る暗い稼業《かぎょう》です。女衒とても、もとより芳しい稼業ではないが、女の前身にかどわかしの暗い影があるというにいたっては、じつに聞きのがしがたいことでした。しかも、盗んでさらって売ったものは、頑是《がんぜ》ない子どもだというのでした。
名人の手は久方ぶりで、そろりそろりといつのまにかあごのあたりをさまよいはじめました。
子どものかどわかし!――どういう子どもをどこへ売ったか、大きななぞの雲が忽焉《こつえん》として目の前に舞い下がってきたのです。
女の前身には暗い影があった。
かどわかしという人の恨みを買うにじゅうぶんな陰があった。
その女がふろおけの中で絞め殺された。
死体には子どものつめ跡がある。
ふろ場の羽目にも跡がある。
やはり、子どもの手の跡なのだ。
忍び込んだところは、高い窓なのだ。
その高い窓から苦もなくはいったとすると、よくよく身の軽い子どもにちがいないのです。
身軽な子ども……?
身軽な少年…?
なぞを解くかぎはそれ一つである。女は子どもをさらって、どういうところへ売ったか。身軽な子どもと売った先との間のつながりを見つけ出したら、このあやしき疑雲はおのずから解けてくるのです。
名人の手は、しきりとあごのあたりを去来しつづけました。
「うれしいね。それが出ると、峠はもう八合めまで登ったも同然なんだからな。え? ちょっと。伝六もてつだって、あごをなでてあげましょうかい」
「…………」
「やい、やい、松長。そんなにきょとんとした顔をして、不思議そうにだんなのあごをのぞき込まなくともいいんだよ。だんなは今お産をしているんだ、お産をな。気が散っちゃ産めるもんじゃねえ。じゃまにならねえように、その顔をそっちへもっと引っ込めていな!」
しかし、そうたやすく推断がつくはずはない。ともかくも生きている子どもを盗んで売るのであるから、いずれ売った先も明るい日の照る世界ではないのです。
「旅芸人か、曲芸師……?」
「身の軽い子どもとすれば曲芸師?」
ポーン、ポーンと隣のへやから、松長の子分たちのもてあそんでいるさえたつぼ音が聞こえました。耳にするや、むっつりと立ち上がって、つかつかとはいっていくと、不意にいったものです。
「ばくちかい。おいらに貸しな」
「こいつを? あの、だんなが……?」
「そうさ。びっくりせんでもいいよ。さいころの音はどんな音か聞くんだ。こうしてつぼを伏せるのかい」
ごろりと腹ばいになると、あざやかな手つきで、ガラガラポーンと伏せました。
おどろいたのは伝六です。
「冗、冗、冗談じゃねえや、あごはどうしたんですかよ、あごは! いくらばくちはお上がお目こぼしのわるさにしたって、お番所勤めをしている者が手にするってえ法はねえですよ。場合が違うんだ、場合が! 何をゆうちょうなまねをしているんですかよ!」
聞き流しながら名人は、無心にガラガラポーンと伏せて、さえたそのつぼ音を無心に聞き入りながら、心気の澄んだその無心の中から何か思いつこうとでもするかのように、しきりともてあそびつづけました。
ポーンと伏せてあけると、コロコロところがって、ピョコンと賽《さい》が起き上がるのです。
せつな。
むくりと立ち上がると、莞爾《かんじ》とした笑《え》みのなかからさわやかな声が飛びました。
「なアんでえ。さあ、駕籠《かご》だ。表のやつらにしたくさせな」
「ありがてえ、眼《がん》がつきましたかい」
「大つきだ。いたずらもしてみるものさ。このさいころをよく見ろよ。ころころところがってはぴょこんと起きるじゃねえか。ふいっと今それで思いついたんだ。ホシは角兵衛獅子《かくべえじし》だよ」
「カクベエジシ?」
「ぴょこんと起き上がる角兵衛獅子さ。身の軽い子どもだからただの曲芸師かと思ったが、まさしく角兵衛のお獅子《しし》さんにちげえねえよ。かどわかされて売られた子どもが、恨みのあまりやった細工に相違ねえ。一年ぶりであいつらがまた江戸へ流れ込んだきのうきょうじゃねえかよ。あっちこっち流して歩くうちに、かどわかしたおマキを見つけて、いちずの恨みにぎゅうとやりました、といったところがまずこのなぞの落ちだ。急がなくちゃならねえ、早くついてきな」
ひたひたと駕籠はその場に走りだしました。
5
目ざしたのは、柳原お馬場に近い神田の旅籠町《はたごちょう》です。
角兵衛獅子の宿は、軒を並べて二軒ある。
越後屋《えちごや》というのが一軒、丸屋というのが一軒。秋から冬にかけてのかせぎ場に、雪の国からこの江戸へ流れ出してきている角兵衛獅子は、年端《としは》の行かぬ子どもだけでもじつに六十人近いおびただしい数でした。
しかし、乗りつけたときは、すでにもう二軒とも、角兵衛獅子の群れが親方に伴われて、四方八方へ流れ出たあとなのでした。行き先は八百八町のどこへ行ったかわからないのです。その数は六十人からあるのです。その中から下手人ふたりをかぎ出すのです。すでにふたりの子どもをかぎ出すことからして難事なところへ、行った先散った先が雲をつかむような八百八町とすれば、じつに難事中の難事でした。
「ちくしょうめッ。めんどうなことになりやがったね」
たちまちに伝六のあわてだしたのはあたりまえです。
「なんしろ、八百八町あるんだ、八百八町ね。日に一百一町ずつ捜したって八日かかるんですよ。え? ちょっと。何かいい手はねえんですかね。王手飛車取りってえいうようなやつがね」
「…………」
「あっしが下手人でござんす。あっしが絞め殺しましたと首に札をつけているわけじゃねえんだからね。まごまごしてりゃ、ことしいっぱいかかりますぜ」
やかましくさえずりはじめたのを聞き流しながら、じっとうち考えていた名人が、何か名案を思いついたとみえて、とつぜんウフフとばかり笑いだすと、のっそりと丸屋へはいっていって、穏やかにきき尋ねました。
「おまえのところへ泊まってる角兵衛獅子どもはいくたりだ」
「二十六人でござります」
「帰りは何刻ごろだ」
「いつどちらへ流しに出ておりましても、暮れ六ツかっきりには必ず帰ってまいります」
「じゃ、ひとつおまじないをしておこうよ。寝泊まりしているへやへ案内せい」
どんどんはいっていくと、やにわにいったものです。
「亭主、子どもたちの着物を出せ」
「は……?」
「変な顔しなくたっていいんだよ。角兵衛たちみんな着替えを持ってるだろう。どれでもいい、その中からふたり分出せ」
あちらの梱《こうり》、こちらの梱をあけて、山のように積みあげた着替えの中から、手に触れたのをめくら探りに二枚つまみあげると、くるくると小ひもで結わえて、そこの鴨居《かもい》のところへぶらりとつりさげながら、取りよせたすずりの筆をとって、さらさらと不思議な文句を懐紙に書きしたためました。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「字の読める者がみんなに読んできかせろ。ゆうべ柳原の米屋の女房を絞めころしたやつらは、この着物の持ち主と決まった。おしろいのにおいがしみついているのがなによりの証拠だ。お番所の手が回ったぞ。伝六というこわいおじさんがひったてに来る。みんな気をつけろ」
[#ここで字下げ終わり]
つりさげた着物へぺったりと張りつけておいて、さっさと引き揚げていくと、すぐその足でやっていったところは軒並びのもう一軒の越後屋でした。
ここに泊まっているのは三十五人。
着替えを出させて、手に触れた二枚を同じようにつりさげながら、同じ文句の残し書きをしておくと、ふり返りもしないのです。
そのまま駕籠にゆられて、すうと八丁堀へ引き揚げました。
「バカをするにもほどがあらあ。伝六のこわいおじさんもねえもんだ。あっしがいつ、あんな約束をしたんですかい」
帰りつくと同時に、さっそく早雷が鳴りだしました。
「あやまったならあやまったと、すなおにいやいいんだ。だんなだっても神さまじゃねえ、たまにゃ手を焼くときもあるんだからね。あんな着物におしろいのにおいがついているかどうか、あっしゃにおいもかいだこたアねえんですよ。伝六に罪をぬりつけるつもりですかい」
「うるさいな、王手飛車取りの珍手をくふうしろといったから、注文どおりやったのじゃねえか。がんがんいうばかりが能じゃねえや。たまにゃとっくり胸に手をおいて考えてみろい。あの着物四枚はどの子どものものだか知らねえが、ああしておきゃ、あの持ち主の四人はもとより、やましいことのねえ子どもがみんな無実の罪を着せられめえと、騒ぎだすに決まってるんだ。そうでなくとも、ああいう他国者の渡り芸人たちゃ仲間のしめしもきびしいが、うちわどうしの成敗|法度《はっと》もきびしいんだ。だれがやった、おまえか、きさまかと、わいわい騒いでいるうちにゃおのずからほんものの下手人がわかるだろうし、わかりゃ手数をかけずにそっくりこっちが小ボシをふたりちょうだいができるというもんじゃねえかよ。日が暮れるまでは高まくらさ。わかったかい」
「なるほど、王手飛車取りにちげえねえや。うまいえさを考えたもんだね。六十人からの子どもがべちゃべちゃ騒ぎだしたとなると、またやかましいんだからな。さあ、こい、敬四郎。知恵のあるだんなを親分に持つと、こういうふうに楽ができるんだ。まくらをあげましょうかい。ふとんを敷きましょうかい。伝六の骨っぽい手でもよければ、お腰ももみますよ」
晴れてうるさし、曇ってうるさし、しきりときげんをとるのです。
つるべ落としにしだいに暮れて、そこはかとわびしい初秋の夕暮れが近づきました。
「むこうへ行きつくと、ちょうど暮れ六ツです。さあいらっしゃい。お駕籠の用意はできているんですよ」
「何丁だ」
「うれしくなったからね。あっしが手銭を気張って、二丁用意したんですよ」
「一丁にしろ」
「へ……?」
「一丁返せというんだよ」
残ったその一丁に乗るかと思うと、そうではないのです。ぶらりぶらりと自分はおひろいで、から駕籠をあとに従えながら、神田へ行きついたのが暮れ六ツ少しすぎでした。
丸屋のほうへまず先にはいってみると、案外にもしいんとしているのです。かせぎを終えて帰った二十六人が親方たちに守られながら、ぶらりとさがっている二枚の着物を遠巻きにして、こわいものをでも見るようにながめているのでした。
「こっちじゃねえや。獲物は越後屋の網と決まった。いってみな」
その越後屋へはいると同時に、騒がしいわめき声ががやがやとまず耳を打ちました。二階へ上がっていってみると、つりさげてある二枚の着物のまわりに角兵衛たちがまっくろくたかって、わき返っているさいちゅうなのでした。
「こいつおれんだ。おれの着物だ。おれはそんな人殺しなんぞやった覚えはねえよ」
「じゃ、だれだ、だれだ、だれがやったんだよ」
ひょいとみると、ひしめきたっているその群れから離れて、暗いあんどんの灯影《ほかげ》の下に、身を引きそばめながら、抱き合うようにして震えている子どもがいるのです。
それもふたり!
きらりと名人の目が光ったかと見るまに、静かに歩みよると、人情こまやかな声がおびえているその顔のうえにふりそそぎました。
「おじさんが来たからにゃ心配するなよ。慈悲をかけてあげましょうからのう。あのふろおけの下手人は、おまえたちだろうな」
「…………」
「泣かいでもいい。さぞくやしかったろう。ふたりともあの女にかどわかされて、角兵衛に売られたんでありましょうのう。ちがうか。どうじゃ」
わっとしゃくりあげてふたりとも泣きじゃくっていたが、温情あふれた名人のことばに、子ども心がしめつけられたとみえるのです。
「ようきいてくれました。おじさんなら隠さずに申します。下手人は、あの下手人は……」
「やはりおまえたちか!」
「そうでござります。おっしゃるとおり、あたいたちはあの女にかどわかされたんでござります……」
「どこでさらわれた」
「浅草の永徳寺でござります。あたしたちふたりとも、親なし子でござります。親なし子だから、永徳寺にもらわれて、六つのとき
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