「その夜から明けがたにかけて臭かったんです。たしかに人の焼けるようなにおいがしたんです。だから、だから、かかり合いになっちゃなるまいと思って、前後の考えもなく逃げかくれしただけのことなんです」
「ほんとうか!」
「う、うそ偽りはござりませぬ。人の焼けるにおいがしましたんで、ひょっとしたらと思ってはいたんですが、のぞいてみるのもこわいし、よけいなことをしてまたつまらぬ疑いでもかかってはと、ひとりでびくびくしておりましたら、今のさきだんなさまが手もなくお見破りなすったんで、かかり合いになっちゃあと逃げだしただけのことなんです」
「まちがいないな!」
「ご、ござりませぬ」
「こちら向いてみろッ。向いて目をみせろッ」
 こわごわふり向けたその目の色を、じいっと見すくめながら探ってみたが、濁りもない。乱れもない。いかさま、うそ偽りの色は少しも見えないのです。
「そうか! 狂ったか! 狂ったことのないおいらの眼《がん》が狂ったか! 用はない。いけッ」
 吐き出すような、というよりもむしろそれは悲しげな嘆きの声でした。無理もない。天下第一の器量人、名宰相伊豆守ですらも舌を巻いて、あれは無比無双じゃ
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