「ところが、おいらが見るとちゃんとけえてあるから妙じゃねえかよ。走ったかと思やとまり、止まったかと思やまた逃げだして、その逃げ方もあっちへいったり、こっちへ来たり、まごまごと迷ってばかりいるのは、気の小せえ証拠、度胸のすわっていねえ証拠だよ。――どうやら、裏庭は木戸も抜け道もねえ止まりのようだ。どこかにもぐっているにちげえあるめえ。さっさと拾っていってかいでみな」
一つ一つたぐりながら探っていくと、果然、裏庭のいちばんすみの、小屋ともつかぬ穴倉の前で消えているのです。――おそらく、人形用の細工土をかこってある土室にちがいない。足跡はその入り口のところでぴたりと止まって、入り口にはまた厚そうな土の戸が見えました。
「ウッフフ。よくよく、ちゃちな野郎だね。けっこうこれで隠れおおせたつもりでいるんだからね。――やい、野郎ッ、知らねえのかッ。知らねえのかッ、頭かくしてしり隠さずってえしゃれた文句が、いろはがるたにちゃんとあるんだ。出ろッ、出ろッ。――しかし、だんな、いいんですかい、小せい声でお頼み申しておきますがね。窮鼠《きゅうそ》かえってねこをかむってえ古ことわざもあるんだ。主従のよしみだからね、いざとなったら、あれをちょっぴり、ね、ほら、いいですかい。草香流でおまじないを頼んますぜ。――さあ来い、野郎ッ。なにもないしょ話したんじゃねえんだぞ。つええんだッ。つええんだッ。草香流を背中に背負ってるんだから、手出しすりゃ、首根っこがそっぽへ向くぞ。出ろッ、出ろッ」
さぞや死にもの狂いに手向かいするだろうと察して、景気をあおりながら伝六が用心しつつおどり込んでみると、これがふるえているのです。いろはがるたを地でいって粂五郎は、土に頭をもぐらせんばかりにしながら、必死とちぢこまりつつがたがたとやっていたさいちゅうなのでした。
「なんでえ。そのざまは! どこからどこまでもちゃちな野郎じゃねえか。出ろッ、出ろッ。しゃれにもならねえじゃねえか。どろへもぐったからにゃ吐くどろもあるにちげえねえ。とっとと恐れ入っちまいなよ!」
ひきずり出して、ここを晴れの舞台と伝六が締めあげようとしたのを、
「荒締めゃ身の毒だ。待ちな、待ちな」
ぴたり押えながら名人が静かに歩みよると、穏やかに、しかし、ぴーんと胸にしみ入るようなことばが、ふるえている粂五郎の頭上に下りました。
「上には慈悲があるぞ! 目もあるぞ! しかも、このおいらの目玉は、雨空、雪もよう、晴れ曇り、慈悲にもきくがにらみも江戸一ききがいいんだ。なんぞおめえ細工をしたろう。すっぱりいいな」
「いいえ、あの、あっしが、あっしが――」
「あっしがどうしたというのかい」
「あっしが蒸し焼きにしたんじゃねえんです。殺したんじゃねえんです」
「それをきいてるんじゃねえんだ。さっき仕事べやへへえっていったときに震えていたあんばい、今こうして逃げまわったあんばいからいっても、無傷じゃあるめえ。弥七郎が思い案じて自害しなくちゃならねえような種を、何かおめえがまいたろう! どうだ。ちがうか!」
「め、めっそうもござりませぬ。無、無実でござります! 無実のお疑いでござります。あっしゃ何もしたんじゃねえんです。ただ、二十日《はつか》の晩、弥七郎がいなくなったあの二十日の晩に――」
「二十日の晩にどうしたんだ」
「見たんです。ちらりと、ちらりとあれがあの窯《かま》の中にはいるところを見かけたような気がしましたんです。何をするだろうと思ったんですが、はっきり見たわけじゃなし、まさかと思っておったら――」
「思っておったら、どうしたんだ」
「その夜から明けがたにかけて臭かったんです。たしかに人の焼けるようなにおいがしたんです。だから、だから、かかり合いになっちゃなるまいと思って、前後の考えもなく逃げかくれしただけのことなんです」
「ほんとうか!」
「う、うそ偽りはござりませぬ。人の焼けるにおいがしましたんで、ひょっとしたらと思ってはいたんですが、のぞいてみるのもこわいし、よけいなことをしてまたつまらぬ疑いでもかかってはと、ひとりでびくびくしておりましたら、今のさきだんなさまが手もなくお見破りなすったんで、かかり合いになっちゃあと逃げだしただけのことなんです」
「まちがいないな!」
「ご、ござりませぬ」
「こちら向いてみろッ。向いて目をみせろッ」
こわごわふり向けたその目の色を、じいっと見すくめながら探ってみたが、濁りもない。乱れもない。いかさま、うそ偽りの色は少しも見えないのです。
「そうか! 狂ったか! 狂ったことのないおいらの眼《がん》が狂ったか! 用はない。いけッ」
吐き出すような、というよりもむしろそれは悲しげな嘆きの声でした。無理もない。天下第一の器量人、名宰相伊豆守ですらも舌を巻いて、あれは無比無双じゃと折り紙つけたむっつり流、狂い知らずのその眼に狂いがあったのです。もののみごとにはずれたのです。
かつてないほどにうち沈んだ姿でした。思案にあまり、思いに屈したというように、深くふかく考え沈みながら、踏む足も重たげにとぼとぼと取ってかえすと、ものをもいわずにすうとあの仕事場に上がって、かかえ持っていたなぞの青焼き人形を、静かにその前に置きすえながら、どっかと端座して黙々と腕こまねきました。
へやにいたのはあの泥斎《でいさい》です。意外に思ったか、あっけにとられたものか、それともなにか泥斎自身も思いに沈んでいたのか、無言のままに見迎えて、声もかけずにじいっと押し黙ったままでした。
しかし、その目は、ときおり、芸道にいそしむ者のみが持つ、燃えるような、きらめくような、異様な光とともに、吸い寄せられでもするかのごとく、青焼き人形にふりそそがれました。
名人右門の目もまた同様です。
おくれてはいってきた伝六も――、いっぱしの立て役者がましく、気味わるそうに青焼き人形をながめては首をひねり、ひねっては名人の顔をうちながめ、ながめてはまたしきりに首をひねって、あのやかましいのが事の意外な変わり方にしたたか肝をつぶしたらしく、すっかり鳴りをひそめたままでした。
なぞはいたずらに濃くなるばかり。
ただ、いぶかしいのは生き身もろとも、共焼きにしたその青焼き人形です。ワガ姿ヲ写ス、弥七郎作とある銘もなぞ、共焼きもなぞ、色もなぞ。その色がまたぶきみなほどにもさえざえと美しくさえかえって、青みに青み、澄みに澄んだ群青色が、人の心、人の魂をしいんと引き締め、引き入れるような美しさであった。
声はない……。
四半刻《しはんとき》!
声はない……。
半刻!
声はない……。
しんしんとただ気味わるく静まりかえって、なんの声も放たぬなぞの青人形に注がれている三人の目が、六つのひとみが、怪しく輝き、異様に光り、とんきょうに輝きながら、ぶきみにきらめいているばかりです。――いや。やがて、ぱらりと名人の鬢《びん》の毛が、三筋、四筋、六筋、七筋、青白く思案に沈んだそのほおにみだれかかりました。――とたん、かすかにそれがゆれたかと見えるや同時に、はらわたをふり絞ったような声が、悲壮に、うめくように放たれました。
「わからぬ! わからぬ! くやしいな! 伝六ッ」
「…………」
「解けんわい! 解けんわい! この人形のなぞばかりは、なんとしても解けぬ。自害にちげえねえんだ。火口一つより出はいりする口はねえ、その口を中から塗りこめてあったからにゃ、自害にちげえねえんだ。だのに、だのに、くやしいな! 伝六ッ。――みろ! この人形を、とっくりとみろ!」
「み、みているんですよ。そ、そんなに悲しそうな声でおこらなくとも、ちゃんと見ているんですよ」
「見たら、おめえにだってもわかるはずだ。ワガ姿ヲ写ス、弥七郎作と銘が入れてあるんだ。女じゃねえてめえの姿だ。その人形を抱いて共焼きに蒸され死にした弥七郎の了見がわからねえんだ。女なら考えようもある。解きようもある。好いた女にそでにされて、慕っても慕っても思いが通らねえので、せめてもその女の姿を写しとって、心中がわりに蒸され死にしたってえなら話もわかるが、そうじゃねえんだ。てめえの姿を抱いて共焼きになってるんだ。くやしいな! 伝六。わからねえ! 解けねえ、このなぞばかりゃ解けねえよ!」
「だ、だんなにわからねえものなら、あっしに、わたしに、と、解けるはずアねえんですよ。――生まれ変わりてえな。知恵の袋をうんとこしこたま仕込んで、今ここでぴょこんといっぺんに生まれ変わりてえな。く、くやしがらずと、そんなにくやしがらずと、なんとか知恵の水の井戸替えしてみておくんなせえな」
「いくら考えても、それがわからねえんだ。未熟だな……申しわけがない。伊豆守様にお会わせする顔がない……、な! 伝六! 未熟だな。まだおいらも修業が足りねえんだ……この世に、おいらが考えて、おいらがにらんで、解けねえなぞはなにひとつあるめえと思っていたのに、人の心の奥の奥の奥底だきゃわからねえな。いいや、芸道に打ち込んだ者の、魂まで打ち込んで芸道に精進した者の、命までかけた心の秘密ア、心のなぞは、さすがのおいらにもわからねえわい――。未熟だな……未熟だ、未熟だ。くやしいよ。伝六、くやしいな……情けねえな……身の修業の足りねえのが、いまさら恨めしいわい……」
せつなです。
「申しわけござりませぬ!」
不意でした。肺腑《はいふ》を突きえぐるようなその声を、黙々として聞いていた泥斎が、とつぜん言い叫んだ声もろともに、がばとそこへひれ伏すと、意外な秘密を明かしました。
「すみませぬ。あいすみませぬ。この老いぼれが隠しだてしていたのでござります」
「なにッ、えッ――。そなたが、そちがか! そちが隠しごとしていたと申すか!」
「はッ。申、申しわけござりませぬ。明かさばこの身の恥になることと存じまして、今の今まで気どられまいと、色にも出さずひたがくしに隠しておりましたが、だんなさまのただいまのせつなげなおことばを承りましては、もう、もう、おろかな隠しだてしてはおられなくなりました。いいえ、泥斎、身にこたえましてござります。おひとことに打ちのめされましてござります! いいえ、いいえ、弥七郎が苦心の果てのこの群青焼きを見ましては、心魂打ち込んだこの青焼きを見ましては、泥斎恥ずかしゅうてなりませぬ。お笑いくださりまするな。事の起こりは、やはり、みなせがれかわいさの親心からでござります」
「なに! 親心からとは、またどうしたわけじゃ。どうした子細じゃ!」
「いうも恥ずかしい親心――源五兵衛どのが、子ゆえにみごと腹切り召されて、直訴までもしたその親心に比べますればいうも恥ずかしい親心でござりまするが、おろかなせがれ持ったが悲しい因果の一つ、利発な弥七郎めを弟子《でし》に持ったが恨めしい因果の二つ、それゆえにこそ泥斎がこのようなあさましい親心になりましたことも、おしかりなくお察しくだされませ。と申したばかりではおわかりでござりますまいが、じつは、てまえも、せがれも、弥七郎も、三人ともども、この青人形のような濃淡自在の群青色焼き出しを、もう二年越しくふう苦心していたのでござります。なれども、せがれはご覧のような鈍根のうつけ者、群青色焼き分けは夢おろか、てんからふできな、先に望みもないやつなのでござります。それにひきかえ他人さまの子の弥七郎は、さきほどだんなさまがそこのたなの三体をお見比べなさいましてずぼしをお当てなさいましたように、いたっての腕巧者、師匠のこの泥斎すらもときおり舌を巻くような上作を焼きあげるのでござります。それがあさましい親心のきざしたる基、手を取って教えた弟子のなかから流儀流派の名を恥ずかしめぬ門人が生まれましたら、子を捨ててもその者に跡目譲るべきはずのものを、そこがつい親心でござります。せがれに譲りたい、譲るには弥七郎がおってはじゃまじゃ、なんぞ罪着せて破門するが第一と、もともとありもしない秘伝書を盗んだであろう、かすめたであろうと責めたてたのがこんなことになりました。手こそ下しませぬが、この泥斎が殺したも同然、無実
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