右門捕物帖
献上博多人形
佐々木味津三

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)献上|博多《はかた》人形

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)献上|博多《はかた》人形

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「思ってらっしゃる」は底本では「思ってらしゃる」]
−−

     1

 ――その第二十七番てがらです。
 場所は芝。事の起きたのは、お正月も末の二十四日でした。風流人が江戸雪といったあの雪です。舞いだしたとなると、鉄火というか、伝法というか、雪までがたいそうもなく江戸前に気短なところがあって、豪儀といえば豪儀ですが、ちらりほらりと夜の引きあけごろから降りだしたと思ったあいだに、たちまち八百八町は二寸厚みの牡丹雪《ぼたんゆき》にぬりこめられて、見渡すかぎりただひと色の銀世界でした。風がまたはなはだしく江戸前にわさびのききがよくて、ひりひりと身を切るばかり。――しかし、二十四日とあらば、寒い冷たいの不服はいっていられないのです。あたかもこの日はお二代台徳院殿様、すなわち前将軍|秀忠《ひでただ》公のご忌日に当たるところから、例年のごとく将軍家の増上寺お成りがあるため、お城内も沿道もたいへんな騒ぎでした。ひと口にいったら、芝のあの三縁山へお成りになって、そこに祭られてある台徳院殿さまの御霊屋《みたまや》に、ぺこりとひとつ将軍家がおつむりをお下げになるだけのことですが、下げる頭が少しばかり値段の高い八百万石のおつむりですから、事が穏やかでないのです。七日まえにまず増上寺へ正式のお使者が立って、お参詣《さんけい》お成りのお達しがある。翌日、城内御用べやに南北両町|奉行《ぶぎょう》を呼び招いて、沿道ご警衛の打ち合わせがある。これが済んだとなると、すさまじいご権式です。二十四日のお当日は、江戸城三十六見付総ご門に、月番大名火消し、ならびにお城詰めご定火消しの手の者がずらずらと詰めかけて、お成りからご還御までの間のお固めを承り、沿道にはまた、表警備、忍び警備、隠れ警備の三手に分かれた町奉行配下の、与力同心小者総動員による警備隊が水も漏らさぬ警衛網を張りめぐらして、しかも御成門《おなりもん》から増上寺に至るまでのお道筋一帯は大名諸侯の屋敷といわずお小屋といわず、およそ家と名のつくものは一軒残らず煙止めとなるならわしでした。火気いっさいをお禁じになるのです。
「豪勢なもんさ。この寒いのに、火をたいちゃならねえというんだからね」
「そうよ。おまんまはどうするんだ、おまんまをな。火の気を使っていけなきゃ、お茶一つ口にすることもできねえじゃねえかよ。つがもねえ。こちとら下々の者は人間じゃねえと思ってらっしゃる[#「思ってらっしゃる」は底本では「思ってらしゃる」]んだからな。おたげえ来世はねこにでもなることよ」
 なぞと、うそにも陰口をきこうものなら、下民の分際をもって、上ご政道をとやかく申せし段ふらち至極とあって、これがまず入牢《じゅろう》二十日。糸ほどの煙を見せてもお目ざわりとあって禁じられるくらいですから、のぞき見はいうまでもないこと、二階のある町家はもちろんこれを締めきって、節穴という節穴は残らず目張りを命ぜられるほどの手きびしさでした。
「お手はず万端整いましてござります」
 やがてのことに、ご奏者番からご老中職へ、ご老中からご公方《くぼう》さままで、道々のご警備その他ぬかりのない旨、ご言上が終わると、
「お成りイ――」
 の声があって、ご開門と同時にお出ましがかっきり明け七ツ。冬の朝の七ツ刻《どき》ですから、ようやく三番|鶏《どり》が鳴いたか鳴かないのかまだまっくらいうちです。かくて道中、事も起こらずに増上寺へお着きとなれば、もうあとはたわいがないくらいでした。大僧正がお介添えまいらせて、予定のとおり御霊屋《みたまや》へご参拝が終わると、ご接待というのは塩花お白湯《さゆ》がたった一杯。召し上がるか上がらないかに、
「お立ちイ――」
 の声がかかって、すぐにもう還御です。
 しかし、そのあとがじつはたいへんでした。ひきつづきお跡参りと称して、紀、尾、水のご三家をはじめ十八松平に三百諸侯、それから老中|側《そば》御用人など要路の大官連ご一統のご参拝があるからです。この数がざっと三百八十名ばかり。いずれもこの日は大紋|風折烏帽子《かざおりえぼし》の式服に威儀を正して、お乗り物は一様に長柄のお駕籠《かご》、これらのものものしい大小名が規定どおりの供人に警固されて、三|位《み》、中将、納言《なごん》、朝散太夫《ちょうさんだゆう》と位階格式|禄高《ろくだか》の順もなく、入れ替わり立ち替わり陸続としてひっきりなしにお参りするのですから、その騒々しさ混雑というものは、じつに名状しがたいくらいでした。しかも、これがただお参りするのではないからかなわないのです。行きと帰りと絶え間なく続くそのお召し駕籠が、途中すれ違ったとなると、
「酒井|大和守《やまとのかみ》様ア――」
「土屋|相模守《さがみのかみ》様ア――」
 といったぐあいに、いちいち名のりをあげて、いちいちまたたれをあげながら、お大名どうし双方ごあいさつ会釈をかわさねばならぬしきたりになっているため、ややこしさ、ぎょうぎょうしさ、もしも気短者の伝六が万石城持ちの相模守にでもなっていようものなら、さぞかし、べらぼうめ、じれってえや、の巻き舌|啖呵《たんか》が絶え間なくお乗り物から飛び出したにちがいないほどの煩わしさでした。
 そのうえに見物は町々屋並みを埋めるばかり、将軍家還御になってしまうと、道に張られていた引きなわはいっせいにもう取りのけられて、見物かってのお許しになっているため、雪にもめげずに押し寄せた有象無象が、押すな押すなの大混雑です。
「ちくしょうッ」
「いてえ!」
「踏んだな!」
「やかましいや。半鐘どろ! やい。のっぽ野郎! そのろくろ首をひっこめろッ」
「じゃまっけで見えねえじゃねえか。ひっこぬいて、たもとの中へしまっちまいなよ!」
「なんだと! べらぼうめ。張り子のとらじゃねえや。首の抜き差しができてたまるけえ。産んだ親がわりいんだ。不足があったら、親にいいなよ」
 右からわめき、左からののしる声の間を、急がず遅れず溜《た》め塗りご定紋入りのお駕籠《かご》をうたせて、格式どおりのお供人を従えながら、しずしずとさしかかってきたのは、だれでもない松平の御前でした。わが捕物《とりもの》名人むっつりの右門とは、切っても切れぬゆかりの深い知恵宰相|伊豆守《いずのかみ》です。
 おりからからりと明けて、雪も間遠にちらりほらり……。
 さすがは天下の執権、ご威勢もさることながら、おのずからに備わるご貫禄《かんろく》もまたあっぱれでした。早くも宰相伊豆守のご行列と知ってか、わめき騒いでいた群衆はいっせいに鳴りを静めて、しいんと水を打ったようです。その中をお駕籠は粛々と行列をつづけて、駕籠止め下馬の山門に乗りつけたのがかっきり六ツ下がりでした。ここから先は、天下のご執権老中職といえども乗り物ご禁制です。
 ぴたりとお駕籠が止まる。
 長柄のかさを介添える。
 おぞうりをそろえる。
 たれが上がる。
「お着ウ。伊豆守様ア――」
「お迎イ。ただいまア――」
 応じ合って、お出迎え申しあげた寺僧の会釈をうけつつ、静かにお駕籠を降りた烏帽子《えぼし》姿のけだかき威厳!――しいんと鳴りを静めていた群衆は、さらにしいんと鳴りを静めて、等しくえりを正したのも名宰相伊豆守なればこそでした。
 しかし、そのせつなです。突如、黒山の群衆のその水を打ったように静まり返っていた一点が、さっとくずれたったかと見るまに、人影がばたばたと雪をけりつつ、駆けだすと、いまし山門に向かって歩みだそうとしていた伊豆守の行く手左わきにぴたり、もろひざを折り敷きながら、必死に呼びたてました。
「一期の願い、お慈悲でござります! この訴状お取り上げくださりませい! お願いでござります! お慈悲でござります!」
