かくしているとも考えられるのでした。
あるいは、父親が使嗾《しそう》して、子どもたちにまま母を殺させたとも考えられるのです。
「それにしては、わざわざ知らせにあの子どもが来たのがおかしいな。ふたりとも、なかなかかわいいからな」
「え? なんとかいいましたかい。あっしがかわいいっておっしゃるんですかい」
「うるせえや。黙ってろ」
「ちぇッ、黙りますよ。黙りますとも! ええ、ええ、どうせあっしゃかわいい子分じゃねえんでしょうからね。もうひとことだって口をきくもんじゃねえんだから、覚悟しておきなさいよ」
聞き流しながら、ひょいと見ると、はしなくもそのとき、名人の目を強く射たものがある。
ふろおけのすえてある反対側の羽目板の高いところに、すすでよごれた手の跡が、あちらとこちらに飛び離れて、はっきりと二つ残っているのです。
しかも、二つとも明らかに、子どもの手の跡なのでした。子細に見比べてみると、その手の跡に大小がある。
ふたりの子どもの別々の手の跡に相違ないのです。
「はてのう……」
烱々《けいけい》と目を光らして、手の跡から手の跡を追いながら、その位置をよく見しらべると、湯気抜きの押し窓のちょうど真下になっているのでした。
窓の長さは三尺、幅は一尺あるかないかの狭いものでしたが、子どもなら出はいりができないことはないのです。
念のために、伸び上がって押しあけながらよく見ると、すすほこりが着物かなぞですれたらしく、さっとはけめがついているのでした。
疑いもなく、ここからふたりの子どもが忍び込んだに相違ない。忍び込んだとするなら、うちのあのきょうだいたちがわざわざ外から忍び込むはずはないから、よそのほかの子どもにちがいないのです。手の跡から判断すると、窓からはいって、羽目板に手を突いて、ひらりと身軽に飛びおりたものにちがいない。
身軽な子ども……!
身軽な少年……?
「ウフフ、そろそろ風向きが変わったかな」
「え? え? なんですかい。いろけがよくなったんですかい」
「うるさいよ。おまえ今、もうひとことも口をきかないといったじゃないか、おまえさんなぞにしゃべってもらわなくとも、こっちゃけっこう身が持てるんだから、黙っててくんな」
「ああいうことをいうんだからな。薄情っちゃありゃしねえや。いっさいしゃべらねえ、口をききませぬといっておいてしゃべって、あっしのおしゃべりゃ人並みぐれえなんですよ。しゃべりだしゃこれでずいぶんとたのもしいんだ。どっちの風向きがどう変わったんですかい」
「あきれたやつだ。これをよく見ろい」
「なるほど、あるね。手だね。もみじのお手々というやつだ。まさに、まさしく手の跡だね」
「だから、捜すんだよ」
「へ……?」
「あのおやじが七百両背負って、ゆうべどこへ出かけていったか、そのなぞの解けるようなかぎを捜し出すんだよ。うちじゅう残らず調べてみな」
「じきそれだからな。この手の跡が七百両するんですかい。もうちっと話の寸をつめていってくれなきゃアわからねえんですよ」
「しようのねえやつだ。このとおり不思議な手の跡がこんなところに残っているからにゃ、下手人の風向きもこっちへ変わったじゃないかよ。変わったとすりゃ、かわいそうなあの親子を助け出さなきゃならねえんだ。しかし、相手は敬四郎だ。尋常なことでは嫌疑《けんぎ》を晴らすはずアねえんだ。だから、敬四郎がぐうの音も出ねえように、おやじがゆうべどこへいったか動かぬ足取りを洗いたてて、攻め道具にしなきゃならねえんだよ。おやじの嫌疑が晴れりゃ、子どもたちの嫌疑の雲の晴れる糸口もおのずと見つかるというもんじゃないかよ。一刻《いっとき》おくれりゃ、一刻よけいあの親子が、むごたらしい敬四郎の責め折檻《せっかん》を受けなきゃならねえんだ。早くしな」
「ちげえねえ! さあこい! 物に筋道が通ってきたとなりゃ、伝六ののみ取りまなこってえのはすごいんだからな。べらぼうめ、ほんとうにおどろくな――ええと、なるほど、これが大福帳だね。向こう柳原、遠州屋玉吉様二升お貸し。糸屋平兵衛様五升お貸し――なんてしみたれな借りようをするんだい。どうせ借りるなら、五千石も借りろよ」
名人は居間のほうを、伝六は店のほうを、手分けしてあちらこちらと捜しているうちに、その伝六が、とつぜんけたたましく呼びたてました。
「あった! あった! ね、ちょっと、途方もねえものが見つかりましたよ。これから先ゃ、だんなの役なんだ。知恵箱持って、早くおいでなせえよ」
ひらひらとかざすようにして差し出したのは、一枚の紙切れです。
見ると、受け取りでした。しかし、ただの受け取りではない。不思議なことにも、駕籠屋《かごや》の受け取りなのです。
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一金壱両二分 ただし夜中増し金
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