待ちなさいよ、薄情だな。やけにそんなに急がなくともいいじゃござんせんか! 今夜ばかりは、いやがらせをしないでおくんなさい! え! だんな!」
「…………」
「ね! ちょいと! 意地曲がりだな。どこへいったい行くんですかよ! ねらわれているな、あっしなんだ。だんなは草香流をお持ちだからいいかもしれねえが、おらがの十手はときどきさびを吹いてものをいわなくなるんですよ。ね! ちょいと!」
「…………」
「やりきれねえな。今夜は別なんだ。黙ってりゃ、いまにもねらわれそうで気味がわりいんだから、子分がかわいけりゃ人助けだと思って、なんとかうそにも景気をつけておくんなさいよ」
 だが、もとより返事はないのです。――季節はちょうどまた花どきの宵《よい》ざかり。それゆえにこそ、花のたよりも上野、品川、道灌山《どうかんやま》からとうに八百八町を訪れつくして、夜桜探りの行きか帰りか、浮かれ歩く人の姿が魔像のような影をひきながら、町は今が人出の盛りでした。
 いうがごとくつけている者があるとしたら、尾行者にとっては人出のその盛りこそ、まことに屈強至極です。ねらわれているとしたら、また伝六にはこのうえもなくふ
前へ 次へ
全50ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング