすりゃ、かわいそうなあの親子を助け出さなきゃならねえんだ。しかし、相手は敬四郎だ。尋常なことでは嫌疑《けんぎ》を晴らすはずアねえんだ。だから、敬四郎がぐうの音も出ねえように、おやじがゆうべどこへいったか動かぬ足取りを洗いたてて、攻め道具にしなきゃならねえんだよ。おやじの嫌疑が晴れりゃ、子どもたちの嫌疑の雲の晴れる糸口もおのずと見つかるというもんじゃないかよ。一刻《いっとき》おくれりゃ、一刻よけいあの親子が、むごたらしい敬四郎の責め折檻《せっかん》を受けなきゃならねえんだ。早くしな」
「ちげえねえ! さあこい! 物に筋道が通ってきたとなりゃ、伝六ののみ取りまなこってえのはすごいんだからな。べらぼうめ、ほんとうにおどろくな――ええと、なるほど、これが大福帳だね。向こう柳原、遠州屋玉吉様二升お貸し。糸屋平兵衛様五升お貸し――なんてしみたれな借りようをするんだい。どうせ借りるなら、五千石も借りろよ」
 名人は居間のほうを、伝六は店のほうを、手分けしてあちらこちらと捜しているうちに、その伝六が、とつぜんけたたましく呼びたてました。
「あった! あった! ね、ちょっと、途方もねえものが見つかりましたよ。これから先ゃ、だんなの役なんだ。知恵箱持って、早くおいでなせえよ」
 ひらひらとかざすようにして差し出したのは、一枚の紙切れです。
 見ると、受け取りでした。しかし、ただの受け取りではない。不思議なことにも、駕籠屋《かごや》の受け取りなのです。

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   覚え
一金壱両二分  ただし夜中増し金
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