「…………」
「直訴じゃなッ」
「ならぬ!」
「さがれい!」
「不届き者めがッ!」
「押えろッ、押えろッ」
「取って押えい!」
 もとより直訴は天下のご法度《はっと》、沸然《ふつぜん》としてわきたったのは当然なことです。声が飛び、人が飛んで、訴人はたちまち近侍の者たちが高手小手。ご行列は乱れる、雪は散る、喧々囂々《けんけんごうごう》と騒ぎたてた群集をけちらして、表警備、忍び警備、隠れ警備の任についていた町方一統の面々が先を争いながら駆けつけると、われこそ宰相の御意にかなおうといわぬばかりに、ぐるぐると伊豆守のお身まわりに寄り添いながら、その下知を待ちうけました。
 しかし、伊豆守は声がないのです。何者かの姿を捜し求めるかのように、しきりとあたりを見まわしていられましたが、そのときふとお目に止まったのは、だれでもない、じつにだれでもない、わが捕物名人右門の姿でした。しかも、名人がまた騒がないのです。
「てまえならばここに――」
 いうようにひざまずくと、胸から胸へ、目から目へ、千語万語にまさる無言の目まぜをじっと送りました。同時に、宰相の口から、うれしい鶴《つる》のひと声がかかりました。
「おう、やはり参っておったか! 捜したぞ。――余の者どもに用はない。行けッ、行けッ。右門ひとりがおらばたくさんじゃ。みなひけい!」
 まことに、まったくこんな胸のすく一語というものはない。大鴻《たいこう》よく大鴻の志を知り、名手よく名剣の切れ味を知るとはまさにこれです。その力量を信ずることだれよりも厚い名宰相伊豆守と、その明知に畏服《いふく》することだれにもまさる名人右門とのやりとりは、意気も器量もぴたりと合って、つねにかくのごとくさわやかでした。――騒ぎもまたぴたりと静まって、押えつけていた近侍の面々が手を引くと同時に、はじめて直訴人の姿が雪の中から現われました。
 年のころは六十あまり、常人ではない。一見するに凛烈《りんれつ》、人を圧するような気品と凄気《せいき》をたたえて羽織はかまに威儀を正しながら雪の道に平伏している姿は、どうやら、一芸一能に達した名工、といった風貌《ふうぼう》の老人なのです。――ひざまずいたまま烱々《けいけい》とまなこを光らして名人は、ややしばし老直訴人の姿をじいっとうち見守っていたかと見えたが、さすがは慧眼《けいがん》無双、そちひとりおらばと名宰相が折り紙つけただけのことがあって、せつなのうちにもうあの眼《がん》がさえ渡りました。
「御前! 火急のお計らいが肝心でござります。必死の覚悟とみえまして、まさしく訴人は切腹しておりまするぞ」
「なにッ」
「みるみるうちに顔色の変わりましたが第一の証拠、直訴を遂げて気の張り衰えましたか、五体にただならぬ苦痛の色が見えまするでござります」
「いかさまのう。調べてみい」
 にじり寄って懐中を探ってみると同時に、果然、前腹からわき腹にかけて幾重にも堅くきりきりとさらしもめんの巻かれてあるのがその手にさわりました。直訴を遂げてしまうまでは死ぬまじ、倒れまじと、出血を防ぐために切腹した上をきりきりと巻き止めて、苦痛をこらえつつ伊豆守のご参着を待ちうけていたにちがいないのです。それが証拠には、さし入れた名人のその手に、にじみ出ていた生血がべっとりと触れました。もとより事は急、壮烈きわまりない訴人のその覚悟を見ては、ちゅうちょしている場合でないのです。とっさに、名人は血によごれたその手をさっと開いてさし出すと、目にものをいわせつつ伊豆守の処断を促しました。
「かくのとおり、みごとな覚悟にござります。殿、ご賢慮のほどは?」
「いかさま必死とみゆるな。命までもなげうって直訴するとは、あっぱれ憎いやつめがッ。そち、しかと、――のう!」
「はッ」
「あいわかったか、予に成り代わって、ふびんなそのふらち者じゅうぶんに取り調べたうえ、ねんごろにいたわって、しかとしかりつけい!」
「心得ました。ご諚どおりしかりつけまするでござり
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング