どのに変なことがござってな」
「なんでござりましょう?」
「知らぬまに、二の腕へいれずみが降ってわいたのじゃ」
「ま!……あの子が? あの子の膚に! どんな、どんないれずみでござりましょう!」
「喜七いのちと、五文字の浮かし彫りじゃ」
「喜七!」
「ご存じか!」
「いいえ、存じませぬ、知りませぬ。似通った名まえの者さえも、あの子の知り人にはござりませぬ。だいいち、あの子はいたって内気もの、みだりがましい男狂いのうわさなぞなにひとつござりませぬのに、なんとしたのでござりましょう。そんな、そのような不思議なことがある道理ござりませぬ!」
「でも、現在彫ってあるからにはいたしかたもあるまい。聞き込んだこともあるゆえ、お尋ねつかまつる。当家のご家族は?」
「奉公人残らず入れまして二十八人にござります。父、わたくし、弟、女中が五人、店の者は番頭三人、手代六人、あとの十一人はいずれも十二、三の小僧たちでござります」
年齢《としは》のいかぬ小僧たちに、色恋ざたがあろうとは思えない。疑わしいのは、手代六人と、番頭三人の九名です。
「番頭の名は?」
「伝右衛門《でんえもん》、五兵衛《ごへえ》、正助、みんな五十に近い者ばかりでござります」
「手代どもは?」
「新吉、宗太郎、竹造、源助、与之助《よのすけ》、巳太郎《みたろう》の六人でござります」
喜七はおろか、喜の字のついた名も、七の字のついた名まえすらもないのでした。奉公人のうちに嫌疑《けんぎ》のかかる者がいないとしたら、結婚当夜招かれた者たちにめぼしを移さねばならないのです。ふと、そのとき、名人の目はもっけもない品を見つけました。床の間にうず高く積まれた祝い品のかたわらに、婚儀招客帳と書かれた一冊が見えるのです。当夜出入りの者の名をしらべるには、これに越したものはない。
黙って立ち上がって手にすると同時に、まず目を射たのは、親戚《しんせき》招客ご芳名とある文字でした。これがざっと六十一名、喜右衛門、喜太郎と似た名まえがふたりあったが、喜七というのはどこにも見当たらないのです。
つづいて町内招客ご芳名とあるのが十六名、おてつだい衆とあるのが十一名。
しかし、そのいずれにも喜七なる名まえは皆無でした。
「ないか!」
「狂いましたかい」
どうやら、狂いかけたらしいのです。どうやら、眼《がん》は横へそれかかったらしいのです。伝六の
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