さままでも盗まれまするよ」
「聞き捨てならぬことを申されまするが、では、あちらのお住職はご行状がちと――」
「悪い段ではござりませぬ。いかに修行の足らぬ者でござりましょうとも、あれでは少し度が過ぎましょうわい。あはは、河原者《かわらもの》ならば男の良いのがとりえでござりましょうが、み仏に仕える者ではな、かえってじゃまでござりましょうよ」
「と申しますると、何か浮いたうわさでも――」
「うわさどころか、兄弟子《あにでし》ながらこの蓮信も、あれではちと目に余るくらいでござります。同じこのお寺で修行をつづけて、本寺、末寺と分かれた仲でござりますのでな、ことごとにかばいだてもいたしまして、悪いうわさの口端《くちは》に広まらぬようにと、ずいぶん気をつかってでござりまするが、あれこそまったく女地獄、このごろではどういう素姓の者やら、年上のあばずれ者らしい女とこっそり行き来をつづけて、いいえ、もう近ごろはからだに暇さえあると女を寺に引き入れて淫楽三昧《いんらくざんまい》でござりますのでな、さすがのてまえも、ほとほとあいそをつかしているくらいでござります。ちょうどいいさいわい、あなたさまからもきびしくお灸《きゅう》をおすえくださりませ」
「なるほどのう。あちらのお住職とは兄弟|弟子《でし》でござりまするか。それならば、ご心痛なさるのもごもっとも至極、よもや、今のそのお話、うそではござりますまいな」
「もってのほかのこと、不妄語戒《ふもうごかい》、犯すほどのばち当たりでござりましたら、蓮信、この紫数珠を身につけてはおられませぬ。お疑いならば、あちらへ行ってお調べなさるが早道、今も申したとおり、身に暇ができたとならば、きっと女をこっそり引き入れるか、ないしょに女の隠れ家へ忍んでいくか、よからぬ交わりしているはずでござりますゆえ、じきじきにご詮議なさるとよろしゅうござりまするよ。――いや、いううちに、てまえのからだも少し忙しくなったようでござります。ごめんくださりませ。鳶の衆もな、かきねができたらもうご用済みでござりますゆえ、ゆっくりお説教でもお聞きなさいよ」
数珠つまぐって、静かに会釈しながら立ち去っていったのを見送るともなく見送ったその目に、はしなくも映ったのは、そこの本堂の前の階段口に、麗々と建てられてある次のごとき一札でした。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「紀州、ご本山よりご下向のご番僧説教日割りは、左記のとおり相定め候《そうろう》につき、お心得しかるべく候。
[#ここから1字下げ]
壱、参、五、七、四カ日に当山。
弐、四、六、八、四カ日は興照寺。
ただし朝五ツよりのこと」
[#ここで字下げ終わり]
「あにい!」
読み下すや同時です。ふいっと名人が不思議なことを尋ねました。
「きょうは幾日だっけな」
「へ……?」
「四月の何日かというんだよ」
「はてね。お待ちなさいよ。おついたちの赤のご飯をいただいたのはおとついだから、ええと――ちきしょう、三日なら三日といやいいんだ。まさしく四月の三日ですよ」
「ウフフ。そうかい。道理でな、蓮信上人《れんしんしょうにん》、忙しくなりだしたとのたまわったよ。おいらも急に忙しくなりやがった。――来な!」
「ど、ど、どこへ行くんですかよ。いやだね、また急に伝六泣かせをお始めですか、三日なら何がどうしたというんですかい」
「決まってらあ。あそこの立て札にもちゃんと断わってあるじゃねえかよ。三日ならばこっちの説教日、こっちが説教日ならば川向こうは暇の日なんだ。蓮信上人、今なんといったのかい。からだに暇さえあれば、興照寺の住持さん、おしろいつけた女仏さまからとんだ極楽の夢を見せてもらっているといったじゃねえか。さらし地蔵のなぞも、そこら辺にしっぽがのぞいているかもしれねえ。だから、その女、張りに行くんだよ」
「ちぇッ。たまらねえことになりやがったね、色和尚《いろおしょう》、恋の遺恨の鼻欠け地蔵とくりゃおしばやものだ。行きますとも! 行きますとも! しっぽの出てくるところまで行きますよ。からめ手詮議はだんなが得意、いろごと詮議はあっしの得意、坊主がなめりゃ四光とくらあ。――えっへへ。こうなりゃもう気もたってくるが、足もまたはええんだからね。じれってえな。もっと急いで歩きなせえよ」
じつにどうも言いようなく口達者な男です。急がせながら河岸《かし》に沿って曲がりばなをひょいと見ると、乗せてきての帰りか、だれかを待っているのか、いいぐあいにも目についたのは一艘《いっそう》の伝馬《てんま》でした。――もとより見のがすような伝六ではない。
「ちきしょう。おあつらえ向きにできてやがるね。船頭、乗ってやるぜ。遠慮はいらねえ。早く出しなよ」
「冗、冗、冗談じゃねえですよ。一真寺のお説教を聞きに来た日本橋のご隠居
前へ
次へ
全12ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング