、西国へ。
女夫《めおと》ふたりの札参り。
じゃか、じゃか、じゃと踊って舞って、お蘭しごきの二十四人が向こうとこちらに声を合わせつつ、伝六ここをせんどと大浮かれです。
「品川沖から入道が、八本足の入道が、上がった、上がった、ねえ、だんな」
ほんに、寝顔がよいそうな。
意気な殿御にしっぽりと。
「ぬれたあとから花が散る。コラサノサアのさあこいだ。ねえ、だんな、いっぺえどうですかい」
せつな!
ザアという雨でした。花のころにはつきもののにわか雨です。
とたん! 右往左往と右に走り左に逃げて、雨を避けながら走りまどう浮かれ女、浮かれ男の群衆の中から、とつぜん絹を裂くようないくつかの女の悲鳴があがりました。
「お出会いくださいまし!」
「お出会いくださいまし!」
「どろぼうでござります! お山同心さま!」
「くせ者でござります。くせ者が出ましてござります」
「しごきどろほうでござります」
「え! ちくしょうッ。だんな、だんな。出やがった、出やがった。ね、ほら、ほら! あれが出やがったんですよ」
おどろいたのは、品川沖から上がったつもりで、たこも入道のひょっとこ踊りに浮かれ騒いでいた伝六です。うちうろたえて、ひょろひょろと立ち上がったその目の先を、なるほど走る。走る。三人! 五人! いや、六人! 八人!
いずれもそれがならずもの、遊び人、すり、きんちゃくきりといったような風体のものばかりで、奪っては追いかけ、追いかけては奪い取って逃げ走るそのあとを、ぶっさき羽織、くくりばかま姿の上野お山詰め同心たちが追いかけながら、逃げまどうそれらの人の間をまた、雨と突然の変事におどろき逃げ走る群衆が右往左往と駆け違って、ひとときまえの極楽山はたちまち騒然と落花|狼藉《ろうぜき》阿鼻《あび》叫喚の地獄山と変わりました。
だが、名人はいかにもおちついているのです。叫びを聞くやもろとも、さっと起き上がったので、すぐにも押えに駆けだすだろうと思われたのに、そのままじっとたたずみながら、おいらはこれを待っていたんだというように、烱々《けいけい》とまなこを光らして、ひとり、ふたり、三人とお山同心たちの手に押えられていくしごき掏摸《すり》の姿と数を見しらべていましたが、そのときはしなくも目に映ったのは、群衆の向こうの桜の小陰から半身をのぞかせて、怪しく目を光らせながら様子を見守っていた年若い町人の姿です。いや、町人づくりの、のっぺりとしたその男の姿が目にはいったばかりではない、下手人が行くのです、行くのです。奪いとったしごきを懐中にして、必死とお山同心の追撃をさけながら、桜の陰の怪しの町人目ざしつつ逃げ走っていく姿が矢のごとく目を射抜きました。同時です。
「狂ったな。おどし文《ぶみ》の文句のぐあいじゃ、まさしく二本差しのしわざとにらんでおったが、春先ゃやっぱり眼《がん》も狂うとみえらあ。しごきぬすっとの元締めさんは、ちゃちな青造さんだよ。やっこを押えりゃいいんだ。ぽかんとしていねえで、ついてきなよ」
すいすいと足を早めた名人の姿を知って、ぎょっとなりながら逃げ隠れようとしたが、しかしすでにおそい。ぱらぱらと駆け集まっていく手をふさいだのは、お山同心の一隊です。
「神妙にしろッ」
押えとったところへ、
「ご苦労にござる」
ずういと歩みよると、おちついた声でした。
「それなる町人、ちょうだいいたしとうござるが、いかがでござろう」
「なにッ。尊公は何者じゃッ」
けしきばんだのも当然でした。お山同心といえば権限も格別、職責もまた格別、上野東照宮|霊廟《れいびょう》づきの同心で、町方とは全然なわ張り違いであるばかりではなく、事いやしくもこの山内において突発した以上は、吟味、詮議《せんぎ》、下手人の引き渡し、大小のことすべてこの一円一帯を預かるお山同心にその支配権があったからです。――さればこそ、名人はいたっていんぎんでした。
「ご不審はごもっとも至極、てまえはこれなる巻き羽織でも知らるるとおり、八丁堀の右門と申す者でござる」
「おお、そなたでござったか! ご評判は存じながら、お見それいたして失礼つかまつった。では、この町人たちもなんぞ……?」
「さようでござる。ちと詮議の筋あるやつら、てまえにお引き渡し願えませぬか」
「ご貴殿ならば否やござらぬ。お気ままに」
「かたじけない――」
ずかずかと年若いその町人のそばへ歩みよると、いつものあの右門流です。ぎろりと鋭く上から下へその風体をひとにらみしたかと見えるや、間もおかずに、ずばりとすばらしいずぼしの一語が飛んでいきました。
「きさま、紅屋の手代だな!」
「えッ――」
「びっくりしたっておそいや! 指だよ、指だよ。両手のその指の先に、藍《あい》や江戸紫のしみがあるじゃねえかよ。せがれにしちゃ身なりが
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