ちっとおそまつだ。番頭か手代とにらんだが、違ったか!」
「…………」
「はきはき返事をしろい! 気はなげえが、啖呵《たんか》筋が張りきっているんだ。おまけに、この雨じゃねえか、しっぽりぬれるには場所が違わあ、手間ア取らせねえで、はっきりいいなよ!」
「恐れ入りました。いかにもおめがねどおり、紅屋の手代幸助と申す者でござります」
「と申す者でござりますだけじゃ恐れ入り方が足りねえや。うちで染めて売ったしごきを、こんなにたくさんの人まで使ってとり返すからにゃ、ただのいたずらじゃあるめえ。二度売りやってもうけるつもりだったか」
「ど、どうつかまつりまして、そんなはしたない了見からではござりませぬ。じつは、ちとその――」
「なんだというんだよ」
「ひとに聞かれますると人命にかかわりますることでござりますゆえ、できますことならお人払いを――」
「ぜいたくいうねえ! 啖呵《たんか》のききもいいが、よしっ引き受けたとなりゃ、人一倍たのもしいおいらなんだ。人命にかかわるならかかわるように、おいらが計ってやらあ。何がどうしたというんだよ」
「弱りましたな。じつは、ちと恥ずかしいことでござりますゆえ、いいや、申しましょう。そういうおことばならば申しまするが、じつはその少々人目をはばかる不義の恋をいたしまして――」
「なんでえ! また色|沙汰《ざた》か。おいらがひとり者だと思って、意地わるくまたおのろけ騒動ばかし起こしゃがらあ。相手の女はどこのだれだよ」
「加賀家奥仕えのお蘭どのでござります」
「へえ。つやっぽい名まえが出りゃがったな。お蘭しごきのご本尊さまが相手かい。それにしても、この騒ぎはどうしたというんだよ」
「どうもこうもござりませぬ。お蘭とてまえは一つ町に育った幼なじみ。向こうは加賀家のお腰元に、てまえは染め物いじりの紅屋さんへ――」
「分かれて色修業に奉公しているうち、とんだほんものの色恋が染め上がったというのかい」
「というわけではござりませぬが、やはり幼なじみと申す者はうれしいものでござります。いつとはなしに思い思われる仲になりましたなれど、てまえはとにかく、お蘭はおうせもままならぬ奥勤め。文《ふみ》一つやりとりするにも人目をはばからねばなりませぬゆえ、お蘭どのが思いついてくふうしたのが、このお蘭しごきでござります。と申せばもうおわかりでござりましょうが、ひと重のしごきをわざわざ二重の袋仕立てにしたというのも、じつはその袋の中へてまえからの文を忍ばせて、首尾よく送り届ける仕掛けのためのくふうでござりました。それゆえ、決まってお蘭どのが月々三本ずつ――」
「よし、わかった。そんなにたくさんいるはずはねえのに、決まって三本ずつ新しいのを買うというのが不審だとにらんでいたが、ほしいのはしごきじゃなくて、おまえの口説《くぜつ》をこめた文が目あてだったというのかい」
「さようでござります。この月の十一日にも新規の品が三十六本仕上がりましたゆえ、そのうちの一本にいつものとおりこっそりとてまえの文を忍ばせておきまして、あすにも加賀様から沙汰《さた》のありしだい届けようと待ちあぐんでおりましたところ、運の尽きというものに相違ござりませぬ。でき上がったちょうどその日、所用がありまして、ついてまえが店をあけたるす中に、仕上がるのを待ちかまえておりましたものか、ばたばたと十一人ほどのお客さまがあとから買いに参られまして、店の者がまた秘密の文を仕込んだ一本がその中に交じっているとも知らず、どこのどなたか住まいもお名まえもわからぬお客さまがたに売りさばいてしもうたのでござります。それゆえぎょうてんいたしまして、もしや残りの二十五本に交じっていはしないかとさっそく調べようと存じましたが、これがまたあいにくなことには、同じその十一日に、加賀家から二十五本取りまとめて十五日に納入しろとのご用命があったとか申しまして、主人が一つ一つの桐箱《きりばこ》に入念な封印をほどこし御用倉へ厳重に納めてしまいましたゆえ、心はあせっても手が出せず、何をいうにも不義はお家の法度《はっと》と、きびしいおきてに縛られているお屋敷仕えのお腰元でござります。万が一ないしょの文が人手に渡り、ふたりの秘密があばかれましたら、てまえはとにかく、お蘭どのの命はあるまいと、そのことばかり恐ろしゅう思いまして、いろいろ思案いたしましたが浅知恵の悲しさ、そのまにも日がたっては一大事にござりますゆえ、悪いこととは知りながら、ついやるせなさのあまりに、もしかしたら運よく取り返すことができはしないかと、そちらに捕えられている八人のかたがたに旨を含め、お蘭しごきを締めている女を見かけしだい、かすめ取るよう、一本盗みとったら二分ずつ礼をさし上げる約束で、こっそりと文改めしたのでござります。なれども、悲しいかな、ど
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