ござんせんか。べらぼうめ、おれがおるんだ。生きのいい江戸っ子のこの伝様がいるんですよ。え? ちょいと。それでもひねっちゃわりいんですかい。え! だんな!――気に入らねえね、何がおかしくてニヤニヤするんですかよ」
「あいかわらず、この伝様とやらがご利発でいらっしゃるからだよ。考えてもみろい、直訴じゃねえか。直訴は天下の法度《はっと》だ。お取り上げくださるかくださらねえかは、先さましだい、風しだい、腹しだいだよ。さればこそ、お取り上げなさらぬときに訴状をろくでもねえやつに拾われて、上お役人、われわれお番所勤めの者たち一統をあしざまにけえたことが世間に知れちゃ、あとの響きも大きかろうと、それを遠慮して特にこんななぞをかけた文句だけでぼかしたんだ。その心づかいがいっそゆかしいじゃねえかよ。死にぎわもまた源五兵衛、りっぱなものだよ。おめえなんぞは知るめえが、束巻き師源五兵衛といや、源五巻きという名で通るくれえの、刀の束の綾巻《あやま》きじゃ江戸にひびいた男だ。さすがは刀いじりの職人よ。町人ながら腹かっさばいたうえで直訴するたア、性根が見上げたもんじゃねえかよ。おいら、心がけのゆかしさに、ちっとばかり今ほろりとなっているんだが、いけねえかい」
「あやまった。あやまりました。なるほどね、ちくしょうめ、さあ来い! もうこうなりゃ忙しいんだぞ。事がそうと決まりゃ、露月町の泥斎《でいさい》とやらが本能寺だ。ぱんぱんと早手回しにやってめえりますからね、ちょっくらお待ちなせえよ」
 飛び出していったかと思うと、いかさま早い。
「へえ、お待ちどうさま。お駕籠ですよ」
 そろえて待って、さあいらっしゃいとばかりちょっと気どりながら、伝六なかなかにやるのです。――雪の道を二丁前後させながら、急ぎに急いでやっていったところは、いわずと知れた芝露月町土偶師泥斎の住まいでした。

     3

 通りからちょっとはいっていくと、いかさまひとひねり凝った構えの住まいの前に、それとひと目にわかる看板が見えました。
「宗七焼き人形師、泥斎」
 達筆に書きつづったそういう看板がさがっているのです。見ながめるや同時に、ずばりと小気味のいい右門流がもう始まりました。
「なんでえ。つがもねえ、こりゃ博多《はかた》人形のこぶ泥《でい》じゃねえかよ」
「フェ……? こぶ泥たアなんですかい」
「知らねえのかい、あきれた物知らずだな。訴え状に土偶師泥斎と書いてあるんで、どこの何者かいなと頭をひねったんだが、こりゃ博多焼きのこぶ泥だといっているんだよ」
「はてね」
「まだわからねえのかい。お手数のかかるおあにいさんだな。博多人形はその昔宗七というのが焼きだしたんで、ほんとうの名は宗七焼きというんだよ。その博多焼きの泥斎ならば、二十年間博多で修業したといういま江戸で折り紙つきの名工だ。左の耳下に福々しいこぶがあるところから、人呼んでこれをこぶ泥というのよ。おまえよりちっと物知りで、気に入らねえかい」
「どうつかまつりまして。ちくしょうめ、やけにうれしくなりゃがったね。そういうふうにずばりずばりとだんなの眼《がん》がついてくりゃ、もうしめたものなんだ。なんともかんともたまらねえね。え! だんな。――やい、こぶ泥、通っていくぞ」
 じつにどうも、伝六がうれしくなったとなると、いいようのない男です。先にたってどんどんはいっていくと、そこの仕上げべやにうずくまりつつ、しきりと焼き人形の仕上げを急いでいる老人と若いのとふたりに、ぱんぱんとあびせました。
「このとおりお出ましなんだ。景気のいい親方がいっしょになって、おっかねえだんながじきじきにお出ましなんだよ。ね! おい! わけえの! 年寄り! 気をつけてものをいいなよ。奉公に上がっていたといや弟子《でし》にちげえねえんだ。その弟子の弥七郎は、どけえいったのかい」
 えッ――というように、不意を打たれて、ギョッとなりながら見上げたふたりを、じろり見すくめた名人の目のつけどころはまた、おのずから伝六なぞと格が違うのです。目の動き、顔いろのそよぎ、心の芯《しん》に何ぞ狼狽《ろうばい》しているところはないかと、その鋭く烱々《けいけい》と光るまなざしでじいっと両名を見すくめました。
 見ると老人は五十五、六。左耳下にこぶがあるからには、まさしくそれが泥斎にちがいない。しかし、しいんとおちついてなんのうろたえも見せないのです。そのうえ、どことはなく人品|骨柄《こつがら》に渋みがあって鍛えられたところがあって、寂《さ》び冴《さ》えすらもがたたえられて、さすがは名取りの焼き人形師と思われる名工ぶりでした。
 隣にうずくまっているのは二十五、六。弟子か?――いや、そうではない。どことはなし泥斎に面ざしの似通ったところがあるのを見ると、まさしくせがれにちがいないの
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