じゃねえかよ。まあ、そこへすわって、あごでもはずして、ふところへしまってから、とっくりとこれを見なよ」
ようやくのことに、訴状箱の中から目ざしたネタを捜し当てたとみえて、さわやかにうち笑《え》みながら、かんかん虫の伝六の目の前に差しつけたのは、じつに次のごとき三通の訴え状です。
[#ここから1字下げ]
取り急ぎ書面をもって奉願上候《ねがいあげたてまつりそうろう》。拙者せがれ弥七郎儀、七年このかた芝露月町土偶師|泥斎《でいさい》方に奉公まかりあり候ところ、なんの子細あってか、昨二十日夕刻よりとつぜん行くえ知れずにあいなり候との由。寝耳に水のしらせうけ候あいだ、ぎょうてんつかまつりさっそくに八方心当たりを捜し求め候《そうら》えども、いずれへ参りしものかさらに行くえしれず、親の身として心痛ひとかたならず候につき、書面をもってお訴え申し上げ候。なにとぞ特別なるご慈悲をもって、火急にご詮議《せんぎ》お取り調べのうえ、一日も早くお捜し出しくだされたく。右伏して奉願上候。
正月二十一日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]願い主 芝入舟町甚七店
[#地から2字上げ]束巻き師 源五兵衛
[#天から2字下げ]家出人お係りさま御中
というのが一通。
[#ここから1字下げ]
昨日、取り急ぎ書面をもってお訴え申し上げ候えども、いまだなんのご沙汰《さた》もこれなく、いかがにあいなり候や、てまえせがれはただのせがれには候わず、天にも地にも掛け替えなき一粒種にて、日ごろ心だても優しく、他より恨みを受けたることなぞもとよりこれなきばかりか、賭《か》けごと、女出入りは申すに及ばず、ただの一度も悪所通いいたせしことこれなきほどのりちぎ者に候えば、それゆえにて世間をせばめ、入水《じゅすい》投身なぞ、つまらぬ了見起こせしとも思われず、なにゆえの家出かただただ心労にたえず候。ことに不審は、昨夜またまた奉公先なる露月町|泥斎《でいさい》方へ参り候ていろいろ問い正せしところ、先方の申すには拙者方へ参るというて立ちいで候よし、なれども当方へは参った形跡まったくこれなく、今は生死のほども計りかね候あいだ、さだめしお役向きのことどもご繁忙には候わんも、別してご憐憫《れんびん》をおかけくだされ、火急にご詮議《せんぎ》くだされたく、改めて奉願上候。
正月二十二日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]願い主 芝入舟町甚七店
[#地から2字上げ]束巻き師 源五兵衛
[#天から2字下げ]家出人お係りさま御中
というのが一通。
[#ここから1字下げ]
昨日、一昨日と再度お訴状差し出し候えども、いっこうにお取り上げこれなきは心外にたえず候。お役向きご繁忙にてお目漏れなら格別、もし何かいわく子細これあり候ために依怙《えこ》のおさばきなされ候てかくお取り上げこれなくとならば、われらにも覚悟これあるべく候。なんのこれしき、下民のせがれの家出くらいとおぼしめすかも候わんが、弥七郎を失わば拙者の命奪わるるも同然、子を思う親の心は、お係りさまはじめ、みなみな一様と存じ候えば、至急にお取り上げお捜し出しくだされたく、右懇願つかまつり候。
正月二十三日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]願い主 芝入舟町甚七店
[#地から2字上げ]束巻き師 源五兵衛
[#天から2字下げ]家出人お係りさま御中
というのがその第三通めでした。
「はあてね」
うるさいやつが、読み終わると同時に、さっそくあの首をひねったことです。
「ちっとこりゃおかしいじゃござんせんか」
「何がよ」
「きょうは忘れてならねえ二十四日だ。最初の一通は二十一日、次は二十二日、しめえは二十三日の日づけになっているところをみるてえと、三日まえから毎日毎日お番所へお百度を踏んだってわけですかい」
「決まってらあ。だからこそ、いつまでたってもお取り上げにならねえので、われらにも覚悟これあるべく候とある、その覚悟の直訴をしたんじゃねえかよ。そんなことぐれえがわからねえんでどうするんだ」
「いいえね、それをいってるんじゃねえんですよ。見りゃ弥七郎とかいう至極とできのいいせがれが、奉公先の露月町で姿をくらましやがったとけえてあるじゃござんせんか。そんなれっきとした大騒動が持ち上がっているなら、なにもこんなふうに直訴状へ陰にこもった思わせぶりを書かなくたっていいでしょう。はっきり書きゃいいんだ、はっきりとね。しかもですよ、この直訴状の表には、お取り上げこれなきをさらさらお恨みには存ぜず候えどもとぬかしているくせに、この三通めの文句はなんですかよ、いわく子細これあり候ために依怙《えこ》のおさばきがどうのこうのと、さもさもお番所勤めをしておる者は、そでの下しだいで十手吟味をしてでもいるようなことをぬかしているじゃ
前へ
次へ
全14ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